(初恋)1
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「リオさんは、踏み込みがまだ甘いと思います」
修練中、冷静にそう言ったのは騎士仲間のひとりオーウェンだった。
アーデルハイトと幼少時代から付合いがあるというこの青年は、リオ達より三つも年上で、年齢的にも経験的にも実質のリーダーだった。
呼吸ひとつ乱れていないオーウェンの、低い声が響く。
「斬り込む時は、躊躇せず相手の懐に入るべきです。リオさんの素早さなら相手が応戦する前に斬りつけることが出来るはずですから。迷いはかえって危険です」
「はい」
リオは額から汗を滴らせ、強く頷いた。
騎士となる前は、少佐の地位についていたオーウェンの稽古は厳しく、また容赦がなかった。立ち上がったリオに無慈悲に、「では、もう一度」と構えを促す。
リオは酷使により震える手足を叱咤して剣を握り直した。
もうかれこれ一時間ほど、同じ稽古を行っていた。さすがに手足は重くなり、動きは鈍ってきている。反してオーウェンには一切の揺らぎがなかった。加減することもなく、大振りの剣でリオを弾き飛ばす。
彼は、体格に恵まれていた。
「リオさん、スピードが落ちていますよ」
「はい」
「もう一度です」
公爵家の一室に造られたその修練場は広く、様々な武具が備わっていた。練習用の木剣も種類豊富で、多様な攻撃を想定した稽古が出来る。
リオはこのところずっと、オーウェンとばかり打ち合っていた。彼が一番、決闘相手――ロゼワルトの騎士たちと体格が似ていたからだ。
キースとも交代で打ち合い、模擬試合の勝敗は五分に分かれていた。
ウィルは今日も昼間からアーデルハイトの付人兼護衛として外出している。
「アデル様のお気に入りだからな、ウィルは」
休憩中、キースがからかうように笑った。
「そうだね」
リオは、水を飲みほして力なく頷く。
確かに、この頃アーデルハイトはウィルとずっと一緒だ。ウィルだって稽古もするけれど、以前に比べてその時間は格段に減ったように思う。アーデルハイトが呼びだてるのは大抵がウィルだからだ。
毎夜の夜会から疲れたように帰ってくるウィルは、そのまま自室に入り、朝まで出てこない。同じ部屋だった頃は、遅くまでいろんなことを話したものだが。
――ウィル自身もアデル様のことを気に入っているんだろうな
リオは知っている。ウィルは自分の意に沿わないことは絶対にしない。ましてや疲れてまでなんてありえないことだった。
だから、ウィルにとってアーデルハイトは特別な存在に違いなかった。
アーデルハイトと楽し気に悪だくみをするウィルの喜々とした横顔を、リオはもう何度も見ている。念願の騎士となり、毎日本当に嬉しそうだ。生き生きとしている。
ウィルは抱いていた夢へと確実に歩みを進めていた。遠くへ遠くへ歩いていくウィルは、リオを振り返ったりはしない。
哀愁にとらわれそうになって、リオは首をふった。
今考えるべきは決闘のことだ。
敗けたらアーデルハイトの身は破滅してしまう。リオ達の立場もどうなるかわかったものではなかった。
リオは少し離れた場所で水分補給をしていたオーウェンを振り仰ぐ。
「決闘の日取りは、まだ決まらないんですか?」
オーウェンは静かに巨体を振り返らせた。
「ええ。ロゼワルト様のご都合に合わせなければならないので、まだ」
言いながらオーウェンの表情は曇る。
「ロゼワルト様の騎士団は総勢十六名です。皆さま元都軍人で、しかも将校クラスまでまで上り詰めていました」
「強い?」
キースの問いに、オーウェンがこくりと頷く。
「私も何度か手合わせをさせられたことがありますが、力技が多いですね」
「ええ。だったらリオ不利じゃないか」
「だから稽古してるんだろ」
むっとして言ったリオに、キースは愛想笑いを返す。
決闘は、勝ち進み形式をとられる。相手も戦士を四人任命し、リオ達と戦うのだった。全敗した方が負け。だから最後のひとりは、一番強いものを残す。
その順番はまだ決まっていなかった。
だが順番がどうであれ、リオが今出来ることはその身を鍛えることだけだ。アーデルハイトに勝利を捧げるために。
リオはぐっと足に力を込めて立ち上がった。
「アデル様……あの、これは」
「動いちゃ駄目よ、リオ」
「……はい」
その夜、リオは主君の手によって、なぜか盛大に着飾られていた。
リオだけではない、キースもオーウェンも真新しい白の軍服に、ピンクゴールドの生花を胸元に飾られ、髪まで整えられている。
いつかとは正反対に、ウィルが面白がるように笑う。
「似合ってるじゃねえか。いいところのお坊ちゃんみたいだぜ」
そういうウィルも、同じ白の軍服に身を包み、クセのない艶やかな黒髪を後ろに流していた。
やっぱりまるでどこかの王子様みたいで見慣れない。
リオは目をそらしながらつぶやく。
「お坊ちゃんはウィルだろ」
「おい、坊ちゃんは止めろ」
そうだ。ウィルはそういう小さな文句を言っている方が話しやすい。
と、アーデルハイトが満足そうに微笑んだ。
「皆素敵よ。私も鼻が高いわ」
そう言うアーデルハイト自身も、深紅のドレスをまとい、ダークブラウンの長い髪を後頭部で高く結い上げていた。
「今日の夜会は軍本部の方もいらっしゃるの。皆を紹介したくて」
と、薄い化粧を施したアーデルハイトの綺麗な顔が、リオに近づく。仄かに甘い薔薇の香りがした。
「そう緊張しないで、話すのは私だから。リオは私の隣にいてくれるだけでいいの」
「……はい」
夜会。
話にだけ聞いていた、貴族の社交界だ。そこではアーデルハイトのように着飾った紳士淑女が踊ったり、会話に華を咲かせるのだという。
未知の世界に、リオは身を固くした。そんなところ、自分には一生縁がないと思っていたし、こうして染みのひとつもない軍服を着ているだけでも汚してしまいそうで落ち着かない。
と、そんなリオの肩をウィルが優しくたたいた。
「上手い飯食えるぜ」
「ウィル」
「社交なんてアデルに任せとけばいいんだから。な?」
「……うん」
リオがそれでも心もとなく頷くと、ウィルは困ったように笑った。
「そんな顔するなって。オレ達も一緒なんだから」
「そうだよリオ。せっかくなんだし、楽しもう」
キースが柔らかく微笑む。
そうだ、キースも経験者なんだった。
思い出して、リオはほんの少し肩の力を抜いた。
「うん。そうだよね」
と、じっと黙っていたオーウェンがわずかな緊張を走らせながら口を開いた。
「アデル様」
「なあに?」
「……本日は確か、ロゼワルト様もご出席なさるのでは」
アーデルハイトが何気ない調子で頷く。
「ええ。そうよ。お兄様もいらっしゃるわ」
ということは。決闘相手――ロゼワルトの騎士達も幾名かはついてくるはずだった。
リオは途端、表情を改め、口元を引き結ぶ。
ただ食事を楽しめばいいというわけではないようだった。




