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天使の羽  作者: みーたんと忍者タナカーズ
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第1章 沙希とみさき 4

 その疑惑が晴れるのはそれからずいぶんたってからだ。

 まあ、母の手術に立ち会えば、普通の人は見る目が変わる。

 天才外科医。それは誰の目にも明らかだ。

 母の手術の腕は神業だ。

 何度か、手術に立ち会ってその腕を目撃してきた。

 目撃して始めて母の偉大さを感じることができた。

母は天才であり、腕は天使で、それでもやはり心の中は悪魔なのだ。

そうしたことがいい意味でも、悪い意味でも母を近寄りがたい遠い存在に感じさせていた。


 みさきは医学部の学生として、初めて母親の手術に立会った。

 小春の手術の腕は学生の間でも有名で、それに立ち会えるのは幸せだと、講師の誰もが口にする。

 ただ、すべての講師が、「ただ……」と注意書きを添える。

「みんな、覚悟して置かないと、気絶するぞ」

その意味は手術が始まるとすぐに理解できた。

 初めて見る母の手術風景。

 母はマスコミにも出ない。

 手術風景を写した映像も存在しない。

 いや、幻の映像があるらしい。

 病院が所持し、その映像をひた隠しにしているらしい。

 それだけ聞くと、母が医療過誤でも犯したみたいだが、そうじゃないことはすぐに分かった。

 母の手術の腕は確かだ。

 それはまさにブラックジャックだ。

 しかしそれ以上に驚かされたことがある。

 母は手術中、ずっと患者に向かって、悪口を言い続けていた。

 噂に聞いていた小春の手術風景。

 病院関係者の間では、小春の豹変ぶりは有名な話である。

 メスを持った途端、人が変わるというのだ。

 事実、小春はメスを持つと突然、高笑いを始めた。

「ヒヒヒヒ……」

 そう、オカルト映画でしか見たことないような、ブキミな笑い声。

 マスクに覆われていても、表情は隠せない。

 場所が違えば、怖すぎる。

「私が切り刻んであげるわ」

小春の声は何かに取り憑かれたかのような低い声になった。

「始まった、始まった」と囁くみんな。

医学生たちはみんな凍りついてしまった。

逆に周りのみんなが無反応なのに驚くぐらいだ。

手術現場なんて、テレビの中でしか見たことがない学生たちなのだ。

それがいきなり小春の手術風景を見たら、恐怖に震えるのは当然だ。

小春は、メスを入れるや否や、叫んだ。

「なんで私がこんなやつを助けなきゃいけないのよ」

それは手術台の男が連続殺人犯だからだ。

護送中、警官の目を盗んで、逃亡。追い詰められて、行き場をなくした男は、橋から下の川に身を投げたのだ。

「こいつは自殺なんかしたんじゃないのよ」

それは反省からじゃない。あわよくば逃げおおせると思ったのかもしれない。

「自分の不注意で死に掛けてるだけよ」

 そのニュースは数日前から大々的にマスコミで騒がれていた。

 殺人犯の逃走。

 犯人の残虐性。

 それゆえ、一般市民を恐怖に陥れていたのだ。

「反省のかけらもない殺人鬼をなぜ助けるの」

 そんな奴をよりによって、警察は助けたのだ。

 しかも命を助けろと言う。

 警察の失態のままで、殺人犯に死んでもらっては困るのだ。

 生かして、裁判にかける必要があるのだ。

「お前の殺したみんなの怨霊が乗り移れ」

「この動脈を切り刻んでやりたい」

「注射器で、少しずつ血を抜いて、苦しみながら死ねばいいのに」

 小春は悪口を連発する。

 しかし小春の腕は着実に手術を行い、死の淵にあった犯人を救い出したのだ。

 その腕はみさきにも神掛かって見えた。

 小春の手術の腕は新人の医師でも理解できる。

 まして手術オタクのみさきには、その腕がどれほどのものか容易く理解できた。

テレビなんかでいろんな世界的医師の手術風景を見るのがみさきの趣味だ。

鮮やかに捌かれていく肉片。

あふれ出す血。

変な興奮を覚えるのはなぜだろう。

そんな瀕死の肉体にメスを入れ、悪魔の瘤たちを除去していく風景を何度繰り返してみてきただろう。

ため息の出るようなメス捌き。

彼らのメスはそれ自体が生き物であるかのようでさえある。

そんな権威たちに母はぜんぜんひけをとらない。

もし身内の欲目と言うものがあるとすれば、みさきは母の腕をむしろ過小評価してしまうかもしれない。

母のメス捌きは本当に世界一かもしれないとみさきに思わせるものだった。

 手術は成功した。

小春の本心はどこにあるのか。

心の中では殺人鬼と同じなのかもしれない。

 メスを握り患者の命を支配する悪魔なのかもしれない。


「何度あの男を殺しかけたことか。なのに私の理性がそれを許さなかったわ」

 その日の夜、小春はボソボソとそう言った。

 神の手を持つ女医と呼ばれながら、テレビに映ることを拒否するのには、豹変する自分自身を知ってるからかもしれない。

まあ、あれをみれば、テレビがNGなのは納得だ。

 家族で食事中に父の隆人は言った。

「君みたいな医者は世界中探したっていないよ。本当に医者で良かった。医者でなかったらと思うと……」

 殺人鬼になったかもしれない。父はそう言いたかったのかもしれない。

 みさきはたまに思う。母はすでに何人も人を殺してるかもしれないと。

「どういうことよ」

 小春はその日はいつも以上にビールを飲んでいた。

目が座っている。

 みさきも手術を見てしまったせいで、母親の小春がモンスターにさえ見えた。

「世界一腕がいいってことじゃないか」

「どうせ、私のことをモンスターペアレントって思ってるんでしょ」

 モンスターペアレントの意味を履き違えていたが、誰も小春を注意しなかった。

「モンスターペアレントじゃないって」

 母は自分で自分に突っ込んだ。

 冗談だったのか。

 食卓を囲む家族がみんな引きつった顔をした。

 外科は天職だと、小春は言う。

「だって、毎日、人殺ししてるみたいじゃない」

 たまに怖くなる冗談を真顔で言う。

 もちろん酒のせいだろう。

 しかしみんなが急に無言になってしまった。

「ジョークよ、ジョーク」

「真顔で冗談を言うなよ」

 小春はなぜか上機嫌だった。

 そして高笑いをした。

 みさきの妹ひなたは黙って食事をしていた。

 怖い、怖すぎる。

 オカルト映画の食卓か。

「でも私の中の神の声は紙一重だったと思う。私が頑張らなければきっと死ぬ。まして私を責める人はきっといない」

小春の声が悲しげに聞こえた。

「なのに私は殺せなかった」

母はやはり迷いがあったのだろう。

それでも助けてしまう、医師の性。

「おっちょこちょいね、おかあさん」

 ひなたは、ポツリとそう言った。


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