(主従以上の関係)2
「ねえ」
リオは、隣を歩むウィルを見上げた。
「もしかして、キースのことあんまり好きじゃない?」
リオとウィルは、食堂を出たその足でアーデルハイトの私室に向かった。公爵家の長い廊下を進みながら、ウィルがちらとリオを見下ろす。その顔は普段通りのそれになっていた。
ウィルは顔を正面に戻しながら、肩をすくめる。
「あんまりなんてもんじゃねえな。煩いし、気取ってるし、話も合わないし……リオは?あいつとどうなんだよ」
「……別に嫌いではないけど。少し変わってるとは思うよ」
まだ知り合って間もないけれど、キースを訊ねてくる女性をリオは既に三人も見ていた。屋敷のメイドとも名前で呼び合っているようだし、とても社交的な性格なのだろう。
ウィルが物憂げに口を開く。
「あんまり近づくなよ」
言いながら、横に幅広い階段を上がる。その奥に、アーデルハイトの私室があった。
と、その途中でリオはふと足を止めた。
「どうした?」
先を行っていたウィルが振り返る。
「いや。そういえば、アデル様に呼ばれてるのウィルだけだったなって」
「は?そうなのか?」
「うん。アデル様、わざわざ食堂まで探しに来たんだよ」
「なんでだろ」
「わからない。でもキースは、アデル様はウィルにエスコートを頼むつもりじゃないかって言ってた」
途端、ウィルの顔がゆがむ。
「エスコートオ?んなもん、他にいくらでも適役がいるだろ」
「護衛と騎士団のお披露目も兼ねてるんだって」
「……面倒くさ」
はあ、とウィルがこれ見よがしに息を吐く。
「さっきも軍に呼び出されたんだぜ。夜会に出ろって……せっかく断ったのに」
うんざりするウィルに、リオは歩み寄る。
「嫌なの?」
「嫌だね」
「断るの?」
「……さすがに主君の命令はな」
でも、とウィルは気を取り直すように言った。
「確かに、オレの名前を広めるには良い機会だよな」
言ったウィルの瞳に、野心が煌く。ウィルがひと際輝く瞬間だった。
騎士になる。その夢を見事に叶えたウィル少年の次なる目標は自分の領地と城を持つことだった。これはその第一歩に過ぎないとばかりに、ウィルはほくそ笑む。
「仕方ない、女王様の思惑に乗ってやるとするか」
リオは、その姿を見守っていた。
*
アーデルハイトの用件は、やはり夜会への出席を求めるものだったらしい。
その夜、着飾ったウィルと対面したリオは思わず息を飲んでしまった。親友が、まるで別人に見えたからだ。
「なに、その恰好」
「じろじろ見るなよ」
ウィルが照れを隠すように怒鳴る。けれどリオは目をそらせない。
いつもは額にかかっているはずの前髪は整髪料で後ろに撫で付けられ、ウィルの整った顔がはっきりと見えた。金糸で縁取られた純白の軍服は新品に違いなく、その胸元にはランズベルク公爵家の紋章まで掲げられていた。まるで童話物語の王子様のようだ。
「どう素敵でしょ?私が見立てたの」
アーデルハイトが自慢気に微笑んだ。そんな彼女もまた、童話物語の姫君のように美しく着飾っている。
左右均等に巻かれたダークブラウンの髪が白い鎖骨を優しく覆い、身体の線に沿った深紅のドレスは細いウエストと豊かな胸元を強調していた。
「やっぱり美人じゃないか」とリオがぼそりとつぶやくと「いや、可愛いだろ」と横にいたキースに囁き返される。
とにもかくにも、並んだウィルとアーデルハイトは絵画のように美しかった。
「ウィル、似合ってるよ」
近づいてリオが言うと、ウィルは「そうかよ」と窮屈そうに襟元をくつろげた。
着飾っていても、詰襟が嫌いなのは相変わらずらしい。リオはそれがおかしくてくすりと笑ってしまう。外身がいくらおとぎ話の王子様みたいでも、ウィルは、ウィルなのだ。そう思ってほっとする。
と、服装を乱したウィルを見咎めたアーデルハイトが、困ったように声をあげた。
「駄目よ、ウィル。きちんと襟はしめておいて。誰になんて言われるかわからないんだから」
「はいはい」
ウィルはうんざりしたように答えて、襟を正した。そんな何気ない所作さえ、目を引いてしまう。
ウィルはきっと社交界で注目される。そんな気がした。
「本当にお美しいですよ、アデル様」
キースが言って、アーデルハイトの腕をとる。
「そのドレスも、お似合いです」
「ありがとう、キース」
「次回はぜひ私を選んで頂けると嬉しいのですが」
「ええ。考えておくわ」
今夜は、リオとキースとオーウェンは護衛につく。
馬車は二台だされ、一台にアーデルハイトとウィル、もう一台にリオ達が乗り込むのだった。夜会自体に参加するのはウィルだけで、リオ達は会場の外で待機をする手はずだった。
「じゃあな、リオ」
「うん。頑張ってね」
「おう」
アーデルハイトと同じ馬車に乗り込むウィルを見送り、リオももう一台の馬車に乗った。
公爵家の馬車は内装も凝っていて、大柄なオーウェンと、高身長のキースが同乗してもさほどの狭さは感じられなかった。
御者が鞭を振り下ろす音がして、馬車ががたんと大きく揺れる。と、窓の外の景色がゆるやかに流れだした。寒空が、広がっていた。
*
それからもアーデルハイトは社交の場にウィルを伴い続けた。
闘技会での優勝者ということもあって、ウィルの名は瞬く間に社交界に広まった。ウィルは都でも一躍有名人となり、街を歩けば声をかけられるまでになっていた。
それと同時に、アーデルハイト配下の騎士団の存在も公に知れわたった。
名門ランズベルク公爵家の『姫君を護る騎士団』は民衆の話題の的となり、特に若い少女たちの関心を集めた。
目敏い新聞屋達は「これはいい飯の種になる」とウィルたちを面白おかしく書き上げ、世に送り出した。
リオがその記事を見かけたのは、騎士になって一カ月が過ぎた頃だった。
その日、所用でリオがウィルの私室を訪ねると、ちょうど彼は着替えをしているところだった。
「また出かけるの?」
「ああ、今度はお茶会だってよ」
小ばかにしたように笑いながら、鏡を覗き込み、首元のタイを締める。
「お茶飲んで菓子食って、ほんとお嬢様たちは気楽だな」
「アデル様は違うだろ」
「アデルはな」
リオは支度を続けるウィルを眺める。
「今日は軍服じゃないんだ」
「貴族のお姫様たちが来るから、こっちにしろって、アデルが」
「そっか。大変だね」
ウィルはここ連日、昼は茶会や園遊会、夜はパーティーへと連れ出されていた。
もともと貴族のしきたりを叩きこまれていたウィルは、そういった作法も熟知しているようでアデル曰く「いちいち教えなくていいから都合がいい」らしかった。
ふたりの姿はあちらこちらで見かけられ、その度に話題にのぼった。ただでさえ目立つを容姿をしているふたりだから、無理もないことかもしれない。
『アーデルハイト嬢とウィンズ家の長男が主従以上の関係にある』
街で見かけた新聞に書いてあった、見出しの一文には、そう記されていた。
無造作に店先に重ねられたそれは、大衆向けの娯楽品だ。真偽など定かではない。下級市民たちの好奇心をつき、売り上げがあがれば、新聞屋たちはそれで良かった。
リオは一文を目にはしたもの、購入までしていない。
だが、その一文がなんとなく脳裏から離れなかった。
傍目には、ウィルとアーデルハイトはそう見えるのかと。
アーデルハイトの苦労もウィルの野心も知っているリオはそうでないと分かっているけれど。
リオは記事を頭から振り払う。
今大事なのは、控えている決闘のことだけだ。他はなにも考えるべきじゃない。
「ウィル、夜は空いてる?みんなで模擬試合するから、一緒にどうかなって」
「ああ、絶対行く」
ウィルは途端、明るく顔をほころばせた。
リオもつられるようにほころんで、「待ってる」と部屋をあとにした。




