(障壁)
リオが女の子とバレる前の時間軸スタート。
リオに恋するメイドさんのお話です。
あるうららかな日の午後。サロンの掃除中のことだった。
「! 危ない」
はたきを振り上げていたニーナの背後から、庇うように手が伸びてきて、顔面に激突するはずだった真鍮の置物が目の前で支えられる。
「どうもありが……!」
ニーナがほっと息をついたのも束の間。
礼を言おうと振り返り、そこにいた人物を視認して、身を固くしてしまう。
「す、すみません、リオ様」
はたきを握りしめたニーナが後ずさるように頭を下げれば、真鍮製の馬像を手にしたリオが、「いいえ」とやさしくかぶりを振った。
「怪我がなくてよかったです。気をつけてくださいね」
「は、はい」
馬をもとの位置に戻すと、用事を終えたのか、リオはサロンから出て行った。
そばで窓を拭いていた同僚のメイドが、羨ましそうにこちらを見ていた。メイド長もいる手前、今は我慢しているのだろうけれど。今日の休憩時間はきっとまた〝うちの騎士様談義〟になるのだろうと、ニーナは確信した。
このところランズベルク家のメイド間の話題は、【お嬢様の四騎士】のことで持ちきりだったからだ。
*
それは、数週間前のこと。
ニーナの勤めるランズベルク家のご令嬢──アーデルハイトが、三名の騎士を新たに迎え入れてきた。
なんでも先日開催された武術大会で見初めた精鋭で、彼女の専属騎士に任命したのだそうだ。
リオもその騎士のうちの一人で、相当に腕が立つらしく、アーデルハイトにこれまた重宝されていた。
しかし失礼ながらニーナは最初、こんなに華奢な子が、と思わずにはいられなかった。
遠い遠い北軍からやってきたと言うその少年は、整った、凛とした顔立ちをしていた。秋を思わせる小麦色の髪はふわりと柔らかそうで、琥珀色の瞳は大きく、まだあどけなさを残している。成長期の美少年、なんて言葉がしっくりくるその容姿に、本当にこんな子が重い剣を振り回せるのかしら、と不思議に思ったものだった。
──無論それはすべて、無用な心配だったわけだけれど。
「さっきのリオ様、かっこよかった……!」
拳を握りしめるように言った同僚に、ニーナは微笑んだ。
予想通り、その日の休憩時間は、リオの話題で持ちきりだった。
「本当よね。わたしもドキドキしちゃった」
「ええ、わかるわ。もう、リオ様ってなんであんなに素敵なのかしら。おやさしいし、仕事は手伝ってくれるし、偉ぶったところもないし」
「そうね。まぁ、リオ様もいいけど、わたしは断然キース様派かしら」
と、休憩室にいたもう一人の同僚が会話に混ざってくる。ニーナはニコニコと聞き役に徹していた。
「キース様は明るいし、お声だってしょっちゅうかけてくださるし、それになんていってもカッコイイし」
「ええ。キース様はやめなさいよ、見るからに遊び人じゃない。街でもいろんな女の子と出かけてらっしゃるみたいよ」「馬鹿ねそこがいいんじゃない」
独自の談義を繰り広げる二人に、ニーナは「そうだね」と「うんうん」と頷き続ける。
「ウィリアム様もね、もう少しとっつきやすかったらいいんだけど」
「そうね。それにウィリアム様はお嬢様につきっきりだし。やっぱりリオ様かキース様か……オーウェン様も寡黙で素敵だけど」
ニーナは淹れたての紅茶を飲みながら、リオのことを思った。いつもやさしく助けてくれる、強くて素敵な男の子。
多分これは恋なんだろう。
それもニーナにとっては初恋だった。
リオといるとドキドキが止まらなくて息苦しいのに、会えなかった日は寂しく思ってしまう。リオがお嬢様の護衛に着くときは、怪我ないようにと祈ってしまう。滅多に笑わない彼が笑うと、絵にとどめたくなってしまう。その思いは、日に日に増していた。
(リオ様も平民の出だって聞いたけど……)
いつか告白したら、彼はなんと応えてくれるだろうか。勇気を出す決心がつかないまま、ニーナは抱えた恋心に人知れず思い悩んでいた。
*
そんな日々が続いた、ある日のことだった。
「よい、しょ」
ニーナは屋敷に届いたウィリアム宛の贈り物をサロンへと運んでいた。
先日、リオも出場した決闘において、ウィリアムがあの有名な騎士──ディートハルトに勝利し、そのお祝いにと、屋敷には朝からたくさんの贈り物が届けられていたのだ。おかげでニーナたちメイドは客人の対応に普段の仕事にこうした荷捌きにと奔走し、今もふらふらと長い廊下を歩いていた。
「ニーナさん」
そこへ、声をかけてくれる者があった。
「持ちますよ」
言いながら隣だったリオに、重い贈り物を奪われる。ニーナは慌てて手を伸ばした。
「! いけません、リオ様」
リオはお嬢様の大切な騎士だ。荷運びなんて手伝わせるわけにはいかない。必死に手を伸ばすニーナに、けれどリオは荷を返そうとはしなかった。
そんなことをするから、ますます好きになってしまうのに。歓喜と焦燥が半々。
ニーナがもどかしく思ったそのとき。
低い声が、割って入ってきた。
「リオ」
しかも最悪なことに、声の主の機嫌はいつもの数倍悪そうだ。
ニーナとリオが声のした方──そばの階段を見上げれば、リオと同じ軍服を纏ったウィリアムが、踊り場に立っていた。強く眉をよせ、リオを睨むように見つめている。
「ウィル」
対するリオの表情は、変わらず穏やかなものだった。
北軍時代から一緒だったというこの二人は、屋敷にやってきた当初からまるで兄弟のようだった。ウィリアムの不機嫌に慣れているのだろうリオは、階段を駆け降りてきたウィリアムと平然と話し出す。ウィリアムが呆れたようにぼやいた。
「また届いたのか……」
「うん、凄いね。これは軍の事務局長からだって。そっちはよく知らないけど。アデル様の知り合いかな?」
「知らねえよ」
「……」
ニーナは二人のそばで一人立ちすくむ。
もし。──もしもこの恋を成就させたいのなら、ウィリアムは最大の障壁になるのだろう。想いを告げる勇気もないくせに、ニーナはそう確信した。だって彼は【兄代わり】と称して、いつだってリオに構っているから。付き合う人間にだって絶対に口を出すはず。
荷を抱えてサロンに連れ立つ二人を見送り、ニーナは重いため息をこぼした。
しかしその数時間後。
驚くべき事実が、屋敷中に知れ渡ることになる。──あのリオが女性だったと、みんなが口々に言うのだった。
(嘘よ)
ニーナは信じられない思いで、リオのいなくなった部屋を覗いた。一介のメイドでしかないニーナは、虚偽罪で軍に捕まったというリオの無事を願うことしかできず、それがなにより辛かった。
そうして後日、ウィリアムたちに助け出され、屋敷に戻ったリオを見て、ニーナは言葉を失った。
軍の牢は、決して良い環境ではなかったのだろう。
戻った彼女は少しやつれたように見えて、その境遇に、ニーナは涙せずにはいられなかった。
──ニーナは前に一度だけ【彼】の稽古を見かけたことがあった。飛び交う怒号と激しい剣戟。その気迫に、最初(こんな子が騎士だなんて)と訝しんだ自分を恥じた。
リオは強かった。キースの剣を弾き返し、オーウェンの蹴りを避け、ウィリアムの喉もとに剣先を突きつけた。
軍の中で生き抜いてきた過去を思えば、どれほど辛かっただろうかと、考えずにはいられなかった。
そうして、彼女がそこまでする理由はきっと。
彼女にも一緒にいたいと思える相手が、いたからなのだろう。
「困ったなあ」
リオが女性だとわかったあとも、ニーナの恋心はなかなか枯れてはくれなかった。
見かければドキドキするし、微笑まれると幸せな気持ちになってしまう。
ただ、やはり、この恋を成就させるには、ウィリアムという障壁が変わらず立ちはだかっているようだった。早くくっついてくれたらいいのに。ニーナは願いながら、今日も仕事に勤しむのだった。
読んでくださってありがとうございました。




