第2話『地図にない泉と月に咲く花』
木の上で鳴いた鳥の声が、ふたりの沈黙をやわらかく揺らした。
罠から解放されたあとは、少し離れた木陰で腰を下ろしていた。
地図帳をひざに置いたまま、リアナは隣に座るエルミナの手元をちらりと見た。
エルミナは小さな布包みをひろげ、拾い集めた草花を一枚ずつ丁寧に仕分けていた。小さな白い花、細長い葉、赤紫に変色した茎。色や傷み具合、香りの強さ、裏側の葉脈に至るまで確認し、それぞれ別の紙にくるんで並べていく。
風に乗って、かすかに青くすんだ香りが漂った。
リアナはその手つきをしばらく眺めていたが、やがて地図帳を閉じて問いかけた。
「エルミナは、何か探している薬草があるの?」
エルミナは顔を上げると、一輪の花弁を指先に挟んだまま、静かに答えた。
「月光花っていう花があるの。夜の泉に咲くって言われてる。見たことはない。でも、小さいころからずっと、探してる」
「月の光に咲くってこと?」
「うん。おばあちゃんが言ってた。月が高く昇った夜にだけ、白く光るんだって。霧の泉のほとり、風が止まったときにしか見えない花。泉には妖精がいて、その花をずっと守ってるって」
語る声は静かだったが、その中に宿っている記憶の温度は強かった。
リアナは驚いたように目を細めた。
「妖精の泉……それ、私も聞いたことがある。誰かが一度だけ見たっていう、地図にも載ってない泉。霧が深くて、方向もわからなくなるから、誰もちゃんと探しきれてないって」
エルミナは、にこりともせず、わずかにうなずいた。
「伝説かもしれない。でも、ほんとうにあるなら……見てみたいって、ずっと思ってた。おばあちゃんの話を、ただの夢にはしたくないから」
リアナは地図帳を抱えたまま、しばらく黙っていた。そして、笑った。
「それならさ、エルミナ。月光花を探しに行こうよ。薬草を見つけたいエルミナと、地図を描きたい私。ぴったりじゃない」
エルミナは驚いたように瞬きをし、それからほんの少し、口元をゆるめた。
「……うん。目的が、できたのかも」
リアナは立ち上がり、肩のポーチから一枚の羊皮紙を取り出した。端が少し折れているが、紙面はまだまっさらだった。それは、いまここで始まったばかりの旅の、真新しい地図。
地面に広げ、木炭を手に取る。中心より少し北東寄りの場所に、小さな黒い丸をひとつ、丁寧に描いた。
新しい大きな地図に、小さなしるし。
リアナはその横に、静かに文字を書き添える。
《妖精の泉》
エルミナがそれを見つめて、小さく笑った。
「……その丸、なんだか、いいね」
リアナは頷いた。
「最初の目印。二人で、ここを目指そう」
並んで地図を見つめる頭上では、夕陽が木の隙間から差し込み、金色の光が紙の上をそっと照らしていた。




