(細腕)
* * *
都で過ごして一カ月。
闘技会の当日は、思いのほか早く訪れた。
「リオ、前へ」
「は」
晴天の下、審判に名を呼ばれたリオは軍本部の広場に設けられた闘技場へと上がった。熱気渦巻く戦場で、無数の視線に晒される。その視線の半数以上は、リオの滑稽な姿を望んでいた。
今度こそ、その生意気な鼻っ面を折ってやれと。
「君、北軍出身なんだって?」
リオに次いで闘技場へあがったのは、鮮やかな金髪の青年――キース・アルベインだった。
ウィルと同じかそれよりも高い背に、広い肩幅をもち、くわえて都軍の証である白の軍服をまとっている。手にしている銀色の剣は、陽を撥ね返すほどによく磨かれ、一見して上等な武具と見て取れた。
リオは緊張して、自分の使い古した剣を握りしめる手に力を込めた。試合も三度目ともなると、楽に勝たせて貰えそうにはなかった。
「そうだけど」
冷静を取り繕って答えたリオに、キースは微笑する。
「北軍は牢獄みたいに酷いところだって聞いてるけど、本当にそうなの?」
リオは頷いた。
「普通、軍なんて全部そうだろ」
青年は違いない、と白い歯を見せて笑った。
闘技会は、勝ち上がり形式を採られた。順調に勝ち進んだリオはこれで三度目の試合となる。
高級私兵から見習い兵まで、腕の立つものは身分に関係なく出場権利を与えられた。参加数は総勢五十余名。西軍・東軍からも十名ずつが代表として選ばれていた。北軍からはリオとウィルの二名のみだ。
闘技会は一種の祭りのような意味合いも兼ねており、周囲は入場料を払った見物客で固められていた。民衆は若い兵士達を応援し、その背後は酒や菓子を販売する売り子で溢れていた。
少し離れた所には日除け付きの桟敷が設けられ、貴族や軍上層部がリオ達兵士の戦いを見守っている。だいぶ金銭が動くのだろうと、リオは他人事のように考えた。
審判の合図で試合が始まっても、キースの唇はよどみなく動き続けた。お喋りな男だった。
「リオ、前の試合見たよ、良い太刀筋だった」
「ありがとう」
「そっけない奴だな。もっと笑えばいいのに。ほら、可愛い女の子達も見てる」
言ってキースは観衆の女の子たちに笑顔を振りまいた。途端、「キース様」と悲鳴のような歓声があがる。リオは少し驚いて尋ねた。
「友達多いね」
「……っ友達」
キースは突然噴き出して、破顔する。
「友達、ああ。まあ、友達だね。一回ずつデートをしたことがあるだけ」
「……え?恋人?」
「昔恋人だった、今は友達」
変な奴。
黙ってしまったリオに、キースは囁いた。
「君も顔は良いんだから、その妙な短髪止めて愛想良くしろよ。可愛い“友達”が増えるぜ」
「別に良い」
言いながらリオは剣を振った。と、キースの目つきが瞬時に冴えて、剣の腹で受け止められる。金属のぶつかり合う音が響き、その振動が指先から腕、肩、頬、全身へと伝った。眉間に皺を寄せて飛びのいたリオに、キースは構えを解いてにやりと笑う。
「不意打ち?そういうの卑怯って言うんだぜ」
無言でリオは第二撃を放った。得意の俊敏な動きで繰り出した突きが、キースの白い頬をかすめ、長すぎる前髪を切った。鮮血が舞い、観衆が湧く。
頬に赤い線を引かれたキースは顔を歪めた。
「結構感情的なんだな」
彼の無駄な会話をリオは一切無視した。ひたすら攻撃を仕掛け続け、トドメとばかりに突きを繰り出す。が、キースも寸でのところでそれを交わし続けた。悔しさに歯と歯を強く軋り合わせてしまう。
あと少しなのに。
リオは幾度も態勢を変え、今度こそ、とキースに斬りかかる。が、キースは難なくリオの剣をかわした。さすがは都の正規軍なだけはある。
リオの劣勢だった。
息があがり、腕も足もしだいに重さを増していく。先の連戦も響いていたが、それは相手も同じ事だ。単純にリオの体力不足だった。
リオの剣を受け止めながら、キースが皮肉な笑いを浮かべる。
「細すぎるんだよ、君の腕。剣がついてきてない」
キースの一撃一撃が重くのしかかった。
「棄権するなら、女の子紹介してやろうか」
「……いらないってば」
「そう言うなよ」
キースの剣がリオの二の腕を裂く。鋭い痛みが走り、まずい、と思った次の瞬間、腹部にキースの軍靴の底が飛んできた。息が詰まり、激しく咳き込む。骨が軋んだ気がした。
「降参しろ」
「……っ」
リオは片膝をついて、零れた唾液を手の甲で拭った。
ここまでくれば、彼の強さを認めないわけにはいかなかった。
「キース!やっちまえ!」
「あと一息だ!」
周囲を取り囲んでいた彼の同輩たちが拳を振り上げて声援を送る。
同輩ばかりではない、先ほど彼が笑顔を振りまいた少女達も、キースの勝利を願っている。
ここで敗けたら、彼はどれだけ恥をかくことだろう。敗けられないわけだ。
でも、それはリオだって同じだ。
敗けたらここにはいられない。
リオは深く息をついて、ゆっくりと立ち上がった。
キースは細い眉の片方を上げる。
「続ける気?」
「うん」
彼を倒した先に――ウィルがいる。
リオは血が流れるのも厭わず、剣を振るった。
「惜しかったな」
リオの二の腕に包帯を巻きつけながらウィルが言った。医務室は、リオと同じように負傷した兵で溢れていた。
「キース?だっけ。あいつ、模擬大会でも優勝したんだってよ」
「そう。だから敗けて当然だって?」
「そんなこと言ってないだろ」
包帯を結び終えたウィルがため息をつく。
「リオ、いい加減こっち見ろって」
闘技場を降りてからずっと、リオは顔をそむけていた。
あと一歩だったのに。
カッコ悪い姿を、ウィルに見せてしまった。
ウィルがそんなことで馬鹿にしないことは分かっていたけれど、それでも心は重く沈んだ。結果は敗退だ。このまま北軍に追い返されれば、リオの軍生活はそこで終いになる。
ウィルとさよならになるのだ。
「そんなに落ち込むなって」
ふと伸ばされたウィルの右手が、リオの頭上に置かれた。
大きくて暖かな手のひらはすっぽりとリオのそれを覆ってしまう。
「次の試合でオレが仇とってやるからさ」
な、とウィルの顔が近づいて、額をあわされる。ウィルの優しさが嬉しくて、リオはこくりと頷いた。ずっとこうして友達でいたいのに、どうしてかなわないのだろう。
勝ちたかった。
「……うん」
「よしよし」
ウィルが動物にするみたいに、リオの短髪をかきまわした。リオはくすぐったくて身をよじり、ウィルの手から逃れる。と、ウィルが言った。
「そうだ、腹大丈夫か?あいつめちゃくちゃ蹴ってただろ」
「うん、まだ少し痛むけど、たぶん大丈夫」
「オレが百倍にして返してやるから安心しろよ」
リオはくすくすと笑った。冗談めいたウィルの言葉に、ささくれだっていた心が柔らかく凪いでいく。
「ありがと、ウィル」
「やっと笑ったな」
ウィルがほっとしたように言って、立ち上がる。
「そろそろ行くか」
「うん」
望みすぎている気がした。
こうしてウィルはいつだって自分を気遣ってくれるのに、もっと一緒にいたいと思うなんて。
リオは歩き出したウィルの背を追う。
「優勝しちゃえ」
「おう、まかせろ」
振り返ったウィルが自身満々に微笑む。
綺麗で純粋な笑顔だった。
*
リオの腕は細い。
平均して背も低いし、身体も小さい。
しかしそんな不利をものともせず、彼は軍学校での成績をぐんぐん伸ばしていった。ウィルをも凌駕するほどに――。
「北軍代表ウィリアム・ウィンズ、前へ」
「は」
名を呼ばれ、ウィルは闘技場へとあがった。キース・アルベインはすでに壇上にあがっている。余裕を持った笑みがいかにも優男風で、ウィルの嫌いなジャスティンを連想させた。重ね重ね、不愉快な男だ。
「始め」
審判の合図を皮切りに、互いに容赦なく剣を交える。
見た目に反し、キースの力はかなりのものだった。ウィルは押し敗けそうになって、剣を一度離す。小柄なリオには、相当嫌な相手だったろう。しかし、そんな相手の頬に、リオは一太刀を負わせている。
本当、頑張り屋だよな、あいつ。
ウィルは、そんなリオを敬愛し、また、たまらなく可愛く思っていた。
昔見たリオの背中の傷は、今でも鮮明に思い出せる。育ての親につけられたのだと、彼は何気なく言ったけれど、あれはひどい暴力だった。その暴力から逃げ出すために、リオは軍に入ったという。暴力に敗けたくないと。
大人の理不尽な暴力に耐えたリオは、今や立派な青年になった。
首席を取られた時は死ぬほど悔しかったけれど、リオの嬉しそうな顔を前に、おめでとう以外のどんな言葉をかければよかっただろう。
ウィルは、兄替わりとしてリオの成長が誇らしく思うことにした。
華奢な体躯も、伸び悩む身長も、本人はどれ程苦に思っていることだろう。
それをこの男は、“細すぎる”などと嘲笑した。
リオがどんなに努力をしているかも知らないくせに。
途端にむかついて、ウィルは一切の手加減もなく、キースの腹を蹴り飛ばした。キースは砂塵と共に派手に舞い、倒れる。キースが立ち上がる前に、ウィルは歩み寄り、その横腹をもう一度蹴った。
「早く起きろ」
リオは、都に来た今でも努力を重ねていた。
誰より早く起き、外を走り、遅くまで勉学にいそしんでいる。
なのに、少し要領が悪いことも知っている。
彼の足りない知識は、ウィルがフォローしていた。
リオは普段そっけないけれど、案外小さなことで笑ったりする。声には出さず、こっそりとだけれど。そんなたまに見せるリオの笑顔は、ウィルだけの特権だった。
「起きろって」
いつまでも寝ているキースの胸倉をつかむ。キースは青ざめて言った。
「まいった」
それから四名の強豪が出そろい――優勝は北軍ウィルの手に渡ることになったのだった。
*
その光景を、アーデルハイトは遠目からじっと見つめていた。
優勝者ウィリアム・ウィンズ、そしてその同期リオ。
手帳に腕の立つものたちの名を書き記し、側近のオーウェンを呼びつける。
「決めた。彼らにするわ」
「アデル様」
「止めないでね、オーウェン」
アーデルハイトは立ち上がると、オーウェンの制止もきかず見物席を飛び出した。ふっきれ、覚悟を決めたアーデルハイトの歩みに迷いはない。
――神様なんていませんよ。
そう簡単に言ってくれた薄茶色の髪をした青年の、まっすぐな瞳が忘れられなかった。
そう。
黙って家のために嫁ぐなんて、ばかげていた。
しかし一月前の自分は抗うことに疲れ、運命だと諦めて不幸に浸ろうとしていた。
アーデルハイトは家に逆らう覚悟を決めた。
覚悟を決めさせたのは彼らだ。
だから巻き込ませてもらう。
アーデルハイトは凛と背筋を伸ばしたまま、歓声の群れをかき分けた。
「リオ、ウィリアム」
並んでいたふたりの青年に声をかけると、彼らは同じ速度で振り返った。まるで双子みたいだとアーデルハイトは微笑む。
「お久しぶり」
一瞬彼らはほうけた。アーデルハイトが誰だかわからなかったのだろう。だが、すぐに思い出したのか「ああ」と頷かれた。
「お久しぶりです」
言ったのはウィルだった。
「どうしてこんなところに?」
アーデルハイトは呆れた。
「この試合の主催は、私の家だもの。当たり前でしょう」
「そうだったんですか」
リオまで目を丸くする。
名乗った意味がまるでなかったとアーデルハイトは苦笑した。
「まあいいわ。ウィリアム・ウィンズ――優勝おめでとう」
「……ありがとうございます」
さあ。どうしようかしら。
アーデルハイトは魅力的な勧誘の文句を、今更ながらに考え、口にした。
「お願いがあるの」
こんな時は回りくどくない方がいいだろう。
「私の騎士になってくださらないかしら」




