第6話 — 出されなかった手紙
その日の午後の風は、いつもより少し冷たかった。
鋭く刺すような冷たさではない。ただ静かに主張するような風。襟を引っ張り、長く放置された思考を呼び起こすような。
レンはコートをきゅっと掴み、町で一番奇妙で、そして一番心地よい店――《ステッチ&スクリブル》へと向かう細い道を歩いた。
ウィロウムーアの街路は古い筆記体のように曲がりくねっている。馴染み深く、柔らかく、流れるように。
石畳の上で靴音は一歩ごとに違う響きを持った。擦り減った靴のこすれる音、隅に集まる落ち葉のかすれた音、そしてゆるやかに動き、やさしく許す町の低いざわめき。
レンのポケットには、一枚の折り畳まれた紙。数週間前に書きかけた手紙――もしかすると数か月前かもしれない。もうわからなかった。
《ステッチ&スクリブル》の中は、ほこりとラベンダー、そして遠い昔に焼かれた菓子の匂いがした。
壁には布の切れ端が垂れ下がり、カウンターにはペンとインクの瓶が並び、積み上げられた紙の束は疲れた塔のように傾いていた。未完成の物語でできた店。
編み物をしていたロウエン夫人が顔を上げる。
「また“失恋色”の便箋を探しに来たのかい?」と冗談めかして。
レンは微笑んだ。「今日は“悲劇ブルー”を試してみようかと思って。」
「ちょうどいいところよ。主人が屋根裏で昔の封筒を見つけてね。古い香水と忘れられた約束の匂いがするの。」
「完璧だ。」
彼は奥へと進んだ。手作りノートや模様入りのしおりの棚を縫うように。
そこはやわらかな黄の光に満ち、時間が吐息をつき、落ち着いてしまったような世界だった。
彼は「往復書簡」と札の付いた棚の前で立ち止まった。
小さく折られたカード、押し花入りの手紙、空気のように薄い紙。必要なものなどないのに、指先は宙を漂った。
そして、コートのポケットから一枚の紙を取り出した。
広げてみる。
そこにあるのは、何度も書き直した四つの文。
――しばらくぶりだね。
――まだパン屋にいるよ。
――朝は、前より静かになった。
――もう怒っていない。
それだけ。
宛名も署名もない。ただ、ずっと胸を離れなかった思い。
それが何なのか、わからなかったから手紙は完成しなかった。
謝罪? さよなら? それとも「もう休んでいい」と告げる記憶?
背後から足音が近づいた。
「その手紙は出さないんでしょうね。」ロウエン夫人がやさしく言った。目はあたたかく。
レンは驚かず答えた。「わかってる。」
彼女は追及しなかった。ただ金の縁取りのある小さな封筒を差し出し、こう続けた。
「でもね、役に立つでしょう? まだ誰かが聞いているように書くことは。」
レンはうなずいた。
会計を済ませると、彼女は言った。
「何もなくても、それは証になる。あなたがまだここにいて、まだ語ろうとする心があるって。」
外に出ると、雲は薄いクリーム色に変わり、雨の匂いが夕暮れの空気に混じっていた。
レンはゆっくり歩き、落ち葉を蹴りながら進んだ。
手紙は折りたたまれたまま、掌に残った。
送ることはなかった。
ただ帰り道、苔と記憶の眠る古い石橋の隙間にそっと差し込んだ。
ウィロウムーアが小さな秘密の悲しみを抱える場所に。
作者コメント
「言葉にならないことほど、本当の気持ちに近いのかもしれない。」
すべての手紙に宛先が必要なわけじゃない。
ただ感じたものを残すために、そして「なろうとした自分」を確かめるために、書かれる手紙もある。