第3話『道具袋と薬草地図』
西の空に沈みかけた夕陽が、木々の合間から斜めに差し込んでいた。リアナは足を止め、あたりを見回した。
「ここにしよう。風も弱いし、地面もしっかりしてる」
木の根が自然な仕切りをつくり、落ち葉が柔らかく敷き詰められている。倒木が壁のように背を守ってくれる位置も気に入った。
エルミナは頷いて荷物を降ろし、枯れ枝と焚きつけになりそうな木の皮を集めに動いた。リアナは道具袋から火口を取り出し、落ち葉をかき分けながら火を起こす場所を整える。
数回の火打ち石の音が響き、乾いた草がくすぶり始めた。慎重に息を吹きかけると、ぱち、と小さな火が生まれ、やがて枝に移っていく。
「よし、火がついたよ」
リアナの声に、エルミナが小さく笑みを返した。水を鍋に注ぎ、火の上にかける。薪がはぜる音が、森の静けさをやさしく彩っていた。
二人が腰を下ろすと、エルミナは自分の薬草袋をそっと膝に乗せた。絹布で巻かれた小瓶や、乾燥した葉の束がきれいに収められている。
「それ、今日採ってたやつ?」
リアナの問いかけに、エルミナはうなずいた。
「うん。これは疲れを和らげる葉で、こっちは火傷やかぶれに効く軟膏の材料。瓶には抽出した薬液が入ってるの」
指先がやさしく瓶をなぞり、色糸で印のついた包みを広げる。中には繊細に並んだ薬草が、それぞれの役目を待つように収まっていた。
「使うたびに、どこで見つけたかと効果を記録してるの。植物も、きちんと覚えてあげたいから」
「すごいな……」
リアナは自分の道具袋を広げ、羊皮紙の地図帳と測量糸、小さな木炭とコンパスを並べた。
「私のは、こんな感じ。これは距離を測るための測量糸。これが方位を測るためのコンパス。あとは記録用の炭とスケッチ用の紙」
エルミナは驚いたように目を見開く。
「まるで冒険者の道具箱みたい。リアナ、本当に地図描いてたんだね」
「うん。誰も知らない道に線を引くのが、すごく楽しいんだ。風や音、木の並び、そういうのも全部、地図にできる」
「じゃあ、私が採った薬草も、地図に残せるかな?」
リアナはうなずく。
「もちろん。君の薬草の知識が加われば、もっと精密になる」
湯が小さく泡立ち始めた。エルミナは乾燥させた葉を取り出し、鍋に浮かべる。
「今日採ったばかりのお茶葉。香りも、味も、少しだけ甘いよ」
鍋から立ちのぼる蒸気に、ほのかに花のような香りが混じった。リアナは湯をすくい、そっと口に運ぶ。
「……やさしい味だね。飲んでるうちに、からだの力が抜けていく気がする」
「よかった。リアナに合うと思ってた」
火の光が二人の顔を照らす。そのまま、リアナは静かに空を仰いだ。
空には星が瞬き始めていた。深い青に浮かぶ小さな光の粒が、まるで遠い世界のしるしのようにきらめいている。
「あれ、見える? 北の星座の小さな三つ並び。あれを基準にすれば、方角がわかるんだ」
「星で?」
「そう。木の影も、風も、雲も変わる。でも星はいつも、決まった場所にいる。だから信じていい」
リアナはコンパスと測量糸を手に取り、地図を開いた。
「今日の移動で、だいたいこの辺まで来たはず。星の位置と地形を合わせれば、昨日よりずっと正確な地図になるよ」
エルミナは夜空を見つめながら、小さく笑った。
「空って、不思議だね。風よりも、草よりも遠いのに、こんなに頼りになるなんて」
「旅って、そういう発見の連続かもしれない。昨日知らなかったことを、今日わかる。そうやって、地図も旅もできていくんだ」
「薬草も、同じかも。名前がわかれば、見た草にも意味が生まれる。そのひとつひとつが、私の地図になるんだと思う」
リアナは感心したようにうなずいた。
「すごい発想だね。じゃあ、地図と薬草、ふたりで旅の記録をつくっていけるね」
火がぱちぱちと静かに燃え、二人の前にある紙に、淡い光が重なった。
リアナは小さな木炭を手に取り、今日泊まった場所に星の印をつけた。
「ここが、はじまりのしるし。ふたりで、ちゃんと進んだ証」
エルミナはその印を見つめて、やわらかく笑った。
「いつか振り返ったときに、きっと意味を持つね。今夜のことも、線になる」
夜空は静かだった。風は穏やかで、焚き火の明かりだけが揺れていた。
二人は毛布を肩にかけ、火のそばで横になった。言葉はもう必要なく、ただ星と火の音が、旅の続きを告げていた。