第2章 鈴音とひなた 2
リハビリ室で毎日会う沙希。
ひなたにとって沙希の明るさは癒しだった。
そしてそれは起きた。
ひなたが入院中の山本というリハビリ中のおばあさんの車椅子を押していると、沙希と車椅子を押す鈴音とすれ違った。
沙希はいつものように笑顔でひなたに笑いかけた。
と、沙希の顔から笑顔が消えた。
沙希は山本の落ち込んだ空気のようなものを感じていたのだ。
「山本さん、大丈夫ですよ。きっと歩けるようになります」
沙希はおばあさんに話しかけた。
「今は辛いでしょうけど、山本さんなら克服できるはずです」
山本は最初驚いたような顔をしたが、沙希の笑顔に引き込まれるように、顔中に笑みを浮かべた。
「だから頑張ってくださいね」
ひなたの目に、山本の両足に力が漲るのが見えた気がした。
活力みたいなものだけが黄金に輝いたように見えたのだ。
山本は毎日続くリハビリに嫌気がさしていた。
それはひなたも気がついていた。
ひなたは山本がやる気を起こさないのは自分が未熟だからだろうと、落ち込んでいたのだ。
ところが沙希に声をかけられた山本は、急にやる気を取り戻していった。
その日から、山本は異常なくらいの回復振りをみせ、退院していった。
その日以降ひなたにある異変が起こっていた。
沙希ちゃんと一緒にいる時にだけ、みんなの背中に翼が見えるのだ。
最初は山本さん一人だけだった。
山本さんの背中には大きな翼が見えた。
はっきりとはしてなかったが、翼のようなものを感じることができた。
退院が決まった日、山本さんは翼を広げ、羽ばたいてるように見えた。
山本さんが退院したあとも、その現象は続いた。
むしろ日に日にはっきりと翼を目で確認できるようになっていった。
沙希と一緒にいる時だけ起こる魔法のような出来事……。
確かに沙希と出会う以前から感じてたもの……。
患者たちに翼があって、リハビリに取り込む患者たちの頑張りが、なんとなく翼を羽ばたかせているように感じていた。
でもそれは感覚的なもので、視覚的なものではなかった。
それが今、沙希が側にいる時だけは、はっきりと翼が目に見えるのだ。
沙希はいつも鈴音と一緒にいる。
同期のひなたを見つけると、鈴音は沙希の車椅子を押して側に寄ってくる。
だからひなたは沙希と仲がいい。
ある日いつものように、患者のリハビリの手伝いをしていると、沙希がひなたに聞いた。
「お姉さんも見えるの?」
「えっ?」
それが翼のことを話していることはすぐに分かった。
「私ね、みんなの心がなんとなく分かるの。それはちょうど翼の形をしてるんだよ」
沙希はひなたの目をじっと見つめながら、そう言った。
ひなたは鈴音の方を見た。
鈴音はただ微笑んで聞いてるだけ。
鈴音には翼は見えないらしい。
それはただの子供の戯言と思っているようだ。
「落ち込んでる人は翼がはっきりと見えないの。もっと傷付いてる人は血まみれになっている」
血まみれかあ……。
ひなたには翼は見えても血は見えなかった。
沙希の言うことが本当だとすれば、ひなたよりもさらに翼をはっきりと認識してるのだろう。
「ちょうどお姉さんみたいにね」
沙希はじっと探るようにひなたに言った。
「私?」
ひなたは驚いた。
「翼からいつも血が滴り落ちてるわ」
自分の背中は見ることができない。
ひなたは自分の翼を見たことがない。
それでもきっと自分の翼は血まみれに違いないという気がした。
「心の傷が血になって、流れてくる」
私の中の心の傷。
そうか……。
この子には私の心が傷だらけに見えるのね。
そして傷口から血が湧き出してるように見えるのね。
「泣いてるみたいだよ」
この子には私の劣等感さえ見透かされてるのかもしれない。
「翼がいっぱい涙ぐんでる」
「お姉ちゃんは泣いてないでしょ?」
ひなたは無理やり笑顔をつくって見せた。
顔の端が引き攣ったような顔。
「うん、そうだね」
涙か……。
親譲りなのか、人前で泣いたことがない。
変に強い自分がたまに嫌になることがある。
もっと人前で泣けたら、楽なのに。
そんなことを思う時がある。
「だから私がいつも励ますの」
沙希は顔中に笑みをたたえた。
「ねえ、お姉ちゃんも笑って」
ひなたは沙希の微笑みに吸い寄せられるように、笑みがこぼれ落ちた。
そして気持ちが楽になった。