(初恋)3
*
「決闘の日取りが決まりました」
オーウェンがそう言ったのは、夜会から三日後のことだった。公爵家の食堂で昼食をとっていたリオとウィルが、同時に口を開く。
「本当ですか」
「いつ」
「二週間後の日曜日です。場所は軍本部の大闘技場となりました」
両の手のひらをテーブルにつき、腰を浮かせそうになっていたウィルがゆっくりと座りなおす。
「……二週間か」
と、その向かいに座っていたキースが、オーウェンの背後を見やった。首を傾げる。
「あれ?アデル様は?」
「お部屋に戻られておいでです」
言いながらオーウェンも食堂の隅に腰をおろした。その鼻先はひりりと赤い。
そういえば朝から、雪が降ってたな
思い出して、リオは窓の外を見やった。薄灰色の空が広がっている。さぞ寒かっただろう。リオは淹れたてのジンジャーティーをカップに注ぎ、オーウェンに差し出した。
「どうぞ。温まりますよ」
「ありがとうございます」
オーウェンは受け取って、陶器のカップを守るように両手で包んだ。その顔には疲労が色濃く残っている。
――オーウェンは早朝から、アーデルハイトと共に軍本部へ赴いていた。ロゼワルトとの決闘を正式に申し込むためだ。
都では、決闘を行う場合、いかなる理由があっても軍本部への申請が必須であった。これを破った者には軍規違反者として重い罰が課せられる。最低でも懲役刑、場合によっては極刑もありえ、そうと知っていて申請を怠る愚か者はなかった。かつて(もう何十年も前の時代)私闘故に命を落とす若者が後を絶たなかったことでこの軍律が出来たそうだが、リオは詳しいことは知らない。
騎士の決闘は神聖なものとみなされており、立会人には第三者が立つことになっていた。
今回の決闘には、軍本部の上官が選出されたそうだ。
と、リオ達にそう話し終えて、最後にオーウェンは深い息を吐いた。テーブルの上で組み合わせた自身の両手を見つめながら、太い眉を中央に寄せる。
「実は少し、まずいことになりました」
「まずいこと?」
「なんだよ」
オーウェンは瞳を不安気に曇らせたまま、顔をあげ、同志の少年達を見渡した。そうして、意を決したように口を開く。
「リンジャー卿が参戦されます――ロゼワルト様の騎士として」
「え」
リンジャー卿。ディートハルトさんが?
リオの脳裏に、つい三日前楽しく会話をしたばかりのディートハルトの笑顔が浮かぶ。
彼が、ロゼワルトについた?
どうして。
「どういうことですか」
問い詰めるような口調になってしまった。オーウェンは重く首を振る。
「どのような経緯があったのか、細かなことは私にもわかりません。ですが本日申請を行った際、騎士の一名として彼の名もあがっていたのです。突然」
ウィルが即座に否定した。
「ありえない。ディートハルトさんには別に主君がいる」
「その主君が許可なさったそうです。騎士として、手腕を衰えさせないためにもと。それに、リンジャー卿ご自身もあなた方、リオさんとウィルさんとの手合わせを強く希望なさっていたそうですよ」
「そんな」
力の抜けてしまったキースが、椅子の背に身体を預ける。
「あの人が相手なんて……無理だ」
ディートハルトの剣の腕は、今なお劣るところを知らない。生ける英雄の名は健在で、今も都中を沸かせている。
そんな男と決闘だなんて、敗けに行くような話だ。
リオは、ぎりと拳を握りしめる。
ロゼワルトだ。どのような手を使ったのかは知らないが、ロゼワルトの仕業に違いなかった。
卑怯者。
初めからロゼワルトはこうするつもりだったのだろうか。
初めから正々堂々と勝負するつもりなどなく、“ディートハルト”というカードを使うつもりだったのだろうか。
アーデルハイトを勝たせるつもりなど、微塵もなかったのだろうか。
卑怯者。
今すぐロゼワルトを探し出して、殴り倒してやりたいと思った。アーデルハイトの細腕よりも、リオの方が何倍も力はある。リオなら痛みによる制裁を加えることが出来る。そうして暴行罪に問われても構わないような気がした。だって、相手はディートハルトなのだ。正攻法で決闘で勝つことは、もう――。
「無理だなんて言うな」
ウィルの凛とした声が辺りに響いた。
リオははっと顔をあげる。
「大丈夫だ、勝てる」
「ウィリアム……」
キースが困ったような声をあげた。
「気持ちはわかるけど、彼に勝つなんて」
「大丈夫だ」
ウィルは繰り返す。
「オレもリオも北軍では首席を争ってた。キース、お前の実力はわかってるし、オーウェンの力も知ってる。無理だなんてことはない」
「だからって」
「オレ達がここで戦意を失えば、それこそロゼワルトの思う壺だぞ」
ウィルに強く言われて、キースは一瞬閉口する。そうして苦々しく口を開いた。
「そりゃ、君はいいさ。敗けたって後ろ盾があるんだから」
ウィルの声色が変わる。
「おい、どういう意味だ」
「君がウィンズ家の人間だって意味だよ」
「……んだと」
「君はどうせこの決闘を名をあげる良い機会ぐらいにしか思ってないんだろう。けど、僕は違う。敗ければ終わりだ。ロゼワルト様は必ずこの騎士団は解体するだろうし、そうなれば騎士身分もはく奪だ、軍に戻らざるを得なくなる。負け犬としてね。それからどうなると思う?出世なんて望めやしない、一生下級兵だ。主君を守れなかった騎士崩れなんだから。リオも、オーウェンもそうなるよ。ウィル、君以外は」
「あいにくだな。オレはあの家に戻るつもりはないし、負けるつもりもない。てめえは独りで負け犬の遠吠えでもほざいてろ」
「なあ君」
キースが皮肉気な笑みを向ける。
「あの闘技会で運よく優勝したくらいで調子に乗ってるんじゃないか」
「……っ」
ウィルが身を乗り出して、テーブルに飛び乗りながらキースの胸倉をつかむ。
「ウィル!」
リオが追うようにして、ウィルの振りあがった腕を掴んだ。両手で必死にしがみつく。
「離せ、リオ」
「駄目だ、キースは仲間だろ。怪我させたら、決闘に差し障る!アデル様を本当に守れなくなる!」
ぴたりと、ウィルの身体が止まった。振り上げていた拳から、少しずつ力が抜けていく。
「……っくそ」
キースを掴んでいた腕を乱暴に離し、「腰抜け!」と叫んでから食堂を出ていく。
「……あいつ本当に暴力的で、嫌いだ」
乱れた服を直しながら、キースが忌々しそうにぼやいた。リオはウィルの足音が遠ざかっていくのを意識しながら、キースに向き直る。
「キース」
「なに?」
「一緒に、頑張ってくれないかな」
「……は?君までそんなこと言うの?頑張れば国一番の英雄に勝てるって?」
リオは苦笑した。
「僕はウィルほど楽観的じゃないよ。でも、可能性はあるだろ」
「随分低い可能性だね」
「そうだよ。ゼロに近い可能性だ。でも、それでも僕たちは挑まなきゃいけない。アデル様の騎士だから。“無理”だなんて尻尾を巻いて逃げちゃいけないんだ」
騎士の誓約は甘くはない。そう教え込まれてきた。
「それに、君にとってもチャンスだよ。もしも国の英雄を倒せたら、それこそ名があがる。ロゼワルトに怯える必要もなくなる」
「敬称忘れてるよ……」
「いいよ。別に聞かれてるわけじゃないし。そもそもロゼワルトのこと敬ってないから」
キースは不可思議な生物でも見つけたかのように、訝し気にリオを見つめる。
「……変な奴」
そうして小さく息をついた。
「そうだよな……アデル様の為なんだもんな」
「うん。そうだよ」
「稽古、しようか」
「うん」
リオは頷いて「ウィルを呼んでくる」と、食堂をあとにした。
キースばかりじゃない。
諦めていたのは、リオも同じだった。
その目を覚ましてくれたのは、ウィルだった。ウィルのまっすぐな心と眼差しだった。
ウィルは凄い。いつだって前を向いてる。
そんなウィルだから、リオはきっと惹かれていた。一緒にいるのが楽しかった。
子供の頃から。ずっと。
(たぶんウィルはアデル様の部屋だ)
そう確信して、リオは二階への階段を駆け上がる。キースと仲違いしている場合ではない。早く稽古を再会しなければ――。
「大丈夫だ、アデル」
と、アーデルハイトの私室からウィルの声がして、リオは立ち止まった。
やっぱりここにいた。
「……ごめんなさい」
続いたアーデルハイトの声は震えていた。
扉がほんの少し開いている。
それが、いけなかった。
視界に映ったその光景に、リオは立ちすくむ。
いつの間に、そんなに親密な仲になっていたのだろう。
知らなかった。
アーデルハイトとウィルは向かい合って、寄り添っていた。俯くアーデルハイトと、それを優しい加減で抱き留めるウィル。強く掴めば腕が折れると、本気で思っているかのようだった。
大切に、大切にしているのだ。
リオとの稽古の時は、全力を出してくるクセに。
「お兄様がここまでするだなんて思わなくて」
「お前のせいじゃない」
「でも」
「アデル。自分を責めるな。悪いのはお前の兄貴だろ?」
ウィルがアーデルハイトを覗き込むように屈む。
「……でも」
「オレ達は必ず勝つ。信じてろ」
自信満々に微笑むウィルに、アーデルハイトが泣き顔のまま唇をふにゃりと噛みしめる。
「ええ。信じるわ」
「それでいい」
「偉そう」
ふたりの会話を耳にしながら、リオは後ずさる。
と、その時ふいに、ウィルと目が合ってしまった。
「リオ?なにしてるんだ、そんなところで」
きょとんとしたウィルの声に、アーデルハイトも顔をあげる。そうして即座に謝られた。
「リオ……っディートハルトさんのこと、本当にごめんなさい」
「い、いえ。アデル様の責任ではありませんし」
リオは慌てて首を振った。逃げそこなった。
「それよりウィル……あの、僕たちこれから稽古をするから」
「ああ。一緒に行こうぜ」
「うん。でも……」
“今は、アデル様についててあげて”
こっそりと耳打ちをして、リオは足早に去った。




