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場違いな夢想家  作者: TSU
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第4話 — 好奇心の欠片


彼女が三度目にやって来たとき、すぐには言葉を発さなかった。


エリオットがマロー&クラムの扉を開けると、柔らかな風がチャイムを揺らし、銀色の音が朝に溶けていった。

店内の香りは前と違っていた――レモンの皮と温かなバニラ。まるで今日は、店そのものがやさしくなろうとしているかのように。


レンはカウンターの向こうで、小さなタルト生地にクリームを絞っていた。

袖は不揃いにまくれ、顎にはバターの跡がひとすじ。彼はまだ彼女に気づいていなかった。


彼女は邪魔をしなかった。


ただしばらく立ち尽くし、並んだ不完全な菓子、手書きの札、そして少しずつ覚えてきた床の不揃いなタイルを眺めた。

この店の静けさが好きだった――何も求めてこない種類の静けさ。


やがて、彼女は小さく咳払いをした。


レンは顔を上げ、ほんの一瞬だけ驚いたあとで笑みを見せる。

「また来たの?」


「レモンのやつ、試してみようと思って。」


「危ないよ」と彼は言う。「ひと口で、人を許したくなるから。」


「自分も?」


彼は瞬きをした。間が落ちる。


そして静かに言った。「とくに自分を。」


彼女は視線を逸らし、いつもの窓際に腰を下ろした。

そのため息は、骨より古い場所から漏れ出したもののようだった。

ノートはまだ閉じたまま。今日のマフラーは少しゆるく、眠れはしたが十分ではない、そんな顔つき。


レンはタルトと紅茶を運んできた。

近すぎず、遠すぎず――ただ、話せる距離で。


「君は…集めてるんだね」と彼女。


彼は首を傾げる。「僕が?」


「小さな瞬間。人。顔。初めて来た人の好みを正確に覚えてるところとか。」


レンは肩をすくめる。「町が小さくて、人がうるさいだけ。」


「でも、ちゃんと聴いてる。」


彼は答えず、ただ窓の外の流れる雲を見た。


「私もしてた」とエリオットは小さな声で言う。「心の中がうるさくなる前は。」


彼は彼女を見た――それが本心かどうか確かめるように。


彼女は紅茶をひと口。「同じ場所にいるの、飽きない?」


「ときどき。でも気づくんだ。飽きてるのは場所じゃなくて、自分なんだって。」


エリオットはゆっくりうなずき、遠い目をした。

「私は新しい場所に逃げ続けた。心の騒ぎがついてこないように。」


「ついてきた?」


彼女は答えず、タルトをちぎって問いのように持ち上げた。

「人が知ってる自分が、本当はもう生きてない自分だって…そう感じたこと、ある?」


その言葉は、二人のあいだに漂ったまま消えなかった。


レンは正しい答えを知っているふりをしなかった。冗談も言わなかった。

ただ彼女の向かいのスツールに腰かけ、静かに言った。

「ほとんど毎日。」


彼女は彼を見た――今度は本当に。


旅人としてでも、通りすがりとしてでもなく。


たどり着いた場所を確かめるように。


小さな笑いが漏れた。息に近いほどの。

「見た目より変わってる人ね。」


「今日いちばんの褒め言葉だよ。」


彼女はもうひと口食べ、つぶやく。「タルトが美味しいのは幸運ね。」


二人はそのまま座った――窓からの光がテーブルを染め、声は低く、説明のいらない静けさで店が満たされていた。

外では犬が遠くで吠え、誰かが音を外しながら鼻歌を歌いながら通り過ぎた。


レンは先に立ち、オーブンを確認しに行く。

彼女はその背を見送りながら、不思議に思った。

同じ人間が、消えていくようでありながら、同時にここに現れているなんて。


帰り際、扉の前で足を止めた。

「ありがとう。」


「タルトの?」


「質問しすぎなかったことの。」


レンは一度うなずいた。

「答えたくなるときに、答えればいい。」


彼女は外へ出る。風がマフラーを引き寄せた。


このとき、ベルが鳴ったのは彼女が去ったあとだった――まるで鐘でさえ、彼女に余白を与えたかのように。

作者コメント


「いくつかの答えは、問いになる前にもう訪れている。ただ、気づかないだけ。」


理解は説明だけで得られるものではない。

あるときは部屋の温もりから、分かち合う沈黙から、

そして「疲れていても、ただ生きているだけでいい」と受け入れてくれる人の存在から生まれる。

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