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「…………」

「………………」


 沈黙が辛い。何を話せば良いのか分からない。


 私の様子がおかしいのを感じ取っているのか、フェリクス殿下も様子を窺うのみで声をかけては来ない。

 カチャカチャとティーセットを用意する微かな音以外は何の物音もない。

 それにしても、何故こんなに静かなのか。

「……静かですね」

 何の面白みもない感想を漏らすと、フェリクス殿下は合点がいったように「そういえば」と口にした。


「医務室に押しかけられては困ると思って、この辺りに騎士を配置したんだ。用がある生徒以外は来なかっただろう?」

「そう言えば……」


 私に色々と聞いてきたけれど、小さな怪我だったり、授業で使う薬草を分けてもらいに来たりと、それなりの理由を持って訪れていた。


「だから今の時間は、本当に誰も来てないんだと思うよ。来ていたとしても、騎士に止められているだろう」

「細やかな気配りに感謝申し上げます」


 ふっと小さく笑う気配にトキメキを覚えながら、いつもよりぎこちなく紅茶を用意した。


「ありがとう。こうしてここでティータイムをするのは久しぶりだね」

「本日はローズヒップティーです。お菓子はこれも薔薇を使用したものです。生徒さんにいただきました」

 小さな薔薇をかたどったクリームでデコレーションしたケーキ。淡いピンク色がロマンチックなのだけれど。

「ああ。これって最近王都で話題のスイーツショップのものだね。いただいてしまっても良いの?」

「生徒さんに、婚約祝いでもらったものなので……」

 ロマンチックなケーキすぎて、今の気分的に恥ずかしくなった。


「……」

 私の勇気どこいった!

 向き合うって、話すって決めたでしょう!私。


 医務室の応接スペース。

 殿下の座るソファの向かい側に私も腰を下ろしつつ、内心叫ぶ。


 戸惑い半分、緊張半分でソワソワしていた私は、紅茶を口にしながら、どうするべきかと悩んでいた。

 ティーカップの水面を眺めつつ、「美味しいですね」とか言いながらも、思考は停止していた。


「レイラ」

 緊張した面持ちの私に殿下の、涼やかな声が届いた。

「……は、はい? 何か」

 目を合わせないのは失礼だと思ったので、目線はきちんと合わせる。

 よし。大丈夫。今からでも、挽回出来る。今、殿下の話を聞いてから、ウォーミングアップに雑談などしてから、さり気なく……。

 などと頭の中でシュミレーションをしていたのだけれど、フェリクス殿下は私の予想しない言葉を口にした。



「さっき、私たちの話が聞こえていた?」




 どうしよう。今すぐ気絶したい。




 いやいや、待って。向き合うと決めたのに、逃げてどうするの! 私!

 向こうから話を振ってくれたなら、それに乗るべきでしょう!

 ティーカップを持つ手が震えている。

 とりあえず、テーブルの上にそれらを置いて、居住まいを直す。

 落ち着け、落ち着くんだ……私。

 普通に聞けば良いのだから。


「その様子だと、聞こえていたようだね」

 ああ。思い切りバレている。というか隠形魔術を使っていたのにどうしたことなのか。


「……あー、レイラが使ってたらしい隠形魔術なんだけど、後半逃げる時かな? 動揺からか魔術が解けていて、動揺で魔力も少し漏れていて、私でも分かったというか」

 なるほど。だからルナは撤退を指示したのか。


 というか、私。動揺しすぎだ。


 魔術は精神と直結しているため、感情が乱れれば魔力にも影響してしまうのだ。

 うん。逃げも隠れも出来ないということは分かった。

「……はい。聞きました」

「そう。じゃあ、私の気持ちも聞いたんだね」

「……はい」

「あー……そっか」


 待って。顔が熱い。それにしても殿下は何故、そこまで取り乱さないのか? 「あーあ」と言いつつも、苦笑のみで留められるのが凄い。

 王族凄い……。いつも冷静。凄い……。


『ご主人、今が本気を出すところだ』


 ルナが影の中から応援してくれている。

 そう。逃げる訳にはいかない!


「気にしないでと言いたいところだけど、そういう訳にも──」

「殿下……!」

「ん?」

 あ。どうしよう。会話を遮ってしまった。

「申し訳ございません! 失礼なことを……お先に殿下から」

「ううん。レイラが先に言って。なんとなく聞かなきゃいけない気がしたから」

 野生の勘!? いや、それとも第六感?


 早めに言わないといけない。

 私がどんなに言いにくいことでも。

 逃げて来た分、余計に話しにくくなっているのは、自業自得だ。


 私は顔を上げて、フェリクス殿下を見つめる。

 何でも聞いてくれそうな穏やかな空気の中、私は震える指先で己のかけている眼鏡に触れた。


 指先が震えて上手く取る事が出来ない。

 ゆっくりと時間をかけて、魔術具である眼鏡を取り去った。


 フェリクス殿下が驚愕で目を見張ったのが分かった。

 私は目が悪い訳ではないから、その様子はしっかりと視界に入って、瞼の裏に焼き付いた。


「これは、驚いた……」

「そうですよね。正真正銘、私はあの夜の不審者で──」

「いや、そうじゃない。驚いたのは、貴女が眼鏡を外したことかな。……実はねレイラの素顔は、もう知っていたんだ」

 私は手に持っていた眼鏡を床に取り落とした。


 知ってた? 知ってたって?

 え? どういうこと?

 いつから!? 私の変装は完璧だったはず!?


『ご主人、落ち着け。するべきことを思い出せ』

 ルナが喝を入れてくれている。

「驚かせて申し訳ないけど、私は知っていたんだ。レイラが湖で会った女の子だということを。……それで、貴女の前では気付いていないふりを、していた」

「え? ですが、何故」

 何故、バレた? そんな機会が全く思い当たらない。記憶をいくら遡っても。

 思い当たる節がない!

 ……ううん。もしかして、派手に動きすぎた?


「いつから、でしょうか?」

「ああ。私が知ったのは──」


 彼がいつ気付いたのか教えてもらって。



 今この瞬間に気絶したくなった。


『気をしっかり持て! ご主人! 言うべきことは1つだ』

 ハッとした。ルナの言う通りだ。知られていたとか関係なく、言うべきことは言わなければ。

 そもそも、まずはこれを謝罪したいと思っていたのだから。

 誠意のある対応をしたいと私は思っていた。

 ならばどんな形でも良い。まずは……。

 私はフェリクス殿下の瞳の奥を見据えるように、再び姿勢を正す。


「殿下……。今更ながらですが、ずっと正体を隠していて、申し訳ありませんでした」

「……いや、何度も言うけど、私は途中から貴女のことを知っていた。それなのに気付いてないふりをしていたし、お互い様だと思う」

 真摯な声。優しくて誠実なのに、どこか芯のあるような声。私は彼の声音が好きなのだと、今この瞬間においては、どうでも良いことを思った。

「いいえ……いいえ!」

 殿下が謝ることはないのにと、ふるふると首を振った。


 フェリクス殿下が気付かないふりをしていたのは私のためだということに気付いていたから。

 私がそれを望んでいたから?

 つまりは、見守ってくれていたのだ。


「このままだと不誠実ですから。まずは私がこうやって逃げてきたことをお詫びしたいと思いました。殿下の気持ちを聞いて逃げ回るなんて真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 フェリクス殿下の目は「気にしなくて良いのに」と語っていた。


 ようやっと言えたことに安心していれば、今度は殿下が苦笑しながらこんなことを言った。


「湖で会った月の女神と、医務室のレイラが同一人物だと知らなかった時は大いに悩んだりもしたけどね。2人とも好きだったから、私は移り気で不誠実な人間なのではないかと思い悩みもしたんだよ?」

 冗談のように語られるそれ。苦笑していることから、当時はとても悩んでいたのかもしれなかった。

「それは……。いらぬ気苦労をおかけしてしまい……」

「いや?私は一途だと証明出来た。姿が多少変わっても、貴女に惹かれるなんて運命のようで嬉しい。結果的に私は幸せだよ」


 恥ずかしくて顔を俯かせてしまうかと思った。

 でも、そういう訳にはいかない。

 恥じらいながらも、そっと殿下を見上げると、言葉通り本当に嬉しそうな顔があった。


「そうそう。だからね、私は貴女のことを前から愛しているんだ」


 隠すことなく臆することもなく、その気持ちは私へと紡がれた。


 正面切って好きだと言われることが、こんなにも泣きたくなるものだとは知らなかった。


「レイラ。貴女の方から秘密を教えてくれてありがとう」

「……いえ! 私は隠していただけです! 責められはしても、お礼などをしていただくなんて……」

 思わず声が小さくなってしまう。

 フェリクス殿下の真っ直ぐさはとても眩しい。

 私はそこまで真っ直ぐに生きることは出来るだろうか?


 彼は小さく息だけで笑うと、ニッコリと魅力的な微笑みを浮かべる。

 紅茶をテーブルに置いて、私が座るソファの隣へと腰をかけた。

 悪戯めいた目の輝きに「おや?」と思った頃には遅かった。

 フェリクス殿下は少しだけ私をからかうことにしたらしい。

 耳に唇が掠めるように軽く触れる。


「初めて会った時はね、月の女神が水浴びしているのかと思ったんだ」

「月の女神……水浴び……?」

 何これ……。耳元で囁かれる声が甘い。

 吐息のような声は凄まじい色香を放っていて、一瞬、彼の実年齢を忘れた。

「水に濡れた白銀の髪が月の光に照らされていて、風景も相まってか、この世の光景とは思えない程綺麗でね。私は一目で恋に落ちた」

「恋……? 綺麗……?」

『ご主人。復唱しか出来なくなっているぞ』


 甘ったるい響きの美声が私の耳を犯していくような錯覚。

 身体の奥底が疼くような。

 このままではどうにかされてしまいそうな気がした私は、慌てて声を上げながら、すぐ真横の殿下の胸元へと手を置いて、ぐいっと押しやった。失礼な振る舞いだとか言ってる場合じゃない。

 私を見つめる殿下の瞳には熱がこもっていて、視線だけで愛していると伝えているようで。

「そんな、お戯れを……。あの時の私は、裸姿の不審者で……」


 ん? 裸?

 そして気付かなくて良いことに気付いた。

 羞恥に顔を真っ赤にしながら、私はぷるぷると身を震わせる。たぶん今更すぎること。

「で、殿下は私の裸をご覧に……?」

 フェリクス殿下はふいっと私から目を逸らす。

 つまりはそれが答えだった。


 地面に埋まりたい。誰か埋めてはくれまいか。



 目のハイライトが消えた私を見て慌てた殿下は、私の肩を優しく叩くと宥め始めた。

「ちょっと見たけど、ずっとは見ていない! 暗かったし、ほら! 貴女は狼の後ろに隠れていたし」

「狼……。え?」


 また新たな驚きが積み重なっていく。


 羞恥心は消えないままだったけれど、予想外の事実が発覚した。


「ルナが見えてた?」

「え……あ!」

「殿下は精霊を目にすることが出来るのですか!?」

「まあ……うん。色々理由があってね」


 同じ属性でなければ普通は見えないはずの精霊。それを殿下は目にしていた?

 何故見えるの? 殿下は闇の魔力持ちではないのに。

 あの夜は焦っていて気付かなかったけれど。

 待って。色々なことが起こりすぎだ。

 私の正体を知っていて、ルナのことも見えていて……。

 いやいや! 正体を隠していたことを告げたのだから、今度はさらに話し合いをすべきで……!


 絶賛混乱中の私。

 そして、話が脱線したのに焦れたのは、私でもなくフェリクス殿下でもなかった。



『ああああ! 焦れったい!』


 私の影の中から抜け出したのは、ルナだった。

 黒く大きな狼の姿をしているルナを見て、フェリクス殿下は軽く目を見張っている。

「そうそう。この狼だった」

「本当に見えているのですね……」

 フェリクス殿下の視線は逸れることなくルナに向いていた。


 そういえば、普段からルナは私の影に潜んでいて、鼻くらいしか出していないことが多かった。

 だから今までは気付かれなかったらしい。

 なら、ルナの声は? ルナはよく私に声をかけていた。


 その瞬間、ふわりと魔力の気配。


「私のことは良い! そなたらは話を脱線させずに、深く話し合え! 良いか? 話を脱線させずに話し合え! それと、そこの王太子! ご主人を口説いて遊ぶな! 真面目にやれ!」


 人間の姿になりながら、ルナは恐らく私たちに一喝していた。


 そして私とフェリクス殿下は、ルナにより奥の部屋──今は主なき研究室、もしくは叔父様の聖域──へと閉じ込められた。


「そなたらが1通り話を終えるまでは閉じ込める! その間の来客対応は私に任せるが良い!」


 扉の奥、問答無用といった雰囲気のルナが本気すぎて、私は思わず頷いた。

 扉には魔術がかけられているのか、開けようとしてもガタガタ音を立てるのみ。


 殿下はというと、何かに納得するように呟いている。

「なるほど。あの時の使用人の正体は精霊だったか……。レイラと仲が良いのも納得だ。私は思い切り嫉妬していたなあ。それにしても真面目にやれ……か。遊びで口説いている訳じゃなかったんだけどな」

 ルナの強硬手段を責めることなく、どこか安心したような様子。

 私と目が合うと、優しく微笑んでいる。


 2人きり。密室。告白。


 つまりはそういうお膳立てをされたらしい。

 顔が熱くて仕方なかった。


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