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第1話『銀の髪の少女と迷いの森』

 昼を過ぎても、森の中は薄暗かった。

 枝葉が密に絡まり、空からの光を拒むようにしている。湿気を帯びた空気がじっとりと肌にまとわりつき、音すらも吸い込まれていくようだった。


 そんな場所を、ひとりの少女が歩いていた。リアナ。灰色の瞳が、鋭く前を見つめている。

 手には磁針盤、腰には簡素な測距ロープ。肩には小さなポーチ。中には木炭と折りたたんだ羊皮紙、そして地図帳が収まっている。


「北北西に十八メートル。さっきの倒木からは、ちょっと角度ずれてるな」


 リアナは磁針を確認しながら、麻ひもの結び目を数えて歩を進める。五歩ごとに地面を確認し、目に留まったものはすぐに記録。

 倒れた木、苔のつき方、陽の差し込み具合。すべてが彼女の描く地図にとって、意味のある情報だった。


 足を止めると、革帳面を膝に置いてスケッチを始める。地面の傾斜、小川の位置、風の通り道――どれも短い線や記号で手早く記録されていく。


 だがその集中が、一瞬だけ途切れた。


「……縄?」


 かすかな違和感を覚えて目を凝らす。枯れ葉の下に、わずかに見える麻縄の輪。そして、それを支えるような枝のしなり。


「仕掛け罠。吊り上げ式か……」


 声に出さず確認し、慎重に脇をすり抜けようとした。だが、その足が別の仕掛けを踏み抜いてしまう。


 バチン、と音が鳴り、リアナの体が空へと持ち上がった。


「っ、わっ――!」


 逆さまの視界がぐるぐると回る。麻縄が足を縛りつけ、地上から一メートル半ほどの高さに宙吊りにされた。地図帳と磁針が地面に落ち、ロープがぶらりと揺れている。


「……まいったな。完全に見落とした」


 落ち着いた声でつぶやくが、悔しさがにじんでいた。ナイフは足元に落ちている。枝の太さ、縄の結び……すぐには抜けられそうにない。


 その時、気配が揺れた。


「……動かないで。すぐ、切るから」


 どこか淡々とした声が、静けさの中に染み込む。

 見上げると、黒いローブの少女が枝の向こうから姿を現した。紫がかった長い髪。月の影のように静かな瞳。


 彼女は細身の小刀を取り出し、ロープの結び目を的確に裂いた。リアナの体がふわりと落ち、地面に膝をつく。


「……ありがと。助かった」


「気をつけたほうがいい。この森、罠が多いから」


 少女はそう言って背を向け、落ち葉を丁寧に払うと、小さな布包みを開いた。中には、乾かしかけの葉が何枚か並んでいる。折り方や分類の仕方に無駄がない。


 リアナは地図帳を拾い上げ、ほんの少し距離を保ったまましゃがみ込んだ。視線を向けると、エルミナが落ち着いた手つきで葉を指で分けている。


 その様子は、ただの植物好きではない。目的があり、手順を知っている者の動きだった。


「……それ、薬にするの?」


 リアナが問うと、エルミナはうなずいた。


「これは喉の痛みに効く。こっちは、煮出すとよく眠れる」


 ひとつひとつに、確かな知識が添えられている。リアナは自然と目を見開いた。


「詳しいんだね。誰かに教わったの?」


「おばあちゃん。山の村で、ずっと一緒に暮らしてた」


「薬師か何か?」


「うん。私はエルミナって言います」


「リアナ。地図を描いてるんだ。今も、測量の途中だった」


 名乗り合うふたりの間に、しばし静けさが流れた。けれどその沈黙は、居心地の悪いものではなかった。


「草花って、見た目だけじゃわからないよね。でも、ちゃんと見れば何に使えるか答えてくれる」


「それ、いい言葉だね。なんか地図にも似てる。知らない地形でも、見て、測って、線にすれば意味が見えてくる」


 リアナは地図帳に手を置いて、少し笑った。


「私の座右の銘、教えてあげるよ。『迷ったら、進め』」


「……大胆だけど、嫌いじゃない」


 エルミナの目がわずかに笑みを帯びた。


「明日、奥まで行ってみる。まだ描けてない部分があるし、さっきの罠も気になる」


「……奥のほう、草の匂いが濃い。珍しいのがあるかも」


「じゃあ決まりだね」


 木々の間を抜ける風が、ふたりの髪をそっと撫でた。

 こうして――地図を描く少女と、薬を煎じる少女が出会った。

 森の奥に向かう足音が、ふたつになった。


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