第3話 — 窓際の席
翌朝のウィローモアは、やわらかな霧と煙突の煙をショールのようにまとっていた。
それは町を記憶のように包み込み、世界を静寂へと沈めていた。店の扉はいつもより少し長く閉ざされ、昨夜の霧でまだ濡れている石畳は、朝の光をかすかに映して輝いていた。
マロウ&クラムの店内には、焦がしバターとオレンジピールの香りが静かに漂っている。レンは鼻歌を歌いながら袖をまくり、前腕には粉砂糖が淡い雪のように積もっていた。カランベリーのスコーンが焼きあがり、横にはすっかり冷めてしまった紅茶のポットが置かれている——いつものように忘れ去られて。
曇った窓ガラスの外に、人影が近づいてきた。
昨日も現れたあの少女だった。音もなく、首に秘密のように巻かれたマフラー。扉をそっと押すと、ベルが不安げに小さな音を立てた。
レンはトレイを置き、顔を上げる。
「さて……また迷ったのか、それともケーキの効果かな」
少女の表情はあまり変わらなかったが、その瞳にはかすかな光が宿っていた。
「ケーキはまあまあだった。でも……静けさの方が良かったわ」
レンは微笑んだ。
彼女は昨日と同じ窓際の席に腰を下ろした。まるでその場所自体が彼女を覚えていたかのように。膝には閉じられた日記帳。今日は手袋に気づく——柔らかな革の茶色い手袋で、指先は使い込まれて滑らかになっていた。
レンはまだ彼女の名前を知らなかったので、心の中で「日記のあの子」と呼んでいた。 ――後に彼は彼女の名前を知ることになる。「エリオット」。まるで彼女は、この静かで霧深い町に、最初から完璧に溶け込んでいたかのようだった。
「お茶は飲む?」と、レンはすでにポットに手を伸ばしていた。
「コーヒーのふりをするなら」
「うまく嘘をつかせるよ」
テオはまだ来ていなかった。笑い声はないが、代わりに広がる空気があった。レンとエリオットの間の沈黙は気まずさではなく、パン生地をやさしく折りたたむような静けさだった。
「ねえ」数分後、窓の外を見つめながら彼女が口を開く。「失敗したお菓子に、いつも名前をつけるの?」
レンは瞬きをした。「時々ね。少しは dignitiy を与えられるし」
「罪悪感も減るわけね?」
「その通り」
少女はうっすら笑い、「じゃあ、このスコーンには何て名前を?」
「まだ失敗じゃない。そう決めつけるのは危険だよ」
そう言いながら、レンはポケットから使い込まれたノートを取り出した。砂糖の分量や思いつきが書き込まれた紙に、さらさらと何かを書き加える。そして顔を上げて言った。
「『十一月の謝罪』にしようかと思ったんだ。後悔とオレンジピールの味がするから」
エリオットは彼を見つめた。本気なのか冗談なのか測りかねているように。
……レン自身も分からなかった。
「……ずいぶん具体的なのね」
「僕は具体的すぎるんだ」
そんなやりとりのあとも、二人はしばらくそのまま過ごした。カウンターの向こうに立つレンと、窓際に座るエリオット。外の霧は少しずつ薄れ、彼女の視線は時おり、手書きのラベルが貼られた瓶や傾いた額縁へと向かった。レジの近くには忘れられた詩集の山があり、その一冊には押し花のデイジーが挟まれていた。
やがて彼女が口を開いた。
「この町……ウィローモア。思っていたのと違った」
「どんな町だと思ってた?」
少し間を置いて、彼女は答えた。
「通り過ぎるだけの場所だと」
レンはカウンターに肘をついてうなずいた。
「じゃあ今は?」
「……もう離してくれないかもしれない」
それを聞いて、彼は当然のようにうなずいた。
静けさが再び訪れたとき、窓を小鳥が一度だけ叩き、そして飛び去った。霧に包まれた外の校庭から、かすかに鐘の音が響く。
レンはお茶を注ぎ、彼女の前に置いた。
「はい。まだ嘘の味だけど……甘い嘘さ」
エリオットは大切そうにカップを受け取り、指先でその温もりを包み込んだ。
「ありがとう」
レンはもう少しで名前を口にしかけた。だが、やめた。
まだ知らなかったから。
けれど窓際の席は、すでにその名を知っていた。
作者より
「いくつかの町は通り過ぎるための場所なのに、それでも私たちを立ち止まらせてしまう。」
静かな旋律を奏でる町がある。壊れた心や迷う心を待つ町がある。約束ではなく、ただ一杯のお茶と、やわらかな朝と、気づいてもらえる温もりと共に。