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場違いな夢想家  作者: TSU
3/20

第3話 — 窓際の席


翌朝のウィローモアは、やわらかな霧と煙突の煙をショールのようにまとっていた。


それは町を記憶のように包み込み、世界を静寂へと沈めていた。店の扉はいつもより少し長く閉ざされ、昨夜の霧でまだ濡れている石畳は、朝の光をかすかに映して輝いていた。


マロウ&クラムの店内には、焦がしバターとオレンジピールの香りが静かに漂っている。レンは鼻歌を歌いながら袖をまくり、前腕には粉砂糖が淡い雪のように積もっていた。カランベリーのスコーンが焼きあがり、横にはすっかり冷めてしまった紅茶のポットが置かれている——いつものように忘れ去られて。


曇った窓ガラスの外に、人影が近づいてきた。


昨日も現れたあの少女だった。音もなく、首に秘密のように巻かれたマフラー。扉をそっと押すと、ベルが不安げに小さな音を立てた。


レンはトレイを置き、顔を上げる。

「さて……また迷ったのか、それともケーキの効果かな」


少女の表情はあまり変わらなかったが、その瞳にはかすかな光が宿っていた。


「ケーキはまあまあだった。でも……静けさの方が良かったわ」


レンは微笑んだ。


彼女は昨日と同じ窓際の席に腰を下ろした。まるでその場所自体が彼女を覚えていたかのように。膝には閉じられた日記帳。今日は手袋に気づく——柔らかな革の茶色い手袋で、指先は使い込まれて滑らかになっていた。


レンはまだ彼女の名前を知らなかったので、心の中で「日記のあの子」と呼んでいた。 ――後に彼は彼女の名前を知ることになる。「エリオット」。まるで彼女は、この静かで霧深い町に、最初から完璧に溶け込んでいたかのようだった。


「お茶は飲む?」と、レンはすでにポットに手を伸ばしていた。


「コーヒーのふりをするなら」


「うまく嘘をつかせるよ」


テオはまだ来ていなかった。笑い声はないが、代わりに広がる空気があった。レンとエリオットの間の沈黙は気まずさではなく、パン生地をやさしく折りたたむような静けさだった。


「ねえ」数分後、窓の外を見つめながら彼女が口を開く。「失敗したお菓子に、いつも名前をつけるの?」


レンは瞬きをした。「時々ね。少しは dignitiy を与えられるし」


「罪悪感も減るわけね?」


「その通り」


少女はうっすら笑い、「じゃあ、このスコーンには何て名前を?」


「まだ失敗じゃない。そう決めつけるのは危険だよ」


そう言いながら、レンはポケットから使い込まれたノートを取り出した。砂糖の分量や思いつきが書き込まれた紙に、さらさらと何かを書き加える。そして顔を上げて言った。

「『十一月の謝罪』にしようかと思ったんだ。後悔とオレンジピールの味がするから」


エリオットは彼を見つめた。本気なのか冗談なのか測りかねているように。


……レン自身も分からなかった。


「……ずいぶん具体的なのね」


「僕は具体的すぎるんだ」


そんなやりとりのあとも、二人はしばらくそのまま過ごした。カウンターの向こうに立つレンと、窓際に座るエリオット。外の霧は少しずつ薄れ、彼女の視線は時おり、手書きのラベルが貼られた瓶や傾いた額縁へと向かった。レジの近くには忘れられた詩集の山があり、その一冊には押し花のデイジーが挟まれていた。


やがて彼女が口を開いた。

「この町……ウィローモア。思っていたのと違った」


「どんな町だと思ってた?」


少し間を置いて、彼女は答えた。

「通り過ぎるだけの場所だと」


レンはカウンターに肘をついてうなずいた。

「じゃあ今は?」


「……もう離してくれないかもしれない」


それを聞いて、彼は当然のようにうなずいた。


静けさが再び訪れたとき、窓を小鳥が一度だけ叩き、そして飛び去った。霧に包まれた外の校庭から、かすかに鐘の音が響く。


レンはお茶を注ぎ、彼女の前に置いた。

「はい。まだ嘘の味だけど……甘い嘘さ」


エリオットは大切そうにカップを受け取り、指先でその温もりを包み込んだ。

「ありがとう」


レンはもう少しで名前を口にしかけた。だが、やめた。


まだ知らなかったから。


けれど窓際の席は、すでにその名を知っていた。

作者より


「いくつかの町は通り過ぎるための場所なのに、それでも私たちを立ち止まらせてしまう。」


静かな旋律を奏でる町がある。壊れた心や迷う心を待つ町がある。約束ではなく、ただ一杯のお茶と、やわらかな朝と、気づいてもらえる温もりと共に。

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