(王子様の魔法)1
ひとつ咳払いした裁判官が、目線の高さに掲げた罪状文をゆっくりと読み上げた。
「被告、リオ。お前は性別を偽り、我々を八年間もの長きに渡り騙し続けていた。間違いはありませんか」
「はい」
「幼少期、世話になった宿屋の夫妻に多額の借金を残したまま逃亡した。これも間違いありませんか」
「はい」
「ランズベルク公の妹君、アーデルハイト嬢に素性を偽ったまま騎士身分を授かり、その特権を所有し給金を受けた。これも、事実ですね」
「はい」
罪状を読み上げられる間、リオは真っすぐに正面の裁判官だけを見据えた。
入場したその瞬間から注がれ続けているウィルの視線が痛かった。酷く怒っている。
「宜しい。では続いて。証人者トマス、証言台へ」
「はい」
トマスが喜々として立ち上がる。
ロゼワルトに誂えて貰ったのか、今日は真新しい礼装姿だった。磨き上げられた革の靴で誇らしげに証言台に上がったトマスは、リオと目が合うと口元の笑みを一層深くした。紅く充血した瞳は爛々と輝いている。
場違いなほど明るく溌剌とした証言者の声が、場内に響いた。
「僭越ながら証言させて頂きます。リオの幼馴染のトマスと申します。
僕とリオは、北東の小さな漁村の生まれでした。僕は六つ、リオは五つの時に両親を亡くし、親切なモーリス夫妻に引き取られました。
僕たちの親はそれぞれに多額の借金を抱えていましたが、モーリス夫妻はそれさえも肩代わりしてくれました。僕たちはモーリスさん達の宿屋で働かせてもらいながら、何不自由なく暮らしていました。
事情が変わったのは、北軍学校の教官が宿を訪れてからです。僕が十、リオが九歳の年でした。
彼は、新しい騎士団を作るために兵士を募っていると言って、男児だった僕を勧誘してきました。僕は軍に憧れがありましたもので、誘いを受け、入軍致しました。
しかし、実際の軍生活は憧れとは程遠く、厳しいものでした。やはり僕には宿屋の生活があっている――情けない話ですが、モーリス夫妻やリオが恋しくなって、僕はすぐに北軍を脱退しました。勿論、きちんと正式な手順を踏んでからです。
ですが宿に戻った僕は驚きました。
だってリオがいなくなっていたのですから。
聞けば彼女は、僕が北軍に行った一週間後に姿を消したそうでした。
僕は彼女を妹のように可愛く思っていたので、とてもとても心配をしていました。それからはほうぼう彼女を探し回りました。……でも、何年経っても見つかりませんでしたから、正直もう生存は諦めていました。が、神様はいらっしゃるのですね。
所用で都に滞在していた僕は、先日、やっと彼女を見つけたのです。
けどまさか軍に入っているとは考えもしなかったもので、これはどういう事態かと混乱し、彼女のことを調べました。
そうして更に驚かれされました。
リオは男として暮らしていたからです。それも騎士にまでなって。
――これは憶測ですが、きっと彼女は、僕を追って入軍したのだと思います。僕たちは兄妹のように育ちましたから。
ああ、出来ればどうか彼女の浅はかさを許してあげてください。
彼女は、僕が軍にいないとわかった後も、一度入軍してしまった手前、打ち明けることが出来なかったのでしょう。それが今日の騒動を引き起こしてしまった。お詫びのしようもありません。
僕は兄代わりとして、こうして告白に参った次第です。
愚妹の不敬を、深く陳謝申し上げます」
長い口上だった。聞いていられない。
リオはうんざりして眉を寄せた。
ロゼワルト達は、あくまでリオを悪者に仕立て上げようとしている。そんな愚物を騎士へと任命したアーデルハイトの地位を落とすために。そうはさせない。
裁判官がリオを見下ろす。
「被告人リオ。今の証言はすべて真実ですか」
「いえ、違います」
毅然と答えたリオに、場内がにわかにざわめく。
トマスから、笑みが消えた。
「確かに私は、性を偽り入軍しました。けれどそれはトマスを追ったからなどではありません。彼が去った後、モーリス夫妻からの暴力が堪えきれないほど酷くなったからです」
裁判官の眉が怪訝そうに寄せられる。
「暴力?」
「はい。トマスの証言には語弊があります。モーリス夫妻が私たちの借金を肩代わりし、引き取ったのは本当です。ですが彼らは『親切』とは程遠い人物でした。モーリス夫人は気性の荒い女性で、少しでも気に食わないことがあると私やトマスに暴力を振るいました。頬をぶたれ、時には腹を蹴り上げられたこともあります。一時は、食事も貰えなかったことも。それから」
「裁判長!軍を欺いてた女の発言を信じるのですか」
「トマス、静粛に。リオ、モーリス夫人がお前に暴力をふるっていたという証拠はありますか」
「それは……」
「証拠は?」
「……背中に、夫人から受けた火傷の痕があります」
癇癪を起こしたベルが、熱い湯をぶちまけてきた時に負った怪我だ。十六になった今も、痕は醜く残っている。一生治りはしないだろう。
だが。
「それが、訓練時に負ったものではないとどうして言えますか」
裁判官は静かに言い放つ。
やはりそう来るか。リオは答えに詰まった。
そうだ、こんな痕、なんの役にも立たない。過酷な北軍にいたリオの身体には無数の傷痕がある。それがいつ、どうして出来たものかなんて、証明のしようがなかった。
トマスが安心したように嘲笑う。
「まったく、恩人に暴力を振るわれたなんて嘘、よく言えるものだね。失望したよ、リオ」
「……っどっちが」
「静粛に。まだ審議の途中ですよ」
裁判官は言って、悠然と構えているロゼワルトに向き直った。
「ロゼワルト卿。もうひとり証人があると伺っておりますが」
「ええ。はるばる遠方からお呼びした方がおります。おい、お連れしろ」
ロゼワルトに命じられた側近は一度退出したあと、すぐにひとりの女を連れて戻ってきた。俯き加減ですっと入った女が、トマスの隣に並ぶ。
「失礼致します」
謙虚さを装いながら証言台に立ったその女は、リオの記憶よりもふくよかになっていたが、見間違えるはずもなかった。女が顔をあげ、ぼってりとした紅い唇が、ゆっくりと開かれる。
「リオ、探したんだよ。元気そうで良かった」
目を見開いたまま硬直するリオを見て、ベルは両目に涙を滲ませた。そのまま堪えきれないと言った風に左手に持っていた絹のハンカチを、口元に押し当てる。
「ベルさんでお間違いないですね」
裁判官が確認し、ベルがこくりと頷いた。
「ああリオ、生きていてくれて本当に良かった……っトマスから連絡をもらった時には本当に驚いたんだ。まさかあんなに小さかったお前が、軍にいて騎士の真似事をしてるなんて……。髪までそんなに短くして、辛かったろう?もう良いんだよ。大丈夫。うちへ戻っておいで。あたし達はいつでも大歓迎だ」
――ただじゃおかないよ
ベルの動作の端々から幼少時に受けた暴力を思い出し、リオの全身が恐怖に凍り付く。
裁判官は、ベルにそっと声をかけた。
「モーリス夫人。再会を喜ぶのはあとに。証言を願います」
「ああごめんなさい。裁判長様。なにせ田舎者でございましてね、ご無礼をお許しくださいませ」
ベルは言って、一礼した。
「証言でしたね。ええ、トマスが今しがた申し上げたことはすべて真実です。確かに、教育上リオやトマスに手をあげたことがないとは言い切れません。ですがそれもすべて、私どもなりに子供たちを思ってのことでした。幼子だったリオには、耐えがたいものだったのでしょうが……」
「……っ」
リオは口を開きかけたがしかし、あまりの憎悪に声を発することは叶わなかった。
嘘つき。嘘つき、嘘つき。
心に、腹に、どす黒い怨念が渦を巻いて轟く。
「育ての親として、皆々様には深くお詫び申し上げます」
親?誰が?あなたが?
「わたしの母さんは、亡くなった母さんただひとりです。貴女はただの他人です。親だなんて、名乗らないで」
気づけばそう口にしていた。
ベルは一瞬目を見開いて、それから寂しげに微笑む。心底、傷ついたという風に。
「……ごめんね、リオ。気に障ったかい。もう親なんて言わないから、許しておくれね」
なんて演技の上手い女だろう。
その一言で、この場のほとんどの人間はベルに同情したはずだ。
裁判官のひとりが、リオを厳しく叱責する。
「お前はこのご夫人の親心が分からないのですか。度重なる虚偽に加え、性根まで腐っているとは……救いようのない」
呆れたように首を振られ、リオは悔しさに唇を噛む。
暴力を受けていたという証拠を提示出来ない以上、リオがただ嘘をついていると思われても仕方のない状況だった。
三人の裁判官達は、思い思いに口を開く。
「これは、相応の刑罰が必要ですね」
「ええ。なにか事情があればと思いましたが」
「これほどまでとは」
嘘つきは自分だった。
リオは両目を瞑り、打開策を考え続ける。しかし焦りと混乱でまともに考えがまとまらない。
と、その時だった。
「お待ちください」
――え?
リオは思わず、顔をあげた。大勢いるせいで、気が付かなった。アーデルハイトの側に、見覚えのある金髪の男が座っている。
「私が彼女の証人になりましょう」
男が喋ると、クセ毛の間から見える耳飾りが揺れた。
どうして、こんなところに。
言葉を失ったリオに、ジャスティンが柔らかな笑みを向けてくる。
「やあリオ、大変なことになったね」




