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婚約破棄される予感は現実に

 アリアは気付いてしまった。

 このままいくと婚約破棄されてしまうと。


 アリアは伯爵令嬢である。

 優しい兄となんだか難しそうな仕事と社交に勤しむ両親、そして快活な使用人たちと暮らしてきた。

 15年間、なんとなくふんわりゆるゆる過ごして、12歳の時からの婚約者とは再来年結婚予定である。

 しかし、その平々凡々とした未来計画が壊れる可能性があると、たったいま気付いたのだ。

 この、手の中にある娯楽小説によって。


 娯楽小説にはこうある。

『君との婚約は破棄だ! おまえは僕の真実の愛を害した。おまえのような性悪で役立たずで可愛げのない女は不要だ!』

『そんな、わたくしはあなたを愛しているだけですのに。あなたを横恋慕し挙げ句の果てに奪い取るような人に制裁を加えることの何がいけないのです』

『私はおまえを愛してなどいない。つらいときに寄り添い励まし力付けてくれたこの愛らしい見た目の彼女こそが私の真実の愛なのだ。だから君との婚約は破棄する! ここから去れ! 二度とこの地に足を踏み入れるな!』


 かつてはそれなりに仲良くしていた二人なのに、男性側が真実の愛を見つけたと言って手ひどく恋人を振るのだ。

 女性側にどんな非があったのかとページを戻って確認してみるも、いまいちピンとこない。

 親の都合で遠く離れて暮らす二人では、片方が受難にあることなどそうそうわかるものではないし、さっと駆けつけて慰めることなんてできないだろう。

 ぽっと出の泥棒猫ちゃんに「あの人の婚約者はわたくしです」と肩を掴んで説得したり、親に報告して泥棒猫ちゃんが行きつけの商会から利用を拒絶されるよう周りに忖度してもらったとして、それが「害した」になるのも性悪扱いされるのもわからない。

 まあ結局のところ、男性が泥棒猫ちゃんを途方もなく愛してしまって、選ばれたのが泥棒猫ちゃんだったと、それだけのことなのだろう。

 と、ここまで考えて気付いてしまったのである。

 自分って、婚約者に寄り添ったり励ましたり力付けたりしていないような、と。



「そういうわけで、愛しの婚約者様を励ましに参りましたの」


 にこっと笑うアリアに、ウィンバー伯爵家長男シュレットは呆れてため息をついた。


「励ましには不便していない気がするんだけど」


「では、力付けますわ。スタミナ料理とやらを作れる料理人を連れてきましたの」


 このゆるふわ令嬢は力付けるの意味を間違えている、とシュレットは思ったが、説明すると長くなりそうなので簡単な断りにとどめることにする。


「うちにも料理人はいる。そもそも、そんなことのために三日もかけてここまで来たのかい」


 シュレットとアリアの屋敷の間は領地が隣同士と言えどそれなりに離れている。

 ちょっとした外泊では済まない距離の移動になるが、アリアの両親はよくもまあそれを許したものだ。

 これでも未婚の令嬢なのに、とシュレットはまたため息をついた。


「まあ、いけませんわ! ため息をつくと幸せが逃げると申しますもの。さあ! 吸って! 吸って! 二回分全部吸い切ってくださいませ!」


 アリアが真剣に深呼吸を促してくる。

 それも何か間違えている気がする!

 しかし突っ込んでもオチが行方不明になる気がひしひしとするので、シュレットは息を吸うパフォーマンスをする。

 それを見てアリアは再びにっこりと笑った。


「わたし、結婚したら、幸せな家庭を築きたいと、そう思っておりますのよ」


 言ってることはまあまあ良いこと言ってるんだけどな、とシュレットが思った矢先。


「ですから、まず婚約者様が幸せになれるように、贈り物をお持ちしましたの。こちら、幸せのキラキラストーンリングに、幸せのキラメキチェーンネックレス、幸せのキラリンメタルベルトに、今なら幸せのギラギラ枕カバーもおつけしますわ」


 侍女が開けた箱の中にはガラス玉のついた指輪や安っぽいメッキ仕立ての装飾品、そして趣味の悪い色の布が詰め込まれていた。

 前言撤回。

 良いこと言ってるようでも頭の中が良くない。


「アリア嬢、君は普通の宝飾品の目利きはできるのに、なぜ『幸せの』という言葉がついた瞬間ガラクタに価値を見出すようになるんだ」


「あら、価値のある宝飾品に幸せになるオプションがついていたら、皆様こぞってお求めになりますわ。とてもわたしの手に入るような代物ではなくなってしまいます。もとの材質が低廉だからこそ、幸せになるオプションがついてもわたしのお小遣いで手に入る価格におさまるのです」


「なるほど、一理ある。いや、一理も何もない! 返品してきなさい」


 一瞬納得しかけたシュレットは首を横に振ってアリアを説得にかかる。

 でも、アリアはこてりと首を傾げ「どうしてです」と心底不思議そうに言うのだ。


「わたしは大切な婚約者様に幸せになっていただきたいだけなのに」


 うん、言ってることは良いことなんだよな。

 それだけ相手のことを気にかけていると思えばけなげで可愛らしいとも言える。

 でもなあ、なんか手段が変なんだよなぁ。

 シュレットはとりあえず自称幸せになるガラクタをしまわせようとアリアの侍女に顔を向ける。

 すると、アリアの侍女はこちらを見て、アリアを見て、こちらを見て、と何か訴えるように視線をキョロキョロさせた。

 一体なんだと言うんだ、とアリアを見れば。


「わたしは、婚約者様に幸せに……」


 この数秒の間に何があったのか。

 アリアの茶色の目には大粒の涙が溜まっていて今にもこぼれ落ちそうになっている。

 情緒が不安定すぎる!

 いや、でも世間一般の令嬢はか弱い生き物と聞くしこれが普通なのか?

 シュレットは断る気でいたアリアからの贈り物をアリアの侍女から奪い取るようにして受け取る。


「ありがとうアリア嬢! とっても素晴らしい贈り物だよ!」


 シュレットがアリアに満面の笑みに見えるように笑いかけてやれば、アリアは涙を溜めた目はそのままに、目を細めて笑った。


「そう言っていただけて嬉しいですわ」


 目を細めた拍子に頬を伝った涙が、窓から差し込む陽光を受けてきらりと光った。

 それはシュレットの敗北を知らせる証のようで、シュレットはそっと目を逸らした。



 その晩。


「アリアお嬢様って、どこまで本気なんですか」


 ウィンバー伯爵家の来客用寝室でアリアの髪を梳かす侍女は、何度目かわからない質問を投げかけた。


「どこまで? わたしはいつも全力で本気よ」


「あの下品な金ピカのガラクタを婚約者に差し上げることもですか」


「ええ、もちろん」


 アリアは刺繍をしていた手を止め、少し冷めたハーブティーに口をつけて、ふうと息を吐く。


「殿方は一途で少し馬鹿な女性を愛すると娯楽小説に書いてあったもの」


「また娯楽小説ですか。殿方に関することは奥様や旦那様から学ばれた方が良いと思いますけどねぇ」


 渋い顔をしているであろう侍女に、「そうね」といったんは肯定の相槌を打つ。


「でも、政略結婚を維持する能力と、殿方から心底好かれる能力というのは違うのではないかしら。わたしね、たぶんだけど、政略結婚を維持する能力はそこまで低くないと思うのよ」


 刺繍の最後の仕上げをすると、アリアはたった今完成した刺繍入りハンカチを広げて仕上がりを確認する。

 ウィンバー伯爵家の紋章を少しアレンジして薄黄色の糸と深緑の糸を入れ込んだそれは、シュレット様の白味がかった金髪とオリーブグリーンの瞳の色をイメージしたものだ。

 我ながら上手くできたと自負しながら、アリアは丁寧にハンカチを畳んだ。


「これをシュレット様に。昼に困らせてしまったお詫びにと差し上げて」


「ご自分でお渡しになればよろしいのでは」


「わたしが何か渡そうとしたらまた困らせてしまうじゃない」


 それもそうですね、と侍女はアリアから受け取ったハンカチを丁寧に包む。

 アリアの専属侍女の中で一番態度が大きいけれど、一番気遣いが細やかなのも彼女なのよね、とアリアは満足そうにぬるくなったハーブティーを飲み干した。

 アリアが猫舌なのをわかっているところも含めて、アリアはこの侍女のことを本当に大好きなのである。



 翌日、アリアはウィンバー伯爵夫人からお茶の招待を受けて、伯爵家の温室にやってきていた。

 庭ではまだ咲かないような色とりどりの夏の花が咲き誇るその温室は他家のお茶会でも話題になる素晴らしいものだ。

 多分に漏れずアリアもこの温室のファンで、ウィンバー伯爵夫人もそれをわかっていてあえて温室にティーセットを用意させたと見えた。


「さあ、かけてちょうだいな。遠くからはるばるありがとうね、アリアさん」


 上品な微笑みを浮かべるウィンバー伯爵夫人に、アリアも丁寧に礼をして席に着く。

 伯爵家の侍女による給仕が始まり、焼きたてのビスケットや紅茶の香りがふわりと温室の中に広がった。


「素敵なおもてなしをいただきありがとうございます、おかあさま」


「来てくれて嬉しいわ。あの愚息はろくにあなたの相手もせずに……ごめんなさいね」


「お忙しいことは存じておりますので」


 伯爵夫人はほんの一瞬顔をしかめたが、すぐに悲しげな笑みに表情を戻した。


「よく言い聞かせておきますね。再来年には結婚式なんですから」


 アリアは淹れたての紅茶と熱々のビスケットをさりげなくさけて夏野菜のサンドイッチを手に取る。

 季節外れの夏野菜をふんだんに使ったそれは、アリアの実家では中々お目にかかれない高級品だ。


「わたし、おかあさまの娘になれるのが待ち遠しくて。ちょっとしたお土産を持ってきたのです。うちの領地で偶然見つけたものなのですけれど、受け取っていただけますか」


 アリアの侍女が品の良い小箱を開けて伯爵夫人に差し出す。

 黒いゴツゴツした石の塊を伯爵夫人はじっと見て、「手にとっても良いかしら」とアリアに確認すると、手袋をはめた指先で石を持ち上げ、両手で持つと右左上下とじっくりと眺めた。

 ガラス越しに温室に差し込む陽光が石の塊を照らし、石の塊の一部がカキリキチリと鋭さを感じさせる光を放つ。


「この大きさに、濁りのない反射……なんて立派な原石でしょう……」


「この原石はお兄様の視察に同行したときに偶然見つけた洞窟にあったものですが、おかあさまならきっと素敵な加工をしていただけると信じてお持ちしたのです」


「そう。領地の視察の補佐をして、自領の産業のタネも見つけてきたのね。偉いわ」


「お褒めいただき嬉しいです」


 伯爵夫人は石の塊を丁寧に箱に戻すと楽しげに笑みを深める。


「きっとあなたの期待に応えてあげますよ。あなたのことを悪く言う人間なんて消しとばしてあげましょうね」


「いえ、あの、わたしのことは別に」


「あら、よくないわ! あなたは私の義娘となるのよ。あなたを軽んじる者は我が伯爵家を軽んじることだと知らしめてやりましょうね」


 困った。

 良い感じの石を見つけたから、見て見てーって婚約者のママンに渡しただけなのに、なんか社交界で一発ドカンとかましちゃいましょうみたいな話になっちゃってる。

 まあ確かにめっちゃ良い感じの石だけど。

 ネックレスとかに仕上げたら加工次第では国宝級ぽい感じに仕上がっちゃうかもしれないくらいの良い石だけど。

 それを差し置いても、伯爵夫人ってちょっと受け取り方が大袈裟な気がするかも、とアリアは思ったが、ちょうど冷めてきた紅茶がとっても美味しかったので深くは考えないことにした。

 美味しいものや綺麗なものはその場で全力で堪能する、それがアリアのモットーなのである。



 夕食までの時間はウィンバー伯爵家の書庫を案内してもらって過ごすことにした。

 難しい歴史書に何かの統計表らしきもの、昔この家の子供たちが読んでいただろう冒険小説、いろんな本が並ぶ中で、アリアは実家の領とウィンバー伯爵領との領境に関する資料を見せてもらう。

 執事補佐をしているという若者に土砂崩れがあった場合の初期対応についてアリアが尋ねていると、シュレットがひょいと顔を出した。


「おや、勉強中でしたか、お嬢様?」


「はい、伯爵令息様。大変貴重な資料を拝見し恐悦至極ですの」


 おどけたように言うシュレットに合わせてアリアもおどけて返すと、シュレットはふんふんと楽しそうに頷いた。


「時に、素敵なハンカチをありがとう。これからの伯爵家を僕色で染めてやれという挑戦的なメッセージが冴えていたね」


 そこまで攻撃的な意味合いは持たせていない、とアリアは思ったが、シュレットが満足そうなので敢えて水をさすことはしないでおこうと決める。


「わたし、シュレット様を元気づけることはできましたか」


「元気づける? どうして」


「何か悩まれていらっしゃるように思いましたの」


「それなら僕なんかより君の方が……いや、忘れてくれ」


 邪魔したね、と色の薄い金髪が書棚の奥に消える。

 再び資料に目を落としたアリアは少しの間考えて、「わたし、政略結婚をするのは向いている方だと思うのよ、ただ、愛してもらえるかわからないだけで」と胸の内で呟いた。


 そう、アリアは頑張っているのである。

 宝飾品に厳しいウィンバー伯爵夫人のお眼鏡にかなうよう目利きの勉強もしたし、宝石や鉱石の新たな採掘地が見つかったと聞けばお兄様におねだりして連れて行ってもらい自分の目で確かめてきた。

 ウィンバー伯爵が治水や防災に関心があると聞けば、お父様に「次のお誕生日には新しいダムで放水するところを見たいんですの」とおねだりして良い感じのダムを作ってもらったりもした。

 頑張っている。

 頑張ってきたのに。


「アリア、君との婚約は破棄する!」


 夜会の真っ最中に婚約破棄されたアリアは呆然と婚約者を見つめた。



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