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 閉じ込められた医務室奥の叔父様の研究室。

 それなりに広いが、正直、部屋の中は少しだけ荒れていた。

 積み重なったプリントや資料に、謎のフラスコ、月花草をすり潰して乾燥させたものがプレパラートに載せられたものが窓側に無造作に置かれている。

 実験台には、様々な薬草が入っているらしい箱が積み上げられている。

 謎の器具はあちこちに置いてあるが、かろうじて整理整頓されていた。

 まあ……許容範囲だ。

 でもね、叔父様……普段から掃除しよ?

 最後に見た時はもっと綺麗だったはずなのに、私が知らないうちに少しだけ悪化している。


「へー、これが研究室……さすが物がたくさんだね」

 興味深そうに棚に並んでいる本の背を指で辿っている。

 時折、叔父様が出版したらしき書籍があって、フェリクス殿下はどうやらそれを気にしているようで……。少し妙な雰囲気が治まるまで様子を見て……。それで勇気を出して……。

 少し落ち着く時間が確保出来れば私も……。

 と思っていたところ、予想に反して彼はくるりと振り返った。


「じゃあ、話をしようか」

「……は、はい」

 どうやら猶予はないようだ。

「ここにソファがあるから、これを借りよう」

 椅子は叔父様のデスクについているものを除けばそれだけなので、当たり前の流れではあるのだけれど。

「…………」


 そのソファ、2人がけにしては小さめだと思うの。


「おいで」

 手を差し出されたので、私は言われるままに手を重ねようとして、我に返った。


 はっ! 私今、さりげなく手を重ねようとした!?

 ぼーっとしている証かもしれない。


 待って。色々と今の私はおかしい。

 いやいや! あんなに優しい笑顔で「おいで」って言われたら、おかしくなるに決まってる!

 思わずふらーっと彼の元へ誘われるように近付いてしまったのである。


 そんな私を愛おしそうに見つめるフェリクス殿下は、不自然に固まった私の手を掬い取り、肩を優しく引き寄せると、私をポスンとソファに座らせて、自らもその隣に腰を下ろした。


 やっぱり、このソファ少し小さめだと思うの。

 そりゃあ叔父様が使うものだから2人用ではないかもしれないけど。

 それにしても、かなりの密着具合だった。

 その温もりが体に直接伝わってくるくらい。

 肩が少し触れ合う度に私はそっと体を離そうとするけれど、ほとんど意味を成していない。

 姿勢を正しながらカチンコチンと体を強ばらせる私と、私を甘く見つめて見るからに余裕そうなフェリクス殿下。


 世の中、不公平すぎやしないだろうか?


 私だけが狼狽えているなんて。


「レイラ」

「ひゃっ!」

 膝の上に置いていた手の上に私のより大きなそれが、そっと重ねられて、思わず間抜けな悲鳴を上げてしまった。

 重ねられた手には、私が以前贈った魔法石の指輪。

 本当にいつも身につけてくださっている……。

 それも見えるところに。

 思わず、さらにその上から自分のもう片方の手を重ねれば、固い宝石の感触と、フェリクス殿下の手の温もりを感じた。

「はっ……!」


 私はなんて恥ずかしいことを!慌てて重ねていた手を外し、俯いていると小さくクスクスと笑う気配。

「レイラは無意識に男を煽る真似をするよね」

「失礼いたしました……! フェリクス殿下、お伝えしようと思っていたことが他にもありまして……。私の契約精霊が強硬手段を取ったのは、そのためなのです」

「うん」

 重ねていた手をそっと離して、密着していた身体も離されて私は、そっと息をついた。

 緊張感に弛んだ私を見たフェリクス殿下は、苦笑しながら立ち上がると、座っている私の前に跪いて目線を合わせた。

 目を惹く金髪と碧眼の美貌がすぐ間近に現れて、私は完全に狼狽していた。

 これはこれで緊張する!

 さっきの方がまだマシだったような?いやいや、さっきの方が密着してたし……。

 涼やかな顔。優しげだけど、何故だか楽しそうに細められた瞳。

 私が何か言うのを待ってくれているのは一目瞭然で、明らかに既に聞く体勢に入っている。

 ようするに後は私が言うだけ。

 なんて伝えれば、良いのか。

 ルナに言われたことを思い出せ。

 頭の中をグルグルと回っていく言葉たちは、私の頭の中に留まってくれない。

 ただ、自分の状況を言えば良いのだから! うん!

 そうこうしているうちに、フェリクス殿下は私の前髪を指で探りながら、ふっと笑うと、立ち上がった。

「無理はしなくて良いよ」


 ソファからも離れてしまった殿下を見て焦燥感が募った。

 このままだと、ここぞと言う時に逃げる臆病者の烙印を押されたまま、彼からの好意だけを受け取る卑怯者になってしまう!


「殿下」

 私もとっさに立ち上がり、殿下の前に立ったのだけれど、その瞬間、予想外のことが起こった。

「よし。捕獲」

「……!?」

 正面からぎゅうっと腕の中に閉じ込められて、胸元の服に私は顔を埋める形になっていた。


 つ、捕まえられた!?


 何か良い香りがするし、これは離してくれないやつだと思うし、何が何やら分からない。


「顔を見るのが恥ずかしいなら、隠せば良い。名案だと思って。無理はしないでとは言ったけど、聞かないとは言ってない」


 後頭部を支えられ、服に顔を埋めたまま、目を白黒させている私に無情にも放たれる台詞。

「聞くまで離さない」


 今までで1番恥ずかしい体勢のまま、色々と告白することになってしまった!

 私がなかなか言い出さないでウジウジしているから!

 私の馬鹿! さっきの段階で言えば良かったのに!

 彼の服を掴む私の手は弱々しくて、力がまともに入っていなかった。

 叔父様の実験室の中、好きな人に抱き締められているというこの状況。


 どうやら私は混乱しているらしい。傍目からはそうは見えないかもしれないけれど、頭の中は混沌としている。

 応援してくれたルナの言葉を思い出そうとすればするほど、から回っているのか、今この瞬間に関係ない台詞ばかりが頭を過ぎっていくのである。

 ルナはお兄様のこと本当に嫌いすぎるよなあ……とか思った。


 こんなことをしている場合じゃない!

 落ち着いて、私。今まで貴族令嬢としてやってきた心得をフル動員しながら、気持ちを落ち着けて、ついにルナのありがたいお言葉を思い起こせた。


『好きか、嫌いか』



 そんなルナの台詞が脳裏を過ぎった。

 そんなに難しく考える必要はない、ともルナは言ってくれた。


 だから、私は──。

 フェリクス殿下の胸元に顔を伏せながら、小さく最小限のその言葉を呟いた。



「好き……」



 何を言うのか分からないまま、私は明確すぎるその言葉を呟いて。


「え?」

 フェリクス殿下の声につられて慌てて顔を上げる。

 フェリクス殿下のこういう顔、初めて見るかも……?


 虚を突かれたみたいな、年相応な純粋に驚いたとでも言いたげな、なんとも無防備な表情がそこにあった。

 フェリクス殿下の一瞬だけ浮かべた無防備な顔は、直後、僅かに赤く染まった。


 殿下も顔を赤らめることがあるのだなあと他人事のように思って、私は我に返った。


 私、普通に好きって言った!?


 私自身の恋心を伝える前に、私の面倒くささについて告白して、それでも誠意を見せるつもりだと伝えるべきだったというのに!

 まずはそこからだと思っていたのに、私っていうやつは!


「あっ……ええと、そうじゃなくて……」

 ぽふっと胸元に顔を埋めて、しどろもどろになる私を抱き締める腕は、無言で強められた。

「そうじゃない?」

「いえ! その通りなのですけど、そうじゃないんです。ええと、まず他に伝えるべきことが私にはありまして! 先走ってしまって! その!」

「ああ……うん、落ち着いて。ゆっくり聞くから」

「あの! 本当に! 嘘は申し上げていません!あの、順番が……ええと」

「うん。うん」

 お互いに顔を見ないまま、抱き合って。

 私は髪を柔らかく撫でられる。よしよしと落ち着かない子どもを宥めるみたいに。

「うん。茶化したりなんかしないから、続けて」

 背中もトントンと軽く叩かれ、私は顔を朱に染める。

 私としたことが、かなり狼狽して、淑女らしさも全てかなぐり捨ててしまっているのだ。


 とにかく言うべきことを伝えようと、たどたどしいながらも、1から説明した。


 私が人間不信なこと。特に異性に対しては警戒心を持ってしまうこと。

 どうしても人に気を許すことが出来ないこと。一線を引いてしまうこと。表面上は普通にしているけれど、常に人を警戒してしまうこと。

 フェリクス殿下のことは信用していると思うのに、それでも心の奥底では気を許し切れていないこと。


 殿下は時折、相槌を打ちながら聞いてくれた。


「一部でも信用してくれているなら、私はそれで良いけど」

 殿下はあっけらかんとしていた。私を抱き締める腕は緩むことはない。

「そう……でしょうか? 殿下は、この国を背負うことになるお方です。その隣に立つのなら……。私は信じることが出来ないのに。想いを返すにはあまりにも足りないのでは、と」

「全てを信じるなんてそもそも難しいと思うよ?難しく考えなくて良いんだ。私がレイラの傍に居たいだけなのだから。そんな簡単な答えだよ。それに想いは返してくれてる」

 先程の告白のことだろうか? あんな一言だけで私は彼の想いに応えられているの?

 よく、分からない。

「……もしも、このまま私が何も変わらなかったら、貴方をいつか傷付けてしまうと思いました。伴侶って信頼し合うものでしょう?」

「傷付けるかもしれないという憶測だよね、それは。誓って言うけど、私はその程度でレイラを嫌いになったり諦めたりすることはない。当の本人である私が言うから説得力あるよ?……結局のところ、それはレイラの想像でしかなくて、実際のところは私に直接聞いてみなければ一生分からない。人それぞれ感覚なんて違うんだし」

 それもそうだ。私は、知っている。人の心を完全に理解することは出来ない、と。

 どうやら無意識に強迫観念に囚われていたようだ。私はフェリクス殿下をいつか傷付けるという強迫観念に。

 髪を掬い取る指先は、私を労るように優しくて、何でも許してもらえそうなくらいに慈悲深く感じた。それも私の願望が生み出した錯覚なのだろうか?

 私は目の前の彼の背中に手を回した。まるで縋り付くみたいに。

「……それで私は貴方に相応しくないと思っていたのですが、逃げ回っていたことは不誠実で……決めつけて意固地になるだけではなくて、誠意を見せたいと思って……。殿下にこれ以上失礼なことはしたくなかったのです……だから」

 しどろもどろで情けなく、拙い言葉の数々だったのに、何故か嬉しそうな声が降ってきた。

「そっか。だから、今回頑張ってくれたんだね」

 頑張ってなど居ない。こんなの当たり前だ。今まで逃げ回って来たツケが回ってきただけ。

 自業自得。むしろ、ここまでウジウジしたことが申し訳ないくらい。

「……いえ。そんなことは。……誠意を見せたい……と全てを伝えようと決めたのですが、正直これから私はどうしたら良いのか分からないのも本当で……。なかったことにするのも、逃げることももう止めます。そう決めたのですが、これからどうするべきなのかは、よく分かりません。こんなに私は面倒な性格で、本当に……」

 私はフェリクス殿下とどう向き合えば良いのだろう? こんな中途半端な私が彼の隣に居ても良いのかも分からない。

 ただ今まで通りでは居られないのは確実だった。

「簡単なことだよ。レイラ」

 耳に唇が寄せられて囁かれた。


「私のことをこれから知れば良いんだ。人間関係というのは、お互いに知ろうとするところから始まるものだ。まずは、そこから始めてみるのはどうかな? ……全て信用なんてしなくても良い。私は私で、貴女は貴女だ。ただ、お互いを知りたいと私は思う」

 それは魔法のような言葉だった。

 私が私のままで良いと言われたような。

 心の奥に爽やかで気持ちの良い風が吹き込んだみたいな感覚。


「何度でも言うけど、私は貴女の傍に居られればそれで良い。貴女が面倒だというその気質ごと、私は愛している。だからそもそも織り込み済みなんだ」

「……それは」

 悪趣味だ。こんな性格の悪い私が良いなんて。

 結局、私はフェリクス殿下に甘える形になっている。

 このお方は面倒な私を丸ごと受け入れようとしているらしい。

 涙を零すのは淑女としてなって居ない。それを理解しつつも、目頭が熱くなる。


「殿下……」

「うん」

「私、貴方のことが好きです」

「私も、貴女のことが好きだよ、レイラ」


 やっと顔を上げた私は、フェリクス殿下の瞳に熱が宿っていることに気付いた。


「好きだと言ってくれて嬉しい」

「あっ……」

 殿下の手が私の頬に添えられ軽く撫でたと思ったら、金髪の髪が頬に触れて、「あれ? 近いな」と思った時にはもう遅かった。

 鼻先が触れて、吐息が触れて、その直後。

 唇に柔らかな感触と、私のより低いその温もりが確かに触れて、文字通り息が出来なくなった。

「っん……!?」

 悲鳴は目の前の彼の唇によって飲み込まれ、逃げようとした腰は支えられて逃げ出すことは最初から許されていなかった。


 え?どういう?ええ!?

 なんで?いきなり!?


 お互いの唇がしっとりと重ねられているという事実と、フェリクス殿下のまつ毛が長いということしか分からなかった。

 数秒の間、柔らかく食むように唇を合わされた後に、それは名残惜しげに離された。

 唇が離れた瞬間、私の体はすぐに動く。

「なっ……! え、あっ!」

「おっと」

 思わず後ろに下がろうとして、躓きそうになったところを、この状況を作り出した張本人のフェリクス殿下が支えた。

 思わず下から睨めつければ、彼はそれすらも愛しいと言わんばかりに微笑んで、甘ったるい声で「ご馳走様」とわざわざ私の耳元で囁いた。


 茶化さないって言ったのは何だったのか。

 それともあれは時効だったのか。早すぎる時効ではないだろうか。

 唇に残る感触は生々しく、顔が火照って熱い中、唇を指で押さえながら混乱する私を観ながら、フェリクス殿下は上機嫌に笑っていた。

「ふふ、キスしないとは言ってない。……レイラ、私はこういうことをする人間だからね。当分警戒してくれて良いし、信用しない方が良いと思うよ?」

「そういう話じゃ……」

「ごめんね。薄々分かってたと思うけど、私は少々性格が悪いんだ」

 ぺろりと紅い舌で唇を舐める姿は、美しい毛並みを持った獣に見えて、何故か下腹がきゅんと疼いて、その場にへたり込みそうになった。


 ううっ……。不意打ちすぎる。この色気は何!?


「男は簡単に信用しちゃ駄目だ。何をするか分からないからね?」


 とりあえず、また違う意味でこの人も要注意人物なのかもしれない。

 なかなか熱は冷めないまま、私はルナが早く様子を見に来てくれることを祈るのだった。



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