第5話『ホシのしっぽと岩陰の草』
森を抜けた翌朝、空はまだ淡く光るだけで、冷たい風が丘をすり抜けていった。
リアナは地図を広げ、昨日の行程をなぞっていた。木々の間を通った細道、開けた草地、そこで拾った不思議な獣──ホシ。布にくるまったその小さな身体は、いまやリアナの背袋にすっぽりと収まっている。
「今日は、岩場の斜面に行ってみたいな」
リアナが言うと、エルミナは小さく頷いた。
「昨日のネズミナ、もう少しあった方がいいしね。あの辺りは地図にも載ってないし、記録する価値があると思う」
ふたりは身支度を整え、地図に載っていない山道を歩き始めた。木の葉が擦れ、小鳥の声が風に混じる。森のざわめきが静かに彼女たちの足音に寄り添っていた。
斜面は想像よりも険しく、足元には小石が転がり、湿った岩肌が滑りやすかった。慎重に足を運びながら、ふたりは岩陰や倒木の間を丹念に調べていく。
「この辺り、日差しが入らないから状態の良い葉が見つかりにくいね」
「うん……」
リアナが答えかけたとき、背袋の中で何かが動いた。ホシが、ひょいと顔を出したかと思うと、するりと身をひねって地面に飛び降りる。
「ホシ!? どこ行くの!?」
リアナは慌てて追いかける。ホシはとことこと岩場を横切り、苔むした倒木の間に鼻先を突っ込んだ。
二本に分かれたふわふわの尾が、何かを指し示すように揺れている。
「何かあるの?」
エルミナも足を止めて近づく。ホシは木の根元に顔を押しつけたまま、じっと動かない。
リアナがしゃがみ込み、覗き込んだ。そこには見覚えのある葉が広がっていた。赤みがかった葉先、ふっくらとした肉厚の質感──
「ネズミナ……! すごい、ここにもある!」
倒木に守られて風に晒されず、土も湿り気を保っている。状態の良さは明らかだった。
「こんな場所、気づかなかった」
「風が折れて湿気がたまる場所。育ちやすい条件が揃ってたんだね」
エルミナは周囲の草の傾きや地形を観察しながら言った。
リアナはさっそく採集を始め、数株を丁寧に刈り取った。
そして地面に腰を下ろし、地図を膝の上に広げた。木炭の芯を軽く削り、斜面の線をゆるやかに引いて地形を線で表現する。倒木は短い横線で示し、湿地帯には点を並べた。薬草の位置には小さな記号を添え、風の向きを自分なりの矢印で記録する。風景の感触をひとつずつ紙に写すように、静かに手が動いた。
「ホシがいなかったら見落としてたね……」
視線を向けると、ホシは目を細めて「キャウ」と鳴いた。どこか得意げな様子だった。
その後も、ホシはふたりの少し先を歩きながら、時折立ち止まり、鼻をひくひくさせるような仕草を見せた。草の中に頭を突っ込み、何かを確かめるように動いている。
「また動いた……」
リアナの言葉に、ホシは草むらの中でぴたりと止まり、そこを見つめたまま動かなくなった。
近づくと、光沢のある丸い葉が地面に広がっていた。葉脈が白く、指でこすると微かに甘い香りが立つ。
「これ……ノドリ葉!」
喉の炎症に効く薬草だった。リアナは目を輝かせ、エルミナも頷いた。
「予定外だけど嬉しいね。乾かしておけば保存も効くし、旅にちょうどいい」
ふたりは採集に取りかかりながら、ホシの動きを何度も振り返った。気まぐれに動いているように見えて、その先には何かしら意味があるように思えた。
「ホシの尾って……地図の線みたいだね」
リアナがつぶやくと、エルミナは不思議そうに見た。
「ほら、揺れ方とか、止まった場所とか。線が引かれていくみたいに感じるんだ」
エルミナは微笑んで頷いた。「そうだね。きっと、あの尾はいつも何かを描いてるんだと思う」
ふたりは地図に薬草の群生地を記録しながら、今歩いた道筋を思い返した。地形、湿度、風、そしてホシの動き。そのすべてが重なり合って、今日の探索を形づくっていた。
「地図って、“描く”だけじゃなくて、“気づく”ものなんだね。拾って、重ねて、つないでいく。それで……線になるんだ」
ホシがこちらを振り返って、「キャウ」と短く鳴いた。
リアナは笑って、「ありがとう、ホシ」とつぶやいた。
その夜、ふたりと一匹は小さな丘の上に野営の場所を見つけた。風を避けられる岩陰があり、乾いた木の枝が多く落ちている。
エルミナが火を起こし、リアナは地図と採集した薬草を並べて確認した。
ホシは火のそばで丸くなり、うとうとと眠りに落ちる。二股の尾がふんわりと巻かれ、揺れながらぴたりと止まった。
リアナはその背をそっと撫でてから、地図に視線を戻した。
今日見つけた場所の一つひとつに、命が吹き込まれた気がした。




