(北軍)2
「リオ!加勢に来たよ……っ‼︎て、うわ……何やってるの」
最初にそう声をあげたのは、テイルで。
「おい。あれディートハルトさんだろ。なんでウィリアムまで戦ってんだ」
その隣で半ば呆れたように言ったのはジエンだった。
他にも、今しがた入場してきたのであろう北軍の面々が、決議の間の一角にひしめいていた。リオとウィルは、ただ茫然とその光景を眺める。
「テイル、ジエン……どうして」
呟いたリオの耳に、幼い声が響く。
「僕もいます!リオ先輩!」
「……っ!」
後輩のカルロだった。
頭上いっぱいに伸ばした手を左右に振って、必死に存在をアピールしている。
「カルロ、どうして……!」
叫んだリオを真似るように、カルロも口をいっぱいに開けて大声を返す。
「先輩の話聞いて!いてもたってもいられなくて!来てしまいました……!」
「言っとくけど、待ってろって僕は止めたんだよ⁉︎」
テイルが、誤解されてはたまらなとばかりに声を張り上げる。しかしカルロは気にもとめなかった。
「リオ先輩!僕、まだ、リオ先輩に勝ってません!!まだ、先輩に教えてもらいたいことがいっぱいあります!だから軍を辞めないでください!」
まっすぐな声と、瞳が、リオを貫く。
まるで子供の頃のウィルみたいだった。
「リオ……!」
少し離れたところから、今度は教官のリヒルクが声をあげた。伸ばしかけなのか剃り残しなのか判然としない髭はそのままだったけれど、彼が汗だくなのは、初めて見た。
「驚いたぞ!お前の話聞いた時には……ジャスティンの馬鹿はオレが後で殴っとく……!」
リオのすぐ後ろで、ウィルが独り言のように呟く。
「あのおっさん、こんなに声張れたのか」
失礼だよ、と思いながら、リオはリヒルクから顔を動かせない。
「だからな!リオ!居場所がないなら飯番にでもしてやるから、北軍に戻ってこい!お前の飯は美味いから大歓迎だ!なんならオレが嫁さんにしてやる」
「狡いですよリヒルク教官、リオ先輩!先輩がいいなら、僕もお嫁さんに出来ます!」
僕を?とリオはおかしな気持ちになりながら、リヒルクとカルロの言葉を聞いていた。
北軍を取り押さえようとする王都軍と、喚き続ける北軍とで、場は、混乱を極めている。だと言うにも関わらず、騒動の発端でもあるリオはすっかり気が抜けてしまっていた。
相変わらずの仲間たちの姿に、張りつめていた心がほぐれていく。
「ねえ、ウィル」
そばにいたウィルに、リオは問いかけた。
「どうしてみんな、怒ってないのかな」
よろよろと立ち上がったリオは、暴れる仲間たちを見つめ続けた。
「僕は皆に、嘘ついてたのに」
真実を告げたらどうなるのだろうと、ずっと怖かった。裏切者と罵られたらどうしようと、不安だった。
なのに蓋を開ければ、皆はリオを応援してくれている。
「んなの簡単だよ」
ウィルは言った。
「リオが、好きだからだよ」
ウィルも北軍の同士たちを見つめる。
「オレさ、北軍に入れられた頃、本当は最初、不貞腐れてた。誰ともうまくやれないし、施設はぼろっちいし、騎士になれる確率は低いし。でも、リオと会って、友達が増えて、毎日が楽しくなった」
きらきらとウィルの瞳が煌いていく。
「あいつらもきっとそうだよ。お前が頑張ってたことを、あいつらは知ってるし、ずっと見てきた。だから許すんだ」
テイルがまた「リオ!」と叫んでいる。遠すぎてよく聞こえないけれど、ジエンは「薬草が」どうのと話している。
「本当はさ、あいつらも話して欲しかったと思うよ。信用して欲しかったって思ってると思う。でも、そう出来なかったお前の事情も、あいつらはちゃんと分かってる」
と、ウィルの声が一段低くなった。
「だからさ、リオ」
灰がかった青い瞳が、ふいに、こちらを向く。
「もうそろそろ、オレたちに甘えてくれない」
こんなに仲間がいるんだぜ、とウィルが微笑む。
綺麗な笑顔に、リオの胸はまたきつく傷んだ。
「甘えるって……どうしたらいいの」
「とりあえず、そこで待ってろ」
ウィルが言って、ディートハルトに向き直る。
と、その時だった。
裁判長が激しく木槌を打ち鳴らしたのは。
ざわめきは一瞬で鎮まりかえり、かわりに、裁判長の声が高い天井に響きわたる。
「試合はそこまで……‼︎――勝者ディートハルト・リンジャー!」
横暴だ、ウィルが即座にそう叫ぶのを、リオはただ静かに、聞いていた。
*
聞いていた話と、違う。
裁判長を務めていた老爺は、ことの成行きに眉を顰めていた。
リオなるものは、性別を偽り、軍律を犯し、神聖な決闘を汚した――のではなかったか。
事実、リオなる少女は女の身でありながら決闘に出ている。
軍律違反は、免れない。
だから当初、裁判長を務めるこの老爺は、リオの除籍と財産のはく奪の後、しかるべき刑を言い渡すつもりであった。
しかし、それがどうだ。
開廷した途端現れるリオを庇う数々の証言者たち。
無実を主張する小僧。
果ては遠路はるばるやってきた北軍の群れ。
ここまで人望のある人間が、軍にどれほどいるだろう。
聞いていた話と、違う。
――あれは軍を瓦解させる、魔性の娘です
老爺は、告発人であるロゼワルト卿を見やった。
ロゼワルト卿が忌々しそうに睨んでいるのは、罪人リオではなく、なぜか、実の妹であるアーデルハイト嬢だ。
はて。
と老爺が疑惑を強くしたのは、その時だった。
ロゼワルト卿は『軍律を犯したリオを裁くべきです。あなた方をあの娘は小ばかにし、軽んじている』と主張してきた。
しかし実際に目にしたリオなる少女は、軍を軽んじるどころか、罪を受け止め主君を守ろうとディートハルトにすら臆さず、刃を持ち戦った。しかも、その太刀筋は清廉で正しく、彼女の鍛錬する姿が目に浮かぶほどであった。男であれば、どれほど重宝されただろうか。
このまま罪人として手放すには、惜しい人材に思えた。
リオか。
老爺は、ウィリアムが集めてきた成績表に目を落とす。剣技は一位二位を争い、座学ではすべてに最高評価を示す優の文字が並んでいた。
老爺は視力の落ちて久しい双眸を細めた。
これのどこが、軍を軽んじていることになるのだろうか。
ロゼワルト卿は、実際はリオなる少女のことなど、なにも知らなかったのではないだろうか。
事前調査によれば、ロゼワルト卿の騎士団と、アーデルハイトの騎士団は、先日決闘を行い、ロゼワルト卿が負けている。おそらくそこに、私憤が混ざっているのだろう。
そこまでの予想は出来ていたが、リオがこれほど優秀な存在だとは、この目で確かめるまで、分からなかった。
これは、平等な裁判ではないな。
老爺はそう結論づけると副裁判官たちに同意を得、木槌を振り下ろした。
「試合はそこまで……‼︎――勝者ディートハルト・リンジャー!」
老爺は正義の番人だった。
情に流されるわけにはいかない。
いかなる理由があろうと、罪は罪。女は女だ。
女は、男より弱い。
自分たち男が守るべき存在で、間違っても戦うべき相手ではないのだ。
だからこそ、軍律は男だけを起用しているのだから。
だが、その守るべき女性を、自分たちは、守ることが出来ていなかったのではないか。
とも、老爺は思ったのだ。
「横暴だ!」
案の定、吠えるウィリアムを老爺は黙殺した。この小僧の剣技も素晴らしかったと心の端で称賛しながら。
「静粛に。判決を言い渡す」
すっと、場が凍るのが分かった。
「協議の結果。罪人リオの罪は、不問とする――」




