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十五歳の春。学園に足を踏み入れる時が来てしまった。
ついに、この時が来てしまった。
正門の前に立っていた私は、すっと道を逸れて、教員用の裏口へと向かう。
そう。教員用である。
身に纏っているのは、乙女ゲーム特有のデザインをした学生の制服などではなく、大人しめのワンピースの上に白衣である。
白衣。つまりは医療従事者に見えたら良いなとは思うが、それはまた違う。
私のこの学園での肩書きは医務官助手である。
医療従事者ではないかと思われるかもしれないが、少し違う。
「迷わずに来れたみたいですね」
「あっ、セオドア叔父様!」
白衣を着た医務官の責任者セオドア=ヴィヴィアンヌは私の叔父である。
常に敬語で話す優男系の美人で、父とは違い柔らかな気質を持っている気がする。
うちの家系らしく髪は銀髪で、目は紫水晶。
お父様──ウィリアム=ヴィヴィアンヌの歳の離れた末弟で、闇属性魔術の研究者をしているのだが、医務官を兼任している優秀な男である。
彼の魔術の技術はとても素晴らしく、学園がスカウトしたらしいという噂がある。
私が母から提案されたのは、身内である叔父の元で助手を務めるということ。
完全な引きこもりになるよりはマシだろうと思ったのだろう。
それに、私が何が嫌なのか、分かってそうだったわね。さすがお母様。
普段は楚々としているお母様だが、案外と人を見ており、通信課程のことも最初からバレていたのではないかと実は疑っている。
実技試験なども裏で受けさせてもらい、同級生が卒業するまで助手を務めあげたら正式な卒業資格が得られるということで私は頷いた。
通信課程の卒業資格は既に持っているが、正式な卒業資格は持っていないため、特別措置を受けつつ再入学。
通信課程の私は実技試験の量も通常よりは足りていないため、それを補うことで正式な卒業資格を得られる、と。
代わりに学園に入学する前に、医療従事者補助の基本資格と、薬草調合資格を取らなくてはならなかった。
一年で出来なければ、通常入学と聞いたので、この一年程、私は勉強漬けだった。
前世の大学受験でもこれほど勉強しなかったかもしれない。
「レイラは本気だったのですね。ここまでしてまで学園に通いたくなかったのかと思うと、もっと本気で耳を傾ければ良かった」
「私はいつでも本気だわ」
「卒業資格はあるとはいえ、実技試験は頑張ってくださいね」
「もちろん! 落第する訳には行きませんもの」
裏口から医務室へ移動して驚いた。
「思っていたより片付いているわね。叔父様のことだから雪崩ているものかと」
といいつつも、書類は大量に重ねられ、整理整頓は出来ていないのだけど。
「これでも掃除しましたので」
本棚は無理やり本が突っ込まれ、変な色をした紙が飛び出ているが、きっと頑張ったのだろうと思う。
「医務官増やせば良いのに」
「嫌です」
即答された。
ちなみに、セオドア叔父様は私のように人見知りで人嫌いで、医務官を他に入れるなら辞めると言い出したお方である。
そんな彼がこんなところで働いているのは、おそらく研究費用がたんまり出るからに違いない。背に腹はかえられぬということだろう。
「さて、事前に通知はしているから仕事内容は分かっていると思いますが」
「その前にこの部屋の片付けをしても良い?これはさすがに……」
「そうですね。僕ですと、散らかすばかりなので」
了解を得て、たくさんの書類を纏めながら、ふと私は何かを忘れているような気がした。
「あっ……そうだ。伊達眼鏡……」
鞄の中から取り出した伊達眼鏡を装着して、白衣を引っ張る。
「うん。これで良し」
王太子──フェリクス=オルコット=クレアシオン。彼に深夜に目撃されたため、変装目的で眼鏡を用意してみた。
世の中には眼鏡姿と素顔のギャップが大きい人っていうのは稀にいる訳で。
「もとはといえば、叔父様が月花草が欲しいとか言うから……。」
研究馬鹿──失礼、熱心な研究者である叔父様に恩を売ろうとしただけなのに、非常にまずい事態になった。
とりあえず部屋の中のいらない書類を片付けつつ、時間を忘れた頃になって、外が騒がしいことに気付く。
「誰か、医務官は居る? 朝からすまないが、どうやら、この者が怪我を──」
うん。忘れていた。
完全に忘れていた。
気をつけなければと決意した瞬間から、フェリクス殿下の声。
シナリオが始まっている。
麗しい金髪碧眼の王子の後ろには、ピンクブロンドの小柄な女子生徒。
つまりヒロインである。
プロローグで、貴族たちの中に溶け込めるか不安になっていた主人公は貴族令嬢の進行方向を遮ってしまうという失敗により、通路に突き飛ばされる。
その折に王太子に助け起こされ、今に至るということだ。
「貴女は生徒? 大分、若いような気が……」
フェリクス殿下は私を見て戸惑っているようだ。
でも、この間出会った不審者だとは気付かれていない!?
朗報だ!
だが、私がここに居ることには疑問を覚えている。
私たちは同い年。似た年の者が医務室に居て、大人が居ないという状況に焦るのは仕方ない。
医務室奥の私室に引き篭った叔父様のせいで。
部屋は荒れ放題だが、患者スペースだけは確保されており、そこかしこに注釈とでも言うべき書き置きがある。
『擦り傷の方はこちらからお取りください』
『湿布は冷却器の中にあります』
『重病者ならここのベルを鳴らしてください』
『訪れた方は名簿に学年と名前をお願いします』
うん。完全な引きこもりのアレですね。
これは酷い。義務を果たせと思う。
でも叔父様の作る薬はよく効くし腕も良いし、研究者として一流だしということで、これがまかり通っているという現実。
その叔父様は身内以外とは気軽に話さないし、あんなに優しく穏やかな風貌なのに人嫌い。
それを一切表に出さないのだから、それはそれですごいけれど、働こう?って思う。
むしろ、私が助手として雇われたのって接客要員みたいなものではないだろうか?
数ヶ月前から、お偉いさんにせっつかれていたようだし。
「ソレイユ・ルヴァン魔術学園医務官助手のレイラ=ヴィヴィアンヌと申します。この年齢ですが、既に卒業資格を得、医療関係者としての資格を保持している歴とした専門者です。叔父様──ヴィヴィアンヌ医務官に御用とあらば、連れて参ります」
幼い頃から身に付けさせられたカーテシーを披露する。王太子の前に出ても問題ない程度の礼儀作法はとっくに修めている。
初対面のアレが例外なだけで
「ヴィヴィアンヌ伯爵家令嬢……? まさか飛び級制度を利用していたとは……」
ちょっと違うがわざわざ訂正しなくても良いかと、とりあえず笑顔で流した。
「ええと……貴女とどこかで会ったような気がするのだけど……」
「いえ、私は外に出ることはないので、気のせいかと。それよりもそちらの方、どうされました?」
首を傾げているが、私の眼鏡効果は思った以上の効果を発揮している。
『それはそうだ。私がほんの少しの錯視効果を付与した魔道具だからな。まあ別人になりきることは出来ないが、一度会っただけの相手かどうかを判断するくらいなら誤魔化せる』
ルナは私の影の中から鼻だけ出して教えてくれた。
さすが! ルナ天才! なんて気が利くのだろう!
別人に見えるくらいの強力な魔道具だと、眼鏡を付けたり外したりする度に姿が変わるという訳なので、それはそれで不便だ。
漫画で良くある眼鏡を外したら別人のよう!くらいの効果に収まっているようで何よりだ。
憂いが晴れたので、心置きなく怪我人を見ることが出来る。
「片付けたばかりですが、そちらの席にどうぞ!」
「は、はい……」
ヒロインのリーリエを座らせ、対面のソファにフェリクス殿下を座らせ、彼女の捻挫に湿布を貼りながらふと、気付く。
ああ……。フェリクス殿下の手当イベントを潰してしまった!!
無意識にシナリオを変えてしまったことに内心冷や汗をかいた。