(男だったら)
*
何千回、何万回と見てきたリオの剣捌き。
それが今、ウィルの目の前で披露されていた。
試合の為、スカートからズボンに履きかえただけのリオは、いつもの軍服姿ではない。ウィルとあの日、寮で出会った時と同じ、着古したような襤褸をまとっていた。
――あの頃から女だったんだよな
ずっと、ずっと。
最初から。
「――始め」
審判の合図と共に、試合が開始された。
リオが持ち前の瞬発力を以て地を蹴り、突きを繰り出す。
ディートハルトは難無くかわしつつ、素早く剣を振り下ろした。
刃と刃が、鈍い音を立てながらぶつかり合う。
息つく暇もない攻防に、場は緊張に凍り付いた。
所詮女だと侮っていた軍士官のひとりが、低い唸りをあげる。
見る者が見れば、リオの剣才はすぐに分かるのだろう。
ディートハルトが幼いリオに可能性を見出していたように。
でも、ウィルは知っていた。
リオの剣技も強さも、才能なんかじゃない。
ただの努力の成果なのだと。
その時だった。
リオが打ち返され、後ろによろめく。
隙を見逃さず、ディートハルトが刃を振った。
間一髪リオは避けたが、白い頬に赤い線が斜めに入る――ウィルの隣で、アーデルハイトがたまらず叫んだ
「リオ‼」
踏み留まったリオは、切り傷などものともせず、再度ディートハルトに立ち向かった。
アーデルハイトは咄嗟にウィルの腕を強く掴んでいた。
「ウィル、リオを止めて」
「嫌だ」
「命令よ、止めなさい」
「嫌だっつってんだろ、離せ」
身をよじったウィルが、アーデルハイトの手を振り払う。アーデルハイトは頭に血を登らせながら、こちらを少しも見ようとしないウィルの腕をもう一度強引に掴んだ。
「どうして⁉どうして助けないの⁉親友なんじゃないの‼」
「黙ってリオを見てろ。試合中だ」
「ウィル‼」
「アデル様、落ち着いてください」
キースに後ろから両手首を抑えられ、アーデルハイトは振り返る。
「じゃああなたが助けて!あなたも行かないなら、私が行きます」
「それはさせられません」
キースが言って、アーデルハイトを抑えこむ両手に力を込めた。どんなに暴れてもビクともしないキースの拘束に逃げるのを諦め、最後の頼みにとオーウェンを見上げる。しかし彼もやはり、静かに戦いの行く末を見守るのみだった。
アーデルハイトは声を荒げる。
「なんで誰も命令を聞いてくれないのよ」
「僕たちの仕事は、貴女を守ることだからです」
リオじゃない。とキースが冷静に視線を落とす。
アーデルハイトは歯を食いしばる。
こんなことをしている間にも、リオはディートハルトの剣を受けているというのに。
「どうして、どうして誰も助けないの‼」
ここには、こんなにもたくさんの騎士がいるのに。
アーデルハイトには、分からなかった。
どうして皆、冷静でいられるのか。
戦いを見守ってなどいられるのか。
ウィルとリオは、親友ではなかったのか――。
いつだって二人は仲睦まじそうに一緒にいて、アーデルハイトを和ませてくれた。ウィルはリオと稽古をしている時が一番楽しそうで、リオを弟みたいだと大切だと、言っていたのに。
リオだって、本当は。
「ウィル、ねえ聞いて」
「うるせえな」
ウィルがじっとリオを見据えたまま、呟く。
「オレだって」
その声はわずかに、震えていた。
「止めてえよ」
「だったら」
「でも止めたら、あいつの頑張り、全部無駄になるだろうが」
「ウィル」
「本当は、オレだって言ってやりたいよ。もういいって。もう頑張るなって。だってあいつ、これまでも信じられないくらい頑張ってきたんだぞ。信じられるか。稽古のしすぎで手には血豆いっぱい作って、血だらけでペン握って勉強して、包帯をとりかえるのも追い付かなくて。でも、そんな時もリオは、オレや周りがいくら言っても聞かなかった。一番になりたいって。誰にも負けたくないからって。
それなのにあいつ、なんでか要領悪いんだよ。
対戦相手は体格差があるやつとばっかり当たるし、試験当日に腹壊したり。笑っちまうだろ。だからオレ、あいつから目が離せなくて。勝手に兄貴面して、面倒見てた、ずっと」
ウィルは唇を震わせた。
「それなのにさ……どうしてこれ以上あいつ、頑張らなくちゃいけねえの。なんなんだよ。理不尽だろ、こんなの。ディートハルトさんなんて、誰が勝てるってんだよ」
だったら止めればいいじゃない。
アーデルハイトは喉まで出かかった言葉を、飲み込んだ。
「でもさ、今あいつを止めたら、あいつの、今までの全部を否定することになっちまう。あいつの頑張りも努力も全部、否定することになるだろ。そんなの、かわいそうだ。だからオレはあいつを、応援するんだ。最後まで見届けるんだ」
ウィルはもう、流れる涙を止めることが出来なかった。
無力で無知でただ見ていることしかできない自分が、悔しかった。彼女のために出来ることがなにひとつとしてないのが、悲しかった。
アーデルハイトが、静かに口を開く。
「戦わなくちゃ、あの子の努力が無駄になるなんて本気で思ってるの」
ウィルは思わず、アーデルハイトを見下ろした。キースに拘束されたままのアーデルハイトが、鋭い視線で睨み返してくる。
「本当にリオが見届けて欲しいなんて思ってると思ってるの」
アーデルハイトは、怒りに打ち震えていた。
「そんなわけないじゃない!なんにも分かってないみたいだから教えてあげるけど、女の子はね、いつだって好きな男に守って欲しいって思ってるものなのよ‼」
なんでそんな簡単なこともわからないのか。
「本音なんか言えるわけないでしょう‼あの子が‼それを物分かりがいいみたいな顔して言葉通り受け取るなんて、ほんと男って馬鹿ばっかりなんだから‼」
ディートハルトもそうだ。
どうしてあっさりと戦いを受け入れるのだ。
アーデルハイトには分からない。
アーデルハイトにはリオが、生きるのがとても不器用な女の子にしか見えなかった。助けてと、口に出せない。出すことが出来ない。戦うことしか知らずに生きてきた、不器用な女の子にしか。
「助けて欲しいって思ってるに決まってるじゃない」
アーデルハイトが歯がゆさに涙を零し、ウィルが唖然とする間にも、試合は続いていた。
ウィルが苦し気に呟く。
「アデル」
「何よ」
「助けていいのか。本当に」
「いいに決まってるでしょ」
女って、よくわからない。
ぼやいたウィルは腰に下げた剣にそっと手をかけた。
*
ディートハルトの重い剣を受けるたびに、リオは体力を奪われていった。
剣は重い。
子供の頃は、持ち上げることすら困難だった。
どうしたら腕に筋肉がつくのかわからなくて、ウィルや周りの人たちに尋ねてまわった。
たまごを食べたらいいとか、懸垂をしたらいいとか、色々と聞いたけれど
とにかく、頑張るしかないことだけは分かって、近道などないのだと知って、リオはひたすらに稽古に打ち込んだ。
そうしてリオは、騎士になった。
リオはもう一度、重い剣を持ち上げる。
ディートハルトは宣言通り、加減も容赦もなかった。
大丈夫。いつものことだ。
だってリオはこれまで誰にも手加減されたことはない。
普段通りの戦いだ。
ただ少し、ギャラリーが多いけれど。
「そろそろ降参するかい」
息を荒くしたディートハルトが言った。
リオはふるふると首を横に振る。
負けたくない。
ロゼワルトにも、ディートハルトにも、誰にも。
リオは勝って、アーデルハイトを守るのだ。
それが出来なければ、今までのすべてが、無駄になる。
それだけは嫌だ。
ウィルといっしょに頑張ってきた全部が無駄になるなんて、絶対に嫌だ。
剣を握りなおす。
大丈夫。私は強いもの。
幾度とかけてきた言葉を、繰り返す。
戦場の外では、優しいアーデルハイトがまだリオを止めようとしているみたいだった。
早く勝って、証明しなくちゃ。
安心させてあげなくちゃ。
だけど腕が、あがらない。
リオは口を大きく開けて、酸素を取り込む。
「リオ、限界だ。降参しろ」
ディートハルトの声に苛立ちと焦りがまじる。
身体が悲鳴をあげていることなんて、少し前から分かっていた。
それでもリオは降参しない。だってそんなのは、騎士らしくない。
やっとの思いで剣を振り上げる、ディートハルトが仕方なく打ち返した。吹き飛ばされ、リオは地面に膝をついてしまう。
立たなきゃ。
剣を突き立て、杖がわりにして必死に立ち上がる。
なんて、情けない姿。
地面を睨みつけながら、リオは歯を食いしばる。
ああ、悔しいな。
悔しいなあ。
『私も男だったら』
強い願いが、脳裏をよぎった。
これまで何度、そう思ったことだろう。
男だったら
ジャスティンはあの日、宿を連れ出してくれただろうし
ロゼワルトに利用されることもなかった
アーデルハイトを泣かせることもなかった
リオはきっと、幸せを掴めた。男でさえあったなら。
ウィルと本当の心からの友だちになれた――。
ディートハルトが近づいてくる。
リオは震える足に必死に力を込めた。
立たなきゃ。
立たなきゃ。
だけれど酷使しすぎた足は動かない。
「リオ」
ディートハルトの声が、頭上から降って来る。
「降参しろ」
リオはゆっくりと顔をあげた。
英雄が自分を見下ろしている。
――私も、男だったら
少し前から、リオには、そう思うのと同じくらい強く思い描く夢があった。
――女の子として、生きていたら
今頃、どうなっていただろう?
髪を伸ばして
おしゃれをして
平凡な女の子として、なにひとつ隠すことなく、ウィルと知り合っていたら。
例えば大好きな母が生きていて、顔も覚えていない父も無事で、リオは家業の漁を手伝って。細々とあの村で暮らしていて。
ある日、遠征かなにかで、ウィルたちが村を訪れ、そこでリオはウィルと知り合う。
モーリス夫妻の宿屋では入りきれなくて、仕方なく、数人の訓練兵をリオの家で預かるのだ。
最初、女の子嫌いのウィルはリオを敬遠するけれど、母の手料理を食べればきっと心をほぐしてくれるに違いなかった。
そうしてまたきっとすぐに仲良くなれる、そんな気がした。
訓練を終えたウィル達は軍に戻り、そこから数年は、あえなくなる。
けれど、大人になったあと、リオとウィルは偶然また、どこかで、再会するのだ。
それで、リオはたぶん、また恋をする。
そうだったら、良かったのにな。
なんて。
ディートハルトが、腕を振り上げる。
リオは柄を強く握った。
と、その時だった。
眼前から、ディートハルトの姿が消える。
――え
代わりに見慣れたウィルの背中が、視界いっぱいに広がっていた。




