過去の記憶
レイラの前世の記憶について。
重いです。
ラブコメ……とは?
追記
少し修正しました。
私の前世──七原玲という名で、現代日本で暮らしていた頃の話だ。
一般家庭に生まれ、一人娘として可愛がって育ててもらった典型的な幸せというものを謳歌していたごく普通の女の子だった。
友人はそれなりに居て、美人の母に似たことで、見た目もそれなりに整っていたし、勉強も天才ではなかったけれど、努力すれば秀才くらいにはなれた。
外で遊ぶことよりも教室で本を読むことが好きな子どもで、誘われなければいつも教室で本を読んでいた。
どこにでも居る小学生として卒業し、中学生になった私の転換点は、中学1年生の冬頃のことだった。
それが悪夢の始まりだったとも言う。
「七原さん、俺と付き合ってくれない?」
「え?」
週に数回活動の手芸部に入っていた私は、毎日部活に精を出す訳でもなく、それなりに中学生活を送っていた。
女子の友人はそれなりに居たけれど、あまり男子とは関わりのなかった普通の毎日。だからか、そういう告白なんて出来事が私に起こるとは思っていなくて。
「えっ……」
バレンタインでザワついていた校内、まさかの逆告白。
呆気に取られた私だったけれど、佐々木くんと名乗っていた少年の強い押しに負けて頷いてしまったことが私の大きな失敗だった。
私は迂闊だった。
付き合うとか恋愛とか、物語でしか見て来なかったけれど、佐々木くんが学年1のモテ男だということは知っていたというのに。
確かに顔は良いなあと通りがかりに眺めたことはあったから。
その本人と関わりはあまりなく、隣のクラスだったから、私は話しかけるなんてしようとも思わなかったし、正直、あまり興味なかったのだ。
この時、告白を受け入れたことが私の人生をある意味、大きく変えたのだと思う。
断っておいたら何か変わったのかもしれないし、何も変わらなかったかもしれない。
次の日、教室へ入ったら、私の机がなかった。
クスクスと笑い声が聞こえ、そちらに視線を向けるとサッと目を逸らされる。
典型的な虐めの始まり。
学年一のモテ男と恋人になって、女子生徒の顰蹙を買い、ハブられる羽目になる。
ある意味どこにでもある、ありふれた結果。
同じクラスの高橋さんは佐々木くんの幼なじみで、幼い頃から彼のことが好きだったというのも後になって知った。
高橋ミリアさんは女子のリーダー的な存在の女の子。家が裕福でブランド小物をたくさん持っていて、流行の最先端に居るような目立つ子で、可愛らしくて男子生徒の中でも人気の子だった。
「ずっと昔から佐々木くんのことが好きだったのに、ミリアが可哀想!」
「陰気な根暗女のくせに、生意気!」
「そうやって、被害者ぶってうちらが悪人みたいな顔すんの止めてくんない?」
高橋さんの周りには派手な女子たちが集っていて、悲しそうに俯く高橋さんを守るように私に対峙していた。
高橋さん本人は何も言わないし、私を罵倒する訳でもなかった。
けれど、高橋さんは、私が何を言われようとも彼女たちを諌めることはしない。
その時点でお察しだ。
誰にも見えないところでほくそ笑むのを私は見て、私は確信した。
元凶はこの女だ、と。
高橋さんに目の敵にされ、学年中の女子が敵に回るのは、早かった。
それなりに居た友人たちは皆、高橋さんとその周りの派手な女子たちに萎縮して、私から離れていった。
気持ちは分かる。学年中どころか、上の学年にも高橋さんの知り合いは居るし、私を庇って先輩に目を付けられるのは誰しも嫌だろう。
中学の頃、先輩は絶対という風潮がどこもあったのだから、理屈では理解していた。
日々を過ごせば過ごす程、嫌がらせは悪化していく。
陰口は繰り返され、物はなくなったり壊れたりしていく。
そして、時折思い出したように私を集団で取り囲む。
生傷が絶えなかったと言えば、状況が伝わるかもしれない。
そして、ある日のこと、佐々木くんにはこう言われた。
「皆に嫌われるってことは、七原にも問題あったんじゃないの?」
集団に囲まれる私を、見て見ぬふりしていたことは気付いていた。
彼女が連日虐められているということが彼にとって迷惑だったのも知っていた。
男子同士での会話を聞いたことないけれども、彼は彼で、学年中の女子からハブられる女が重荷になっていたのだろう。
私を守ろうとする程好きではなかった、とそれだけのお話。
佐々木くんからは「思っていたのと違った」と、別れて欲しいと言われて、彼との恋人期間はあっという間に終わる。
これで解放される!という訳ではなかった。
悲しいことに虐められているという風潮は、伝染するのだ。
1度、そういう空気になってしまったらもう、後の祭り。
男子の中でも、からかうような空気が蔓延し、佐々木くんを除いた男子たちは、私に向けて卑猥な冗談を口にして笑っている。それは虐めているつもりはなくて、ただの暇つぶしの冗談だったのだろう。
怒りなんてものは、とうになかった。
疑問なんてものも、とうに感じなかった。
佐々木くんと付き合ったのは、1週間と少し。
虐めは半年経っても続いていることにおかしいと思いつつも、受け入れてしまっている私が居た。
心配かけたくなくて学校には通い続けたし、良い成績を納めたし、1人でも平気だと私はそんな顔をして抵抗していて。
それが気に触ったのかな?
もはや何をしても悪口は止まない。
彼らにとっては娯楽のようなもので、私を罵倒したりすることで、仄暗い一体感を覚えていたのだろう。
私に対する虐めはなるべくバレないように行われていたが、さすがに担任の先生は気付いていた。
ただ、担任の若い女教師は、見て見ぬふりをした。
教室の入口から目が合って逸らされたのを知っている。
「あんたら、そんなことをして何が楽しいの?」
中学2年の秋頃に、ある転入生──山本さんという女子が庇ってくれた。
「山本さん、私を庇うと色々言われるよ?」
だから止めた方が良い。私はもう慣れたからと必死で伝えた。
この頃には何も感じなくなっていたから。
どうでも良い人に嫌われていても、どうでも良いとすら思っていた。
心の傷は深く、ガラスの棘のようなものがたくさん突き刺さっていることに目を背けて、私は気丈なふりをしていた。
「私は良いから、慣れたし」
「慣れちゃ、駄目でしょ。この異様な状況に!先生には言ったの?」
学年中が敵に回っているのに、言ったところでどうにもならないと思う。
私は首を横に振った。
それを見て、山本さんは思い至ったように頭を押さえた。
「あ、そっか。余計に悪化するか……」
どうして良いか分からなくなった山本さんは、それ以上何も言えなくなったみたいだったけれど、どうやら私の傍に居ることに決めたらしい。
「私と居るとハブられるから今からでも良い。止めた方が」
「あんな性格の悪い人たちと仲良くなってもね。それだったら七原さんの傍に居た方が楽しいし」
その日、私は山本さんの腕の中で泣いた。
彼女は私の背中を無言で撫でてくれた。
彼女は私を慰めるでもなく、私を虐げる者たちへ何かをもの申す訳でもなく、ただ傍に──私の隣に居てくれた。それがどれだけ私を救ってくれたことか。
流行りのドラマの話とか、勉強の話、将来の話、そういう何げない会話も、彼女の口から出るだけでキラキラとしている気がした。
たくさん話をした。
彼女も彼女で大変な境遇で、両親をなくしており、親戚の家にお世話になっているとか、彼らには厄介者扱いされているとか、そういう話を聞いた。
そんな大変な状況なのに、私に付き合ってくれていることが申し訳なくなった。
そんな彼女は、いつも私に言う。
「反面教師みたいなものだよ。人の振り見て我が振り直せ。それに自分が誇れる自分になりたい」
そういう考え方を出来る彼女を尊敬した。
あと、将来の夢は弁護士になることらしい。
彼女ならなれると思った。
人間不信になった私だけれど、彼女のおかげで皆が皆敵ではないのだと知ることが出来たのだから。
だからこの頃、虐められることは辛いと思っていなかったというのに。
彼女と出会って1ヶ月程、経過した頃。
そんなある日の朝。山本さんが、体育館物置の中から遺体となって発見された。
前日、私が体調不良で早退していたせいで、彼女と待ち合わせをしなかったから、私はその日に何があったのか知らない。
死因は窒息死だと言う。
絶望する私の耳に届いた女子生徒たちの声。
「まさか、本当に死ぬとは思わなかった」
「袋に穴を開けとかなかったの?」
「通報されたらどうすんの!」
ああ。ああ!!
全てを悟る。物置で窒息。袋。
集団で取り囲み抵抗出来ない彼女の頭に袋を被せて、苦しむ彼女を放置した。
警察の調べで袋などから指紋が検出され、押さえつけられた痕跡などから、殺人事件として処理され、判明した容疑者は連れて行かれたらしい。
でも、あの女子生徒たちは捕まっていない。あいつらも明らかにその場に居たはずなのに。
私がその日、体調不良でなかったなら。
違う。
私と彼女が出会っていなければ良かったのだ。
私が目を付けられていたせいだ。そんな私の傍に居た彼女が目を付けられた。
胸が張り裂け、腸がちぎれるかと思った。
息が苦しくて、過呼吸になってぶっ倒れた私は、保健室で目を覚まし──。
ただ、ひたすら震えていた。
弁護士になりたいと言っていた。
「明日になったら、おすすめの本を紹介するね」と私が言って、山本さんは「ミステリーが良い」とリクエストをして笑った。
私が死ねば良かったのに。
どうして、神様は私じゃなくて、彼女を連れて行ったの?
彼女の葬式にも涙は出なかった。
悲しすぎると涙も止まるらしい。
定期的に過呼吸を起こし、食べ物を受け付けなくなりながらも、私は学校に通い続けた。
親にはいつものように平気な振りをして、学校に付けば体調不良になり、保健室で寝込む日々。
学校では騒ぎになっていたが、どうとでもなれと思った。こんな学校潰れてしまえ。
ドラッグストアで包帯を買う。
家に戻って、手首を切り付ける。
傷が塞がって、また傷付けて、包帯を巻く。
誰にも分からないように。
あの子はもっと辛かった。もっと苦しかったのだ。
カッターナイフを持ち歩く。
ある日、どうにもたまらなくなって、保健室で養護教諭の目を盗んで、手首に死ぬ程の傷を付けようとして──。
その養護教諭の先生に取り押さえられた。
様子がおかしい私を少し前から疑っていたらしい。
「何やってんの!?」
死のうと思ったから。
「死ぬつもりだったの?」
学校で死ねば、復讐出来ると思った。
短期間で2人死んだ学校なんて、訳ありすぎて評判なんて、もっとガタ落ちになる。
この間、慌てふためいていた女子生徒たちは、証拠が出ていないから捕まっていないらしいが、その場に居たということは奴らも同罪。何故、のうのうと学校に来ているのか。直接、手を下してないから罪じゃない?
傍観者だって罪だろう。彼女らと殺人犯だ。
山本さんを殺した奴らの進路を滅茶苦茶にしてやろうと思った。
遺書は鞄の中にある。名前は全部書いた。
コピーしたものも、担任の机に置いた。
そういった内容を錯乱しながら叫んで、「死んだら何もかも終わりでしょう!?」と養護教諭の女性──桜川先生は私を揺さぶった。
しっかりしろ。死んだ彼女にとって、大切な貴女を貴女自身が殺すな、と。
何も知らないくせにと思ったけれど、最後の言葉にドキリとした私は、暴れるのを止めた。
桜川先生の手は傷だらけで、私の爪痕でミミズ腫れになっていた。
それから私は保健室登校をすることになった。
保健室の1番奥のベッドに私は生息していた。
「中学生くらいの勉強なら、私も教えられるよ」
サバサバとした桜川先生は、授業に参加出来なかった私の勉強を見てくれた。
「知識は武器になる。たとえ思い通りに習得出来なくても、無駄にはならない。その努力は裏切らない」
業務内容ではないはずなのに。
大人も子どもも信用出来なかった私の傍に居てくれて何も聞かずに居てくれて、私が話したい時だけ聞いてくれる。
出席日数だけ稼いで、テストを受けて、何も考えないように頭の中は勉強のことだけ詰め込んで。
時折、自責の念で死にたくなる私に桜川先生は何度も言った。何度も言い聞かせた。
「貴女は何も悪くない」、と。
傷は癒えない。生きている自分に絶望し、憔悴仕切った姿を見せる私のことを両親は心配し、大いに迷惑をかけ、友人を失ったからだけではないこともいつの間にか知られる。
そして母親にはさらに迷惑をかける。夜寝られない私に付き合わされても、母は「気付くことが出来なくてごめんね」と謝って、桜川先生と同じように「何も貴女は悪くない」と言う。
「生きていたくない」なんて親に言うことではないのに、泣き叫びながらそれを言う私に「生きて」と懇願する。
私は母親をたくさん泣かせた。
卒業するまでは、だいたいこんな感じで、荒れて回復して、荒れて回復して悪化して、持ち直しての繰り返し。
ギリギリの精神状態を保ちながらも、なんとか生きているうちに、やりたいことを見つけた。
「桜川先生。私、先生みたいな保健室の先生になりたい」
私を生かしてくれた先生のような。
もしも、誰かをこうやって救うことが出来るなら。
山本さんと同じように誰かを助けられるようになれるなら。
降り積もった憧れは、傷を癒すことはなかったけれど、歩み出す原動力になった。
1ヶ月程しか一緒に居ることの出来なかった私の大切な友人に相応しい、立派な大人になりたい。
「瑠奈が助けてくれたこの命を、もう2度と無駄になんてしない」
瑠奈。生きているうちに彼女をこう呼ぶことはなかった。
山本瑠奈、という私の友人。1ヶ月程しか話すことが出来なかった、私の大切な友人。




