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後編

 フェルと約束をしてから数日。フェルは宣言通りテレーゼの部屋に来なくなってしまったが、彼女はフェルの「この国から連れ出す」という言葉を希望に相変わらずの日常を過ごしている。

 ところがそんなある日、彼女にとって気がかりな噂が城の中を巡った。


「フランネル王国に攻め込む? いつかそうなるとは聞いてたけど……」

「声が大きい! 陛下はずっと港を欲しがっているって言われてたものね。でもそうなると戦争になるのよね、心配だわ」

「大丈夫よ、我が国には優秀な魔術師団がいるもの。それにフランネル王国は騎士も魔術師もあんまり強くないって噂だわ」


 ずしりと重い洗濯物の入ったかごを抱えて歩いていたテレーゼは、使用人用の廊下でそんなヒソヒソ話を耳にして思わず立ち止まる。


 フェルの故郷、フランネル王国はヴァルネット王国のお隣。国の大きさも同じようなものだ。しかし内陸国のヴァルネットと違い、大きな港町を有していて貿易を盛んに行っている。

 そんな隣国を羨んで、ヴァルネット王がフランネルに攻め込む機会を伺っている。そんな噂はテレーゼも耳にしたことはあった。


 しかし、海に面した場所で長年やってきた国がそんなに弱いとはテレーゼには思えないし、何よりも戦争になれば多くの血が流れる。

 どうにか思いとどまってくれないか、そう願うテレーゼだったが、その願いは残念ながら届かなかった。






「我が国は長年の悲願であった港を手に入れるべく、フランネルへ攻め込む。出立は明朝。準備は出来ているな」


 その宣言に謁見の間に集められた騎士団と魔術師団の幹部達が敬礼をする。


(まさか……こんなに早く決まってしまうなんて、どうしよう)


 普段は表舞台から遠ざけられているテレーゼも、さすがに今回ばかりは王族らしいドレスを纏い、謁見の間へ出るよう指示された。


「それからルイーゼには負担をかけるが、魔法薬を今まで以上に量産して欲しい。すぐにでもかかれるか?」

「もちろんですわお父様。皆さんのためですもの」


 そう言って微笑みつつ、その視線が一瞬テレーゼを睨みつける。キビキビ働け、ということだろう。しかしテレーゼはその視線以上に、魔法薬がたくさんいるーーつまりたくさんの血が流れる、ということに恐怖していた。


 それから夜遅くまで魔法薬作りに勤しみ、自室に戻ってからも一睡も出来ずに朝を迎えたテレーゼ。ところがフランネル王国との戦いはあっという間に、それも思わぬ展開で終わる。


 クーデターが起こったのだ。

 王へ反旗を翻したのは魔術師団長。なんでも好戦的な国王に度々反発していた彼は


「今こそ、行動するときだ。さもなければ大きな後悔が待っている」


 と、夢枕で誰かに告げられて、その決心を固めたのだという。 


 しかもタイミングを図ったかのように、両国を隔てる森に巧みに身を隠していたフランネルの王太子、フェルナンドの率いる軍勢が一斉に城を取り囲んだ。

 能ある鷹は爪を隠す、と言わんばかりに高い練度を持っていたフランネルの魔術師団と、ヴァルネットが誇る魔術師団。双方に挟まれた近衛騎士はあっという間に戦意喪失、ほとんど血も流れないまま、国王はフェルナンド王子に拘束されたのだった。






 それから数日後、王妃と3人の娘達は謁見の間でフェルナンド王子がやってくるのを待っていた。彼女達の処遇が決まったというのだ。

 侵略を目論んだ国王は、フランネル王国と親交の深い西大陸の魔法石鉱山へ送られ、終身の強制労働が課せられるという。


 命をとられなかった時点でかなり甘い采配だとはいえ、自分もまた鉱山へ送られるのか。テレーゼが恐怖を隠せないまま控えていると、そこへ颯爽とフェルナンド王子がやってくる。


 フェルナンドはスラリとした体躯と艶のある深い茶色の髪に、どこか可愛らしさの残る甘い顔立ちの美青年。しかしその振る舞いは堂々としている。王妃に王女達、そして集まった重臣たちの礼を当然のように受けて、彼は玉座へと腰掛けた。


「さて……回りくどいことはせず、単刀直入に申し上げよう。陛下と相談した結果、こちらにはほとんど被害がなかったことも鑑みて、条件付きで温情を与えようと思う。ヴァルネット王国については、体制が整い次第、新たな指導者へ権力を返還する。王妃並びに娘たちについては、フランネル王国の北にある修道院へ送ることとする。異論は?」


 その言葉に謁見の間にはざわめきが広がる。ほぼほぼ国王の独断だったとはいえ、侵略を目論んだ国への対応としては破格だろう。ただ1人、落ち着いた声で口を開いたのは王妃だった。


「殿下、穏便な采配、深く感謝致します。……が、条件とはなんでしょうか。それを知らないことには……」

「うむ。次女、テレーゼ姫。彼女を私の妻として迎えたいと思う。それが条件だ」


 その言葉にさらにざわめきが大きくなった。人質代わりに姫を王子の妻に、それ自体はよくあることだが、どうしてまた、「役立たず」の次女なのか。そして誰も口には出さなかったことを堂々と口にしたのが長女、ルイーゼだった。


「お待ち下さい、殿下! 結婚でしたら私でも。いえ、魔力を持たぬテレーゼより私のほうがずっとふさわしいかと」

「私はテレーゼを、と言っている。ーー条件を呑めぬなら、そなたは鉱山送りでも良いのだが?」

「い、いやそれは……出過ぎた真似を……」


 自分の方が結婚相手としてふさわしい、そう立ち上がって、主張する彼女をフェルナンドが一喝する。その睨みつけるような視線にルイーゼはしおしおと崩れ落ちた。


「伝えたいことはこれだけだ。皆下がって良い。ああ、テレーゼ姫。あなただけは残るように」


 その言葉には、もはや誰一人逆らおうとはしない。フロンドル王国の魔術師を僅かに残して、全員が退出したのを確認してから、


「さて……テレーゼ姫。こちらへいらして下さい」


 と、フェルナンドがテレーゼを手招きする。先程までとは打って変わった柔らかい声音に導かれ、テレーゼは玉座の傍による。そしてドレスの裾を大きく広げて礼をした。


「フェルナンド殿下。この度は私達に情けをいただき感謝致します。……ですが、本当に私で良かったのでしょうか?」

「良かった……? と、いうのは?」

「姉が申しました通り、私は特別なものはおろか、日常的に使われる魔法すら使えない、役立たずにございます。妻とされても足手まといになるだけかと……」


 伏し目がちに言うテレーゼにフェルナンドが1つため息を付く。妙に色気のあるその仕草にテレーゼがドキリとしている間に、彼は玉座から立ち上がり、テレーゼの傍に膝をついて彼女の翡翠色の瞳を覗き込んだ。


「あなたはもう少し自分に自信を持ったほうが良いようですね。それはそうと……あなたを選んだのには理由があります。……これから起こることを内緒にすることは出来ますか?」


 どこかで聞いたような言葉にハッ、とすると宝石のような水色の瞳と視線がパチリ、とあう。そこでテレーゼは慌てて何度も頷いた。


「結構です。ではいきますよ!」


 そう言うと「ボボン」という音がして、フェルナンドの姿がポンっとかき消え、変わりに可愛らしいくまのぬいぐるみがそこに立っていた。


「まさか……フェル様! いえ、フェルナンド殿下……といいますか……ということはこれまでなんという不敬を私!」

「焦らないで下さいテレーゼ。あと、フェルは家族が私に使う愛称なので、これからもフェルで結構ですよ」

「えーと……で、では……フェル様」


 結局最初の呼び方に落ち着いたテレーゼ。そんな彼女の膝にフェルナンドはポフっと飛び乗った。


「あなたは命の恩人です。勝手なことをして申し訳無いですが、すでに陛下も認めてくださっています。あと、あなたは魔法が使えない訳ではないですよ」

「えっ! ……ですが私は何度やっても、かすかな火も僅かな水も出せないのです」


 突然王子に告げられた言葉に、テレーゼは困惑の表情を見せる。そんな彼女にフェルナンドはニッコリと微笑んだ。


「あの時、僕が元気になるように、って祈ってくれたでしょう? だから僕はあんなにボロボロだったのに元通りに戻れたんです。テレーゼが持っているのは癒やしの力ですよ」

「癒やしの……?  ですか?」

「ええ、まれにではありますが、1つの魔法に特化した子供が産まれることがあるそうです。そういった子供は、その魔法が何かわかるまでは『魔力がない』と判断されることも多いのです。祈るだけで直接人を治療出来る人は滅多にいませんから、試そうとも思わなかったのでしょう。きちんと理論立てて勉強すれば、使いこなせるようになると思います」

「で、では私は『役立たず』なんかじゃないのですか?」


 思わずそう言ったテレーゼにフェルナンドは少し不満げに口を尖らせ、膝から飛び降りる。と今度はテレーゼの右手を両手で握り込んだ。


「何度も言っていますが、あなたは自己評価が低すぎます。働き者で優しいテレーゼ。それは何よりもの美徳ですよ」


 そう言って、フェルナンドは手袋越しに軽く口付ける。それから今度は軽やかにテレーゼの眼の前に戻り、膝をついた。


「テレーゼ姫。あなたのことを一生涯愛すると誓います。魔力があってもなくても変わりません。どうかフランネル王国へきて、私の妻になってくださいませんか」


 そう求婚の言葉を口にしながら、右手を差し出す。アクアマリンの瞳が低い位置からテレーゼの瞳を射抜いた。


「は、はい! 私で良ければ」


 その言葉にフェルナンドは嬉しそうにテレーゼの胸に飛び込んでくる。テレーゼはそのふわふわの体を受け止めて、ぎゅっと抱きしめるのだった。






「うぅ……本当に私、陛下の前へ出て大丈夫でしょうか……?」

「心配ありませんテレーゼ。陛下も妃殿下もとても優しいお方です。それに振る舞いだって完璧だ、って侍女頭も言っていたでしょう?」

「え、えぇ。そうなのですが……」


ヴァルネット国王によるフランネル王国への侵攻計画とそれに反発した者によるクーデター。その後処理を終えたフェルナンドと共にフランネル王国へやってきたテレーゼは不安げな表情をしていた。


 異国の品と思しき見たこのない色使いの絵画が並ぶフランネルの王城の廊下。テレーゼはそこをフェルナンドと緊張しながら歩く。今日は彼の家族ーーフランネル王族との顔合わせなのだ。


 故郷でも一通りのマナーだけは教えられたテレーゼだが、実際の社交経験はないに等しい。それがなおのこと彼女の緊張を高める。そんな彼女を安心させるようにふわりと微笑みつつ、フェルナンドは彼女を謁見の間へとエスコートした。


「ようこそフランネル王国へ!」


 ギィっと音を立てて豪奢な扉が開く。と、その向こうに見える王族達にテレーゼは目を見開いた。


 玉座に座っていたのは、フェルナンドよりも丸っこいくまのぬいぐるみ。その隣では少し背丈の低いぬいぐるが凛とした笑顔を浮かべている。彼らの周りに立つ、王子や王女、王弟までもがみな、くまのぬいぐるみだった。


「驚かせて済まないねーーこれは我が王家に伝わる秘密の魔法なんだ。テレーゼ姫はこの姿の方が緊張しないか、とおもってね」

「お気遣い感謝致します。ヴァルネット王国より参りましたテレーゼと申します」


 ぬいぐるみ姿での出迎えは王族一家の配慮だったらしい。そのことに感動しつつ、テレーゼはきれいなカーテシーを披露する。


 フェルナンドもその気品ある仕草を微笑んで見守っていたが、その後にテレーゼが頬を高揚させて思わず小さな声で呟いた


「か、可愛い……」


 という言葉を聞いて、笑顔を固まらせた。






「テレーゼは可愛ければ誰でも良かったんですね……」

「そんな! 陛下のお気遣いには感動しましたが、私の一番はフェル様です! その……ぬいぐるみのお姿でも人のお姿でも」


 テレーゼの私室に戻ると、珍しく年相応ともいえる不満顔をしたフェルナンド。そんな彼の言葉にテレーゼは慌てて弁明をした。


「ふぅん……」


 そう言いつつ、ご機嫌斜めは変わらない。いつも紳士的なフェルナンドなのに、今日はソファの上でテレーゼににじり寄り、妖しい笑みを浮かべて彼女の髪を弄んだ。


「では……こういうのはいかがでしょう。フェル様のお心を煩わせたお詫びに何でも1つ言うことをお聞きします。それで水に流していただくのは……」

「……何でも? 本当にそんなこと言っていいのですか?」

「ーーっ! えぇ、フェル様なら無茶はおっしゃらないでしょう?」


 多分に色気を含んだ流し目にピキリ、と固まりつつもなんとかそう言うテレーゼ。


 ぬいぐるみ姿のフェルナンドはとにかく愛らしいが、人の姿のフェルナンドは絵本の登場人物もかくや、という美青年だ。そんな彼の美貌や恋人らしい振る舞い、というものにテレーゼはまだ慣れていない。

 普段なら、初心な彼女を気遣い、さり気なく距離をとったり、安心させるように微笑んだりーーいっそぬいぐるみになったりしてくれるフェルナンドだが、今日の彼は少しだけ意地悪。


 どこか妖しげな表情のまま、ソファにかけるテレーゼの耳に唇を寄せる。そして触れるか触れないかの距離でこう囁いた。


「では口づけを」

「ーーっんん!」


 テレーゼは思わず言葉にならない悲鳴を上げる。


「なんでも、とおっしゃいましたよね」

「は、はい……。えーっと……ただその……ぬいぐるみの姿で許していただくことは……?」


 ぬいぐるみの姿ならともかく、生身のフェルナンドに口づけた暁には卒倒しかねない。顔を真っ赤にしてそうお願いするテレーゼ。

 王子は一瞬だけ不満顔をするも、すぐにいつもの微笑みに戻ると、「ボボン」という音を立てて、ぬいぐるみに変身した。


「じゃあ、今日はこれで勘弁してあげましょう。さ、テレーゼ?」


 ぬいぐるみに変身した、というのに今日の王子はやっぱり意地悪。テレーゼの膝によじ登ると、アクアマリンの瞳を煌めかして、上目遣いに見つめる。


 しかし、約束は約束だ。テレーゼはフェルをそっと抱き上げると、顔を耳まで赤く染めながら、その整った唇にそっと口づけを送るのだった。




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