第2章 鈴音とひなた 1
4月になって、新人として、介護士の染谷鈴音と中塚ひなたが中塚総合病院にやってきた。
鈴音が初めて担当することになったのは、沙希だった。
もちろん教育期間であり、指導教官がついている。
みんなが沙希のことを知りすぎているので、あえて新人の鈴音を担当に当てることになった。
鈴音の同期には中塚ひなたがいる。
鈴音と、ひなたは専門学校の頃からの友人だ。
ひなたは名前から分かる通り、中塚総合病院の院長の娘である。
母は病院の看板医師小春で、姉のみさきも同じ病院の医者をしている。
姉は成績優秀で、常に姉と比較されてきたせいか、ひなたは姉に強い劣等感を抱えている。
そのせいか、医者でなく、介護士になった。
「沙希ちゃん、本当にいつも笑ってるよね」
鈴音は沙希のママが病院の屋上から跳び降りたことを知らされていなかった。
「本当に、沙希ちゃんっていい子ですね」
鈴音は沙希がお気に入りだった。
「普通足が悪かったら、もっと落ち込んでもいいのに」
それは鈴音だから思うことだ。
入院当初の沙希は笑顔が多かったわけじゃない。
今にして思うと、不幸を背負い込んでる少女にさえ感じられた。
病院のみんなが不思議に思っていたこと。
沙希ちゃん、少し変わったと思わない。
ママが死んだ日からいつも笑顔なのよね。
沙希は母の死をきっかけにいつも笑顔で過ごしている。
「初めての相手が沙希ちゃんで良かった」
何も知らされていない鈴音は沙希が可愛くて仕方なかった。
鈴音はことあるごとにひなたに、沙希の話をする。
ひなたは沙希と聞いて、何かが気にはなっていた。
それは無意識のうちに、沙希の名前を聞いたからだろう。
家族の会話の中で足の悪い沙希の話も、奈菜の自殺の話も聞いていた。
ただそれが鈴音の話す沙希と結びつかなかっただけだ。
でも時とともに、ひなたはそんなことも気にならなくなっていた。
そしてひなたも沙希のことが好きになっていた。
ひなたの担当はおばあさんだった。
母の小春と比べると優しいおばあさんだ。
ひなたは仕事だとしても、小春を介護するのは嫌だと思った。
ひなたはいつもなんとなく母の小春とおばあさんを比較してしまう。
小春なら、こんな時、うるさく文句を言うに違いない。
そんなことを考えながら、介護していると、とてもおばあさんと打ち解けられた。
そして少しでも回復していく姿を見ると、自分のことのように嬉しかった。
ひなたは介護士になってから、毎日の出来事を日記風のブログとしてつけていた。
「ひなたの介護日誌」
○月△日
「毎日、患者さんの歩行の手伝いをしていると思うことがある。
患者さんたちは翼をもっているんじゃないかって。
目には見えないけど、必死で翼を羽ばたかせている姿が見える。
患者さんたちはみんな折れた翼を羽ばたかせ、もう一度飛び立とうとしているように感じる時がある。
一歩一歩歩けるようになっていく患者さんの姿を見ていると、私にも翼があって、実は努力を怠ってるだけじゃないかって思う時がある。
そんな時、私も頑張らなくちゃと励まされる。」
ポジティブな日なことを書く日もあれば……。
○月&日
「出会いはいつだって偶然で、そこに何の意味も持たないとずっと思ってきた。
だからつかず離れず器用に人と付き合っていくことが一番だと信じてた。
私は子供の頃から損な役回りをすることが多くて、人から傷つけられてばかり。
きっと私みたいな性格の子は、人と関われば関わるほど、傷だらけになるだけだ。」
○月$日
「他人と距離を置いて接する私。
人付き合いが苦手で、自己主張ができなくて、他人に流されてばかり。
そんな私を他人は都合よく利用しようとする。
だからできればずっと家に引きこもっていたいのに、一人ぼっちだとやっぱり寂しくて、傷つけられても他人と共存する道を選んでる。」
ネガティブな自分が出てくる日は、姉との関係を気にした時だ。
ひなたは姉のみさきに対して常に劣等感を抱えていた。
両親が医者で姉も医者になり、自分だけは医者になれなかったこと。
それが心の傷となり、劣等感を抱えてる。
姉は子供の頃から成績優秀で、常に比較されたせいもあって、身内に対する反抗心が根深く、時として、それはブログの中にあふれ出した。
○月◇日
「ああ、私は嘘つきだ。
私が家にも引きこもれないのは、家にうるさい姉と、両親が暮らしているからだ。
何かというと落ちこぼれの私を傷つける。
私が外に出て行くのは、まったくの他人の方が、まだ私を傷つけないからだ。
私は外ではいつだって笑っている。
愛想笑いをするほうが楽だからだ。
笑っていればとりあえず、いろんなことがうまくいってる気がする。」
ネガティブな文面ばかりが踊る日もある。
自分の本音を隠して、それを押し殺すひなたにとって、唯一ブログだけがはけ口になっていた。
そんなひなたにとって、沙希との出会いは運命といえるかもしれない。