(花)3
リオがルイスから手紙をもらったのは、その翌々日のことだった。
稽古終わりにメイドから受け取った白い封筒には、立派な蝋封が施されていた。(手紙のやりとりなどしたことのないリオは開き方も分からず、結局はウィルに切って貰った。)
装飾もない簡素な白い便箋には丁寧な謝辞が綴られ、そうして最後の方に、
“ご都合の良い時分に、またお邪魔しても宜しいでしょうか”
との文言が添えられていた。
つまり彼は、アーデルハイトの忠告を受け入れ、先触れの手紙を寄越してくれたということだろう。
リオはその夜、手慣れぬペンを駆使して、短い返事を書いた。
“アーデルハイト様のご都合がいい時間なら、大丈夫ですよ”と。
それからだ。
週に一、二度、ルイスがランズベルク家を訪れるようになったのは。
思い出話に花を咲かせるアーデルハイトとルイスの間で、リオはただただ、相槌をうつ。そんな奇妙な習慣が根付くようになった。
三度目の茶会には、流石にリオは遠慮しようとしたのだけれど、ルイスが「リオさんの口に合うと思って」とリオの嗜好に沿った手土産を用意してくれたものだから、断りづらくなった。以来、交流は続いている。ひと月ほど経った、今もだ。
しかしその日、アーデルハイトは別用があると言って、茶会の席を早々に外してしまった。
それでリオは、初めてルイスとふたりきりで過ごすことになったのだった。
互いに口下手なふたりは、最初はしどろもどろに茶を勧めあい、天気の具合を話し、茶菓子の感想を述べ、そうして――――沈黙した。
(どうしよう……なにを話そう)
これまではアーデルハイトが間に入ってとりなしてくれていたのだと実感しながら、リオは何気なく茶をすすった。
ルイスも話題を探しているのか、口を噤んだまま、両手で包むように持ったティーカップを転がし、薔薇の絵柄を眺めている。
リオもなんとはなしにルイスの両手を見やった。
周囲が軍人ばかりという環境で暮らしてきたリオには見慣れない、細くて長く白い指先をしていた。労働階級でない彼の手は、とても綺麗だった。それでも男性特有の骨ばった形をしていたし、リオよりも大きなことに間違いはなかったけれど。
剣も握りやすいだろう――いいな、と思った。
と、不意にルイスが顔をあげた。視線がかちあう。
「リオさんは、お強いんですよね」
「え?」
唐突に話題に、リオの反応は一瞬遅れる。「あ。すみません、急に」と頭をかいて、それでもルイスは続けた。
「小耳に挟みまして。あのリンジャー卿とも手合わせされたのだとか」
「ええ……まぁ」
数カ月前の裁判騒動のことをさしているのだろう。そう解って、リオは言葉を濁した。試合の内容は散々で、語れるような代物ではない。
しかし時折こうして、好奇心を持った人々に尋ねられることは少なくはなかった。
「完敗でしたけど」
言ったリオに、しかしルイスは強くかぶりを振る。とんでもない、と言う様に。
「国一番の英雄を相手にするなんて、余程の腕前でなければ成り立たないことです」
「そんな、大袈裟です。最後は結局、友人に助けられましたから」
ルイスがどんなに盛大に脚色された話を聞いたのかは知らないが、事実、リオはまったく歯が立たなかった。ディートハルトの剣を前に、敗北を認めざるえなかった。
「いいえ」
しかしリオのそれを謙遜と捉えたのか、ルイスも引き下がらない。
「そのご友人が手を貸されるまで、ひとりで持ち堪えられたのでしょう。常人にはあり得ないことだと、記事にはありました」
と、興奮気味だったことに気付いたのか、少しばかり、落ち着きを取り戻す。
「……すみません。急に。僕は家にいてばかりだったので、お恥ずかしながら、リオさんのことを知ったのはつい最近なんです。……本当のことを言うと、貴女ともっと話したくて。それでこうして、何度もお邪魔していました」
「私と?アデル様とじゃなくて?」
「ええ、だからリオさん宛てに手紙を出していたんですけど」
そうだったのか。リオはてっきり、自分宛に送られてくる手紙は、多忙なアーデルハイトとの橋渡し役なのかと思っていた。でも確かに、アーデルハイトと話したいのなら、彼女に直接出せばいいことだった。多忙とは言っても、アーデルハイトには有能な執事がついているのだから。
と、いうことは、彼もリオの生い立ちに興味を持ったということなのだろうか。
紅茶を一口飲んで、ルイスはまた、話し出した。
「あの日、大勢いる人の中で転んだ僕に手を差し出してくれたのはリオさんだけでした」
「これでも軍属ですから」
「いいえ」
静かに否定される。
「他にも兵士の方を近くにお見掛けしました。でも、助けてくださったのはリオさん、貴女だけでした。リオさんにとっては軍務の一環だったとしても、僕にはとても印象深かった」
ルイスはまっすぐに、ほんの少し緊張を交えながら、リオを見つめていた。
こんなにも穏やかな瞳をした人間も、軍にはいない。ウィルは言うまでもなく、比較的優しい性格のテイルでさえ、どこかひねたところがあった。
ルイスは何不自由なく暮らしてきたのだろう。育ちの良さが窺え、羨ましいと思うよりそんな人間もいるのだな、という達観した気分になった。リオには、あまりにも遠い世界の話だ。
ルイスは言った。
「あれから、帰宅してからもずっと貴女を忘れられなくて、もう一度会いたいと思いました。それで実は――不快に思われたらすみません。色々と貴女のことを軍の知人に聞きました。幼い頃から、軍にいらっしゃったと」
リオの罪歴を覗いたということだろう。
そんなもの周知の事実だ。今更構わない。
「どうかしてるでしょう。男性のふりをするなんて」
笑い飛ばして欲しくて言ったのに、しかしルイスはこわばった表情を緩めることはなかった。
「軍部なんて、普通の男でも音を上げることは珍しくありません。特に北軍は厳しいとうかがいました。そんなところで、八年も……
リオさんがどんな思いで過ごされていたかなんて、僕には到底わかりません。幾ら同情しても、なんの慰みにもならないと承知しています。でも僕は……リオさんの、力になれたら良かったのにと、思ってしまいました」
リオには突然でも、ルイスにはそうではなかった。
「ああもう、まどろっこしいのは止めますね」
声はあくまで穏やかで、けれど本心とわかるほどには震えていた。彼はずっとその一言を告げるために、自分を訪ねてくれていたのだろう。たくさんの花や土産を持って。それがルイスの、想いの伝え方だった。
「あなたが好きです」
告白された途端、リオの顔は苦しげに歪んだ。
ルイスは焦り、言葉を早める。
「すぐに答えが欲しいとは思っていません。アデルの騎士を続けてくださっても構わない。でも、出来れば、結婚を前提に付き合ってほしいと、思っています」
「ルイスさん、僕は」
「お願いです」
ルイスは遮るように言った。
「どうか、前向きに考えては頂けませんか」
リオは知らず、軍服の裾を握りしめていた。
*
同時刻。
ランズベルク家のティーサロンで、お気に入りのチェアに全身を預けていたアーデルハイトはぐったりしたまま両目をつむっていた。今朝からこの調子で、食欲もなく、血の気も引いている。
ウィルは長椅子にひとりで陣取ったまま、主君に声をかけた。
「大丈夫か」
「薬を飲んだから平気よ」
「部屋で休んでろよ。顔が青いぞ」
アーデルハイトはゆっくりと目を開けた。
「ルイスが来てるんだもの。お別れの挨拶ぐらいしなくちゃ」
「は?また来てるのか、あいつ」
だからリオがいないのか。
分かった途端、ウィルは眉を寄せる。
軍部に召集でもされているのかと思っていたのに。
「やきもち?」
キースに向かいから微笑まれ、ウィルはさらに顔をしかめた。
この女好きは、何度同じことを聞けば気が済むのだろう。無意識に(とはいってもキース相手にはいつもそうなのだが)低く冷たい声を返す。
「んな訳ないだろ」
「の割には機嫌が悪いじゃないか」
「お前とあのボンボンがしつこいからだ」
言って、飲みかけの紅茶を一気に喉の奥へと流し込む。
脳裏には、一度だけ挨拶をしたあの男――ルイスの人畜無害そうな覇気のない笑顔が浮かんでいた。
奴はいったい、何度“礼”に来れば気が済むのだろう。
ルイス・スウィックス。二十五歳、独身。
スウィックス家の次男で、アーデルハイトとは幼馴染。この頃は疎遠だったが、リオを介して再び交流を深めている。
スウィックス家自体は爵位持ちでこそないものの、その財力は貴族と同等かそれ以上で、故に社交界にも出入りを許されていた。ウィルも家名くらいは耳にしたことがある。
当のルイスは控えめな性格と次男坊という立場もあり、あまり表舞台には出ていないようだった。
アーデルハイトいわく、引きこもりらしい。
子供の頃から自宅で本ばかり読んでいるのだとか。
リオと知り合ったのも、ルイスが趣味の本を探しに出かけている最中だったそうだ。
「リオが心配?」
考え込んでいたウィルにアーデルハイトが首を傾げる。
「大丈夫よ。ルイスは変わってるけど、悪い人じゃないし。こないだリオに助けられたのがすごく嬉しかったみたい」
空になったカップを膝の上に下ろし、ウィルは憮然とアーデルハイトを見つめた。
「金持ちの坊ちゃん丸出しだけどな」
アーデルハイトが小さく笑う。
「ルイスは昔からそうなの。相手に尽くすことが誠意だって思ってる」
ウィルは吐き捨てるように言った。
「そんなの、自己満足だろ」
「じゃあリオが喜んでるなら、問題ないわね」
「喜んでるのか」
「自分の部屋にルイスから貰った花とか人形とか、飾ってるみたいよ」
花?人形?
「リオが?」
「リオが」
アーデルハイトは言い終えて、また両目を閉じた。眉間に皺が寄っていた。
「リオが来たら起こして。少し眠るわ」
キースが「おやすみなさい」と、サロンのカーテンを半分だけ引いた。
薄暗くなった室内で、長椅子に座ったまま、ウィルはじっと目の前の焼き菓子を見つめる。
(そうだよな)
リオだって女なのだ。アーデルハイトや他の令嬢が好むような可愛らしい物に惹かれても、おかしくはない。むしろ当然だった。
けれど、ウィルの知っている親友はいつだって冷静で、生真面目で、そんな物を欲しがった例が一度もなかった。だからウィルは、リオに何かを贈ったこともない。
でも本当は、欲しかったのかもしれない。
普通の女のように。
だからあの男から貰った花や人形やらを飾っているのだろう。
言えば、いくらでも贈ってやったのに
でもそれは、親友として、兄として行き過ぎた行為なのだろうか。
考えれば考えるほどわからなくなって、ウィルはそっと立ち上がった。オーウェンにアーデルハイトを頼み、キースに目配せする。
「ちょっと付き合ってくれ」
こんな時は、身体を動かすのが一番だった。
心置きなく戦える奴を、相手として。




