(初恋)2
飾り付けられた豪奢な会場に足を踏み入れた瞬間、大勢の視線がこちらに集まるのがわかった。委縮するリオに、前方を向いたままウィルが小声で囁く。
「縮こまるな。見下されるぞ」
言われてリオは、背筋を正した。
「うん」
それは王侯貴族が催す夜会で
リオ達が参列した時分にはすでに百を超える人々が集まっていた。口ひげの豊かな紳士に、艶やかなドレス姿の淑女、よく訓練された給仕係、そして左胸に勲章を飾った軍人達。皆、思い思いに立食式のパーティーを楽しんでいる。
少し離れた場所からはゆったりとした楽隊の音も響き、優雅な雰囲気をより一層引き立てていた。
正直、庶民育ちのリオからすれば、圧倒されるなと言う方が無理な話だった。
可愛らしい令嬢にぶつかりそうになって頭を下げ
無骨な紳士に「軍人か」と背中を叩かれよろめきそうになる。
アーデルハイトは著名人らしく、少し歩けば話しかけられ、立ち止まらなければならなかった。リオ達はアーデルハイトに紹介されるままに会釈し、その都度値踏みをされた。公爵家の姫の騎士は、どれほどのものかと。
悔しいのは、リオ以外の三名の騎士達がこういった場にこなれていることだった。キースは顔見知りを見つけては軽口を交わし、オーウェンは普段と変わりなく、ウィルにいたっては、楽しんでいるようにすら見えた。
今だってそうだ。
知人と思しき令嬢に話しかけられたウィルは、誘われるままにダンスホールへ引きずり込まれてしまった。アーデルハイトとキース、それからオーウェンもその輪に加わわっていく。
残ったリオは、邪魔にならないよう少し離れた壁に寄った。そうして、華やかに舞う男女の群れを眺める。
ウィルは、その中でも目立っていた。
令嬢の細腰を軽々と片手で支え、くるりと腕の中で回す。大きな掌は安定感がありそうだった。それに加えて均整のとれた体躯に、広い肩幅、見上げるほどに高い長身――なるほど。女性たちが騒ぐわけだ。リオはどこか客観的にステップを踏むウィルを観察した。ターンするたびに、肩の房飾りが揺れる。純白の軍服は実戦には不向きだが、見目をよくするには十分すぎた。つまりは、この隊服は、こういった場の為に誂えられたものなのだ。そうと分かって、リオは申し訳なく思った。踊れないリオには、どう考えても無用の産物だった。
数十分後。何名かのダンスの相手を終えウィルがようやく輪を抜けた。きょろきょろと辺りを見回し、壁にリオを見つけると人の波を割って近寄ってくる。
「リオ」
リオは「おつかれ」と笑って給仕から貰っておいた水を差し出した。
「踊れたんだ」
「一応な。あんなもん、誰でもできるぜ」
ウィルはごくごくと水を飲みほし、一息つく。そうして王子様の仮面を外して呟いた。
「暑い。脱ぎてえ」
「アデル様に怒られるよ」
「わかってるよ」
面倒くさそうに言って、ウィルも壁に背を預ける。
「なんか食ったか?」
「ううん。人に酔っちゃって」
「大丈夫かよ」
「平気」
ダンスは、まだ続いていた。リオはぽつりと呟く。
「アデル様もダンス上手だね」
「別に、普通だろ」
「アデル様と踊ったことある?」
「ああ、何度か」
ウィルは言って、「でも」と首の後ろをかく。
「アデルと踊るの、苦手なんだよな」
「どうして?」
「だってあいつ、めちゃくちゃ細いんだもん。下手に力入れたら折れそうで、怖い」
怖い?
リオはおかしくなって吹き出した。
「折れるわけないよ。そんな簡単に」
しかしウィルは小難しそうな顔を崩さない。
「……オレもそう思ってたよ。
でも、この前、ちょっと言い合いになった時、むかついてさ、驚かせやろうと思って、思いっきり腕を掴んだんだ。そしたら……めちゃくちゃ痛がられて」
ウィルはその時のことを思い出したように俯いた。
「たぶん、本気で折ろうと思えば……折れたと思う」
「そんな」
リオはかぶりを振った。
いくらなんでも、大袈裟だ。
「まさか、握ったくらいでそんなにポキポキ折れるわけないよ」
そんなことになったら、世の中重傷者だらけだ。
「いや、折れるよ」
「え?」
背後から届いた声は、キースのものだった。
「二人とも、こんなところにいたのかい?」
「キース」
「我が主君がお呼びだよ」
「うん……ってあの、さっきの話、何?」
折れるよって。
リオが尋ねると、キースはこともなげに頷いた。
「ああ。簡単に折れると思うよってこと。特に、僕たちみたいに鍛えてる軍人なんかはね」
嘘くさい、と顔をしかめるリオに、キースは苦笑する。
「本当だって。だって昔、僕の父さん、母さんに酷い怪我負わせてたことがあるんだ」
「え?」
「僕の父さんは、軍人でもなんでもない、ただの商人だったんだけど……僕が十歳くらいだったかなあ。夫婦喧嘩をしてた時、父さんが母さんを殴ったんだ。母さんは凄い勢いで飛んで、父さん自身も驚いてた。父さんは、そんなに力を込めたつもりはなかったんだね、きっと。でも、結局母さんの顔には青あざが出来て、全治するのに三週間もかかった。父さんは今でもずっと悔いてる。それから二度と暴力はふるってないけど――その時、僕は思ったんだ。ああ、女の人の身体って脆いんだなって。それで、僕はせめて弱い女性を護ることが出来る男になろうと思ったんだ。だから今こうして、ここにいるわけだ。わかった?リオ」
キースは前を先導しながら、振り返る。
「女の人は僕たちが思ってるよりずっと弱い。だから守ってあげなくちゃ……あ、だからさ、ウィル。君ももう、冗談半分でもアデル様に乱暴なんてするんじゃないよ」
「わかってるよ」
ウィルは誓うようにつぶやいた。
「もう二度としない。あんなこと」
リオだけが、キースの理論に疑問を抱いていた。
本当にそうなのかな。
自分は実際にウィルやキースを相手に勝利することもあるのに。
本当に自分は、弱いのだろうか。
守られねばならぬ、立場なのだろうか。
いいや。そんなわけがなかった。
だって現にリオは、誰に守られずともこうして生きている。ジャスティンの〝黙認〟という手助けは要したものの、ひとりでやっていけているし、そこらの男相手なら負けない自信もある。
そう結論付けて、リオは小さく息を吐いた。
やはり、ウィルもキースも、大袈裟過ぎるのだ。
「え?」
「あれって……」
キースの案内に従って向かった会場の隅で、リオもウィルも目を疑った。
休憩用の長椅子に腰掛けたアーデルハイトとその前に立っている軍人の姿があった。と、話していた赤毛の男がふと顔を上げ、こちらを見る。そこにリオとウィルの姿を認めて表情をぱっと明るくさせた。彼は――
ウィルが、驚きに声を張り上げる。
「ディートハルトさん……!」
それは都の英雄ディートハルトその人だった。
七年前、北軍で別れたきりだった英雄と再会する日が来るとは思ってもみなかった。リオも懐かしさに速足で駆け寄る。
「お久しぶりです」
「久しぶり、リオ、ウィリアム」
ディートハルトは相変わらずだった。少しの老いも感じさせず、それどころか一層覇気を増したようにさえ感じた。
「大きくなったなあ、ふたりとも」
「そりゃそうですよ」
ウィルは憧れの騎士を前に、興奮を隠せない。
「ディートハルトさん、今は姫様の護衛をなさってるんでしょう?」
「そう。これが我儘なお姫様でさ。こないだ君が優勝した闘技会も出たかったんだけど、旅行に付き合わなくちゃいけなくて、駄目になったんだ」
小声で茶目っ気たっぷりに言われて、リオははにかむ。
「僕も、お逢い出来て嬉しいです。またいつか手合わせ願えたらと思います」
「ああ、是非。アデル姫も人使いが荒いと思うけど、頑張りたまえよ」
返答に困るリオの隣で、ウィルが真剣に頷く。
「はい」
「ちょっと!」
アーデルハイトが笑いながら抗議して、場は和やかな雰囲気に包まれた。
アーデルハイトとディートハルトが知り合いだったことにも驚いたけれど、嬉しい再会もあるものだった。リオも肩をゆすって笑う。
と、アーデルハイトが言った。
「リオがそんなに笑ってるところ、私初めて見たわ。可愛い」
途端、皆の視線がリオに集まる。リオは赤くなって、俯いた。見られるのは慣れていない。
「そんなことないです」
「え?ちょっとリオ、もっかい笑ってみてよ。見逃した」
キースが近寄って、覗き込んでくる。
ディートハルトは嬉しそうに腕を組んだ。
「オレと会えてそんなに嬉しいのか」
「そりゃ、オレ達にとっちゃあなたは神様みたいな人ですから」
「ウィリアム君は良い奴だな」
アーデルハイトとキースに囲まれるリオを見て、ウィルも微笑む。
と、その端でオーウェンもこっそり笑っているのをリオは見つけた。
「あっあの、オーウェンさんも、笑ってますよ」
必死にリオが言うと、アーデルハイトは「大丈夫」と優雅に口元をほころばせた。
「それは何度も見たことあるから」と。
* * *
ほろ酔い加減のディートハルトは、夜会場の隅に設けられた長椅子に座り込んでいた。
「リンジャー卿。そろそろお暇しましょう」
「ん?わかってるわかってる」
言いながら、こくりと首を下げる。アルコールが身体をめぐり、とても気分がよかった。
それだけではない。今日は、昔に水をやった小さな芽が、健やかな大木となって姿を現してくれたのだ。小さく吹けば飛びそうだった少年たちの、立派な騎士服姿を思い出して、にやける。こんなに嬉しいことはなかった。
聞けばウィリアムの方は闘技会で優勝したそうだし、リオも自分が見込んだ通りの手練れとなっている。
「手合わせしたいな」
そう遠くないうちにアーデルハイトに頼み込もうと思いながら、ディートハルトはゆっくりと立ち上がる。
「さて。姫のところに帰りましょうか」
今の主君――小さな姫君はまだ十歳だった。
そのくせ命令する口調は立派なもので、ディートハルトはずっと彼女に手を焼いている。
と、部下を伴い会場をあとにするディートハルトの背に、声をかけるものがあった。
「リンジャー卿」
聞き覚えのある声だった。振り返り、ディートハルトは笑みを浮かべる。即座に酔いを醒ますのは、職業上お手の物だった。
「これはこれは、ロゼワルト様。いらしてたんですね。ご無沙汰しております」
「こちらこそ」
「先ほど妹君と飲んでいたのですよ。ご一緒出来ればよかったですね」
言ったディートハルトにロゼワルトは人の好い笑みを返した。
「愚妹が、何か失礼がなければよいのですが」
「とんでもない。アーデルハイト様はよくできたお嬢さんだと思いますよ」
「恐縮です。勝手に騎士団を設立したりと、じゃじゃ馬で困ったものですが」
「ああ、そうだ。あの騎士団。実はわたしの知り合いがいたんですよ。世の中は狭いですね」
「ほう、知り合いが?」
ロゼワルトが不思議そうに首をかしげる。
「ええ。北軍で一度、稽古をつけたことがあるだけですが。腕は確かですよ」
「そうなのですか」
ロゼワルトがその時、笑顔の裏でどのような算段をしていたかなど、剣術以外にとんと興味のないディートハルトには知る由もなかった。
「時にリンジャー卿」
「はい?」
「実は、良いお話があるのですが」
「なんでしょう?」
「実は貴方様が先の闘技会に出られなかったことを無念に思ってらっしゃると聞きまして」
「ああ、それは本当に残念でした」
素直に肩を落とすディートハルトに、ロゼワルトは親切を装って口を開いた。
「実は近々、決闘があるのです。お力を貸して頂けるとありがたいのですが――」




