But I still haven't found what I'm looking for
これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。
随時更新して行きます。
【お断り】「風、席、弟子」の三題噺です。
(以下、本文)
孤独な修行僧がいた。
求めても求めても、求めていた仏法が得られない。
師匠を求めて長い旅をした。何人もの師匠のもとで、ありがたい修行を積ませてもらったが、どうも自信がない。
「自分の豆粒みたいな悟りに何の意味があるのだろうか」と、時に悲観することもあった。
お布施は、よく集まった。
人は、相手が言ってる事ではなく、やってる事で判断する。一生懸命さは人を動かす。財布のヒモをゆるめる。説法の内容は関係ない。いや、この修行僧は説法どころか、そもそも人の前に出るのを嫌がるタイプだったのだが。
やがて修行僧は歳を取った。欲望は消えはしなかったが、水気も油気も失せて、枯れてしまった。これを見て、人は「あのお坊さまは、さらに深い悟りの境地に入った」と言う。修行僧は「もう、いちいち気にすまい」と思っていた。そういう所も枯れてしまったのだ。
ある日、若い修行僧が真剣な目をして近づいて来た。「弟子にしてくれ」と言う。
「私は人を教え導くガラじゃないから」と言って断った。
一度、断られて引くタマじゃなかった。
「尊師は求める法にばかり目を向けておられますが、私は尊師の足跡に目を向けております。尊師が死んだら、いずれ足跡は消えます。後から来た者たちには、それをうかがい知る方法もありません。それでよろしいのでしょうか。」
「こいつ、弁は立つな」と修行僧は思った。ほんのちょっとだが、こいつに関心を持った。
「ついて来るなら、ご自由にどうぞ。私は何も教えないし、お布施も分けてあげないよ。それで良ければ。」
その後10年、いっしょに修行した。教え導くどころか、会話すら、ほとんどなかった。
「おはよう」、「あれ、取って」、「これ、置いて」、「おやすみなさい」。
まあ、こんなもんだった。若い僧は、それで通じるヤツだったのである。
少なくとも、おジャマにはならなかった。自分のお布施は自分で何とかできるヤツだった。
ある寒い冬、若い僧が熱を発して倒れた。老僧が看病した。「こいつを失いたくない。別れたくない」と初めて思った。「ああ、そうか。私の執着心は、こんな形をしていたのか」と老僧は気づいた。涙がポロポロ湧いて来た。
三日後、若い僧は死んだ。
「10年間、私の弟子でいてくれて、ありがとう。」
老僧は、もう涙を隠そうともしなかった。「これが私の得た境地なら、それでいいじゃないか」と、なかば開き直っていたのだ。死に行く者の方が毅然としていた。
「やっと弟子と呼んでくださいましたか。ならば、私に末期の法をお授けください。」
さすがの老僧も、泣いてばかりはいられなかった。若い僧をちゃんと看取り、ちゃんと火葬してやった。立ち昇る煙を眺め上げながら老僧は思った。
「感謝すべき相手は、わが弟子ではなく、仏法に対してだな。このすばらしい10年間は、これはお恵みだったのだ。」
もう泣いていなかった。
老僧は「来たる者こばまず」の指導僧になった。評判を聞きつけて、若い修行僧たちが、わんさか寄り付いて来た。
さすがの老僧も自らの責任を自覚した。
「私のもとでダラダラ修行していたら、そりゃその方が楽だろう。私の仕事は、一度受け入れた弟子を、可及的速やかに追い出すことだな。もちろん、私の得たものを持てるだけ持たせて。」
ある夏の暑い日、旅にあった老僧は立ちくらみを感じた。「ああ、ついに来たか」と老僧は思った。
「暑さくらいで、よろける修行をして来た私じゃない。」
それくらいのプライドはあったのだ。
「ごめんなさいよ。少し休ませてもらえませんか。」
目の前の農家で、庭仕事をしていた男に声をかけた。
初めて会う男だったが、家の中から急いで椅子を持って来た。
「さあ、どうぞお座りください。これが尊師のお席です。」
「ほい。ありがとうさん。」
老僧は素直に受けた。ついて来た弟子たちは、お天気の話でもするような調子で、老僧に話しかけた。
「尊師、私たちに最後の法をお授けください。」
「それじゃあ、言うよ。形は無いけど、力あるもの。とどまってはいないけど、無くならないもの。それは、なぁんだ?」
声を発するたびに、自分の命が口から抜けて行くのが分かった。
「風しかり。水しかりですね。」
「ああ、その通りだ。もっと気の利いたことを言いたかったんだが、もうこれが限度なんだ。その代わりと言っちゃあなんだが、これから死んでみせるよ。」
3分後、老僧は死んだ。
「葬式は簡素に済ませ、骨は川に撒いてくれ」と遺言したのに、そうはならなかった。死ぬまでは自分の人生だが、死んだ後のことは、どうしようもないのである。