悪手、握手
前篇
「ぐううううっっ」
鉄の女の左肩には相変わらずの激痛があった。先ほど、茜が意識を取り戻す前にあまりの茜の暴挙についかっとなり突っ込み、案の定、左手を失うことになった。痛みで思考が停止する。今はこの場から逃れることよりも生きることを身体が優先しているのがわかる。
だが、目の前には茜がいた。
感覚でわかる。どんだけ論理的に思考しようともいくら公式を積み重ねようともどれだけのデータから導くよりもより正確に早くわかる。
それはいつだって唐突だ。それは自然なくらいに不自然で、不自然なくらいに自然である。人はいつだってそれに抗ってきた。人はいつもそれとは真逆に位置するのを望み、選び続けてきた。それから逃げたいがために。だが、それから逃れることは不可能だ。それがそれの役目で、それを全ての生物が内に持っているのだから。それは、神様からの送りものなのかもしれない。それは神様からのプレゼントだ。今まで、御苦労さまという。
ああ、わたしはここで死ぬんだな。
彼女はそれを理解した。
だが、彼女はそれを受け入れた。それ以外の選択肢がないのも理由であるし、もう一つ、理由があった。それは、茜が泣いていたことだった。どうしてこんなに名残惜しそうな顔をしているのだろう。今まで、わたしを殺そうとしていたくせに。彼女には理解できない。理解できないが、感覚でわかった。
「ふん、てめえ、」
わたしのことなんかさっさと忘れろよ。
茜の目には素晴らしい生きざまの女が写っていた。自分ができないことを簡単に受け入れられる、そんなとっても大きな女性。
せめてひと思いに、苦しませることなく。
茜は右手を振り上げる。どうしてだか、視界が狭まってくる。かすんでくる。胸の内から熱いものがこみ上げてくる。右手を振り降ろし、頭を潰す時、茜の耳に声が聞こえた。だが、それはすぐに茜の頭から消えていった。
迷わず、余韻に浸ることなく、後悔することなく茜は振り向く。自分の背後に立っている女性、美香の方へ。言葉はない。ただ、視線が全てを物語っていた。
憎悪。
それのみだ。
だが、茜は怯まない。ここでひるんではダメだ。涙も止めろ。最後まで悪に徹するのだ。自分が全てを背負うのだ。誰に罵倒されようと、間違っていようとそれでも全てを背負う。きっとこうした方がいいだろうから。こうすることが全てを救うことになるだろうから。
ひゅん。
風を切る音。その音に気づくと同時に茜の身体に何かが当たり、貫通した。
「ああっ!!」
痛みにしゃがみこむ。見ると、腹部から血が流れでている。
銃弾?と思い、茜が後ろを振り向くとそこには血がべっとりついた小石があった。すぐに美香の方を見る。だが、そこには美香の姿はなかった。小石を投げる素振りすらわからなかった。おそらく、あれが武の力なのだろう。今まで以上の力だ。おそらく、憎悪からの力だ。
すぐに次がくるだろう、そう思った茜は咄嗟に近くの瓦礫に身を隠した。先ほど、茜があばれたおかげでここら一体は爆撃された跡地のようになっている。隠れる場所には困らない。だが、同時に小石にも困ることはない。すでに負傷した茜には長期戦はふりだ。
「わたしが全てを背負うんだ。わたしが全てを背負うんだ。わたしが全てを……そう。わたしがみんなを救うんだ。絶対に」
今ならなんだってできる。今なら何にだって耐えられる。今だけなら。茜は再びビースト・フォームになった。
匂い。
で、全てがわかった。美香の位置はわかる。茜の位置から斜め一直線のところに美香の匂いがあった。あれほど、美香と戦っていればわかる。間違うはずもない。
茜は美香がいるであろう方に向く。大きな瓦礫があるおかげで美香からはビースト・フォームになったことはわからないはずだ。さらに、美香は動く気配はない。何か策を練っているのか、もしかしたら先ほどは茜にはわからなかったが、どこか負傷し休んでいるのかもしれない。いずれにしろ、先に美香に気づかれてはいけない。勝負は一瞬だ。いくつもの瓦礫を壊し、一直線に行くのみ。
茜は両足に力をいれる。これが最後だ。全身全霊で茜は瓦礫に突っ込んだ。
一瞬でいくつもの瓦礫を破壊する。匂いが近い。
右手を振り上げる。次の瓦礫だ。その後ろに美香はいる。
茜は躊躇することなく、右手を振り降ろした。
瓦礫の次に、その硬さとは質が違う、それよりも幾分やわらかい何かが茜の右手に触れ、次に生温かいものが触れた。茜の右手の下には、頭を潰された美香がいた。
再び、茜の視界が歪む。また、彼女は泣いていた。だが、声は出さない、でない。だって、まだ終わりではないから。まだ、やることがある。美香の身体が光に包まれると、指輪となった。茜はビースト・フォームを解く。指輪には目もくれない。
まだ、終わりではない。まだ、決着はついていない。まだ、誰も救済していない。
「出て、こーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!」
声帯が破れるほど大きな声で、これまだ出したことのない大きな声で茜は叫んだ。あいつに会うために、自分の内側にいるあいつに。
後篇
茜が次に見たのは真っ白い空間だった。あまりの白さにそこが先ほどと同じ場所とはすぐには認識できなかったが、自分の前で笑みを浮かべて立っている鎧の男を見てそこが先ほど真っ黒だった希望も光もない空間と同じだと認識する。
鎧の男が先に口を開いた。
「よお、また来たんだな……それにしても、すごいじゃないか。あの短時間で二人も殺すなんてさ。俺とお前が組めば、最強だよ。俺と組もうぜ」
「…………」
茜は表情一つ変えずに男を見つめたままだ。
「ん? どうしたんだよ。嬉しいだろ? 殺せてさ。あっ、そうだよ。全員殺せばな、お前はなんでも好きな願いを叶えることができるんだぜ。俺が協力してやるからよ、あっという間だ。なんでもさ。永遠の命だって夢じゃない。圧倒的な力だって。世界をお前の好きなように変えることだってできてしまうんだぜ? まあ、後どのくらい残っているかは知らないが……お前なら大丈夫だよ」
と余裕の足取りで茜との距離を詰める男。そして、右手を差し出す。
契約の握手。約束の契り。仲間の証明。
「…………」
茜は無言で左手を差し出し、男の手をパンッと叩いた。
「……はっはっは。何だそりゃ」
と不快感を示す男に、
「わたしはあんたなんかとは組まない。あんた達なんかとは組まない。自分のやってきたことくらいわかってる。だから、わたしは決めたの。全部救うって。アンタを巻き込んだのもわたし。だから、わたしが責任を持って救う」
と決意あふれる眼を向けながら告げる。
「はいはい。はいはい。いいよ、そういうのは。あーあー。めんどくさいなあ。仕方ない、お前を喰ってやるよ。その身体、俺がいただいてやるよ」
と右手を茜の顔面に叩きこむ。だが、茜は全く動かない。
視覚的にそれを違和感を抱いたのと同時に、感覚的も違和感を抱く。力を込めて殴ったのに、まったく手ごたえがないのだ。なにを殴ったのかわからない恐怖。目の前になにがあるのかわからない恐怖が鎧の男を襲う。
だが、その状況にも関わらず、鎧の男は少し感情の高ぶりを感じた。
一体、こんな感じはいつぶりなのだろう、と。
全能力の中で4番目、実質的には5番目に位置する獣の能力――
一位――神
二位――天使、悪魔
三位――怪
四位――獣
――だからこそ、それ相応の誇りがある。
敗北――を知ることが存在の否定と同義であることを誰よりも知っている。勝利――の二文字の甘美なる響きが自己を更なる高みへと導くことを誰よりも知っている。
だから――
だから――
「…………!」
凶器――こそが獣の本質。
狂気――こそが獣の本能。
狂喜――こそが獣の本望。
「ぶっ殺す!」
茜と鎧の男は拳を交えた。
理解――できない。
人間にやられるなんて。
群体でしか生きれない人間に――群体でやっと存在の意味がある人間に。個体として存在価値を持っている自分たちが負けるわけがない、と思っていた。だが、この状況はなんだ。どうして、一方的にやられている。どうして、一撃も通らない。
ここが奴の精神世界だろうか? それにしたって、俺は奴の精神世界にまったく侵入できないはずがない。それほどの精神こんなガキが持っているというのか。
これが――死。
終わりに追われるという感覚。
「くそおおおおおおおお!」
視界が変わる。
男の目に飛び込んできたのは、瓦礫の山。そこには元の姿形をしていたものがなにもない。
「ふ、ふははは!」
両手を見る。
自分の身体。
「俺が! 俺が勝ったんだ! ははは! やはり俺たちが人間なんかに負けるはずがないんだよ! この身体、この鎧! 久しぶりじゃないか。さーて、これからどうしようか……怪の奴でも探しにいくか。あいつ、今はどうなってんだ? まあ、ここから、人間への逆襲が始まりって感じか。ははは!」
と男は太陽を掴むように両手を天へと伸ばし、気づく。
男の右手が、指先から消える。
「は!? おい。なんだこれは! 待て! 待て待て待て! 俺が、俺が人間なんかに、あんな女なんかに負けたっていうのか? 待てよ! おい。そうだ! また別の人間に!俺たちは永遠のはずなんだ! はずなん」
鎧の男の存在はなくなった。指輪にもならず、光にならず、どこにも存在しなくなった。そして、そこには茜の存在もなかった。




