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騎士団と嘘つき  作者: koma
<都編>
30/78

(結婚と義務)

 ランズベルク公爵令嬢アーデルハイト。

 それが、娘の正体だった。 



「急に飛び出して悪かったわ」


 大理石のテーブルを挟んで対峙したアーデルハイトは、両腕を胸の下で組んだままウィルを見据えていた。


 街での騒動のあと、リオとウィルはアーデルハイトを拘束した騎士に連れられ、彼女の屋敷へと連行されてしまった。

 なんとか誤解は解け、今はこうして謝罪にと客間へ通されたのだが、アーデルハイトの態度が気に入らないウィルは納得を示さない。


「おい」


 真向いに座ったウィルが、低い声をあげる。


「お前まさか、それで謝ってるつもりか?」

「当たり前でしょう。聞こえなかったの?」

「謝り方も知らねえのか」


 立ち上がりかけたウィルを、隣に座っていたリオが諫める。


「ウィル。ウィルだってアーデルハイトさんに謝ってないだろ」

「でも」

「ぶつかったのはお互い様だって」


 リオの冷静な視線を受けて、ウィルはあげかけていた腰を下ろした。そうして、普段の半分の声量で謝罪を口にする。


「……悪かった」


 アーデルハイトの形の良い眉がぴくりと動いたが、これ以上長引かせるのも馬鹿げたことだと思ったらしい。引き結んでいた口から、了承が零れる。


「いいわ。私も後ろばかり見ていたし、ごめんなさい……怪我はなかった?」

「ねえよ」

「私も平気だったわ……それからあなたも、巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」


 アーデルハイトの深い色の瞳が、そっとリオを向いた。


「いえ、僕は、別に」


 あんまり美しすぎて、どきどきと落ち着かない気分になる。

 初めて目にする“ご令嬢”を前に、リオは少なからず緊張していた。


 生粋の貴族娘、アーデルハイトは稀に見る美人だった。

 歳の頃は十八、九くらいだろうか。ダークブラウンの瞳は知的さをかもしだし、落ち着いた低い声と凛とした佇まいは生まれの高貴さを感じさせた。

 彼女が動くたびに、艶やかなブルネットの髪が揺れて、ふわりと薔薇の香りが漂う。


 なにを話したらいいんだろう。

 こんな綺麗なひとと。


 リオは知らず汗をかき、ぎゅっと太ももに置いた手を握りしめる。

 ずっと従軍していた弊害だった。

 年頃の娘と話す機会なんてとんと無かったリオは、戸惑いを隠すことができない。

 街の少女達といい、目の前の気性の激しいご令嬢といい、〝娘〟は、リオにとっては未知の生物に他ならなかった。


 と、アーデルハイトが、長椅子から少しだけ身を乗り出す。


「ところで、ねえ、その制服。あなた達北軍でしょ? あんなところでなにしてたの?」

「この制服が分かるなんて、軍にお詳しいんですね」


 ほうっと驚いたリオに、「まあね」とアーデルハイトは蠱惑的な唇で笑みを描いた。色っぽくて、どきりとする。


「軍部に知人がいるの。今は私の護衛についてもらってるんだけど」

「ああ。さっきの人達ですか」


 と、アーデルハイトは一瞬で笑顔を隠した。恐ろしいほどの無表情になる。


「彼らは違うわ。お兄様の私兵。お見合いから逃げ出した私を連れ戻しに来たのよ」

「見合い?」


 ウィルの声音が変わる。その時だった。


「お嬢様、そろそろご準備が」


 ノックに続いて、扉の向こうから感情のない女の声が届いた。アーデルハイトは数秒虚空を見つめて、観念したように口を開く。


「直ぐに行くわ」


 そうして、濃紺のドレスの裾を慣れた手つきで持ち上げながら立ち上がる。リオとウィルに向けられたのは、諦めと嘲笑の混じった笑顔だった。


「残念。あと少しで脱出成功だったのに。これも神様の思し召しなのかしらね」


 瞳が泣きそうに揺らめいて見えた。

 リオは眉を寄せ、ウィルが口を開く。


「そんなに見合いが嫌なのかよ」

「ええ、嫌よ。だって、四十も年上の男なのよ?」


 四十も。

 驚愕するリオの隣で、しかしウィルは「珍しくはねえだろ」とつぶやく。アーデルハイトは重い息を吐いた。


「そうね。良くある話だわ。私は女で、歴史ある家の令嬢なんだものね──ともかく、今日は本当にごめんなさい。また改めてお詫びさせてもらうわね」


 そのまま背を向けて、部屋を出て行こうとする。


「あの」


 リオはとっさに、呼びかけていた。立ち止まったアーデルハイトが振り返る。


「なにか?」

「……えっと、その」


 言うべきか迷いながら、でも呼び止めてしまったのだしと、リオはアーデルハイトを見つめた。


「神様なんて、いませんよ」


 怪訝な目を向けられる。ウィルも不思議そうに「リオ?」とささやいた。


「さっき、ウィルと貴女がぶつかったのはただの偶然です。

 神様の思し召しなんて、ないと思います。

 ……だから、本当に見合いがお嫌なら、嫌って言っても、いいと、思います」


 アーデルハイトが、リオの言葉の意味を飲み込もうとするかのように、数度まばたきした。そうして、複雑に顔を歪ませる。


「ありがとう……そうね。私に、それだけの覚悟がないだけのことなのよね」


 言って一礼すると、アーデルハイトはするりと部屋を出て行った。




 *


 あんまり辛そうだったから、思わず声かけてしまったけれど。


「……余計なこと言ったかな」


 夜半。

 ようやくたどり着いた軍本部の宿舎で、リオはひざを抱えていた。

 明朝、軍部に呼び出され正式に任命を受ける手はずとなっている。

 適当に割り当てられたその部屋は狭く、二段ベッド以外は、北軍の寮と大差はなかった。


「正論だと思ったぜ、オレは」


 横に並んだ狭いベッドに、ウィルが窮屈そうに寝転ぶ。


「リオの言う通り、本当に嫌なら行かなきゃいいんだ。なのに、神様のせいだとか理由をこじつけて諦めたのはあいつだ」

「うん……そうなんだけど。でもやっぱり、あのひとにも事情があったかもしれないのに、僕」 

「そりゃ、あるに決まってるだろ」


 ウィルは仰向けに寝転がったまま、低い天井を見上げた。


「あんなにでかい家に住んでるんだから」


 言われて、思い返す。確かに、アーデルハイトの屋敷は広大で優美だった。磨き抜かれた調度品に見上げるほど高かった天井、大勢の使用人。紅茶のカップを掴むアーデルハイトの細い手は白く滑らかで、水仕事などただの一度もしたことがないのだろうと思った。


 きっと彼女は飢えたこともなく、凍えるような寒さも知らない。

 恵まれているのだろう。生まれたその時から。


 でも。

 その人生と望まぬ結婚の対価は、釣り合っているのだろうか。

 リオにはわからない。


「特権階級に義務はつきものだ。その分良い思いしてるんだから、結婚くらい別にいいだろ」


 ウィルの声は、彼自身に向けられているかのようでもあった。

 だからリオは聞いてみる。

 

「じゃあ、ウィルもいつか結婚するの?」


 ベッドに腰かけたリオに、寝転がったままのウィルの灰青の瞳が向けられた。


「……オレは家を捨てるつもりだからな。まだわからないけど」

「けど?」

「特権を行使してきた義務はある」

「じゃあ、お父さんに言われたらウィルも結婚しなきゃいけないの……?」

「断るのは簡単じゃないだろうな」


 だからもしも命令が下ったら、受けることになるだろうと、ウィルは苦く笑った。しかしすぐに「いいことを思いついた」と、肘をついて身体を起こし、リオを覗き込む。


「なぁ、リオもいつか誰かと結婚するかもしれないだろ? そしたら、オレの子とリオの子で勝負させようぜ。オレ達の子なら絶対強いはずだ」

「……うん」


 リオはそう答えるので精一杯だった。そんなこと、出来るはずがない。


「でもウィル、女の人苦手だろ」


 軽く笑ってみせたリオに、ウィルは深刻そうに眉を寄せる。


「そこなんだよな。マシな女がいたら良いんだけど」

「そんな態度じゃ、アーデルハイトさんみたいに逃げられちゃうよ」

「あいつは関係ないだろ。ま、別に今すぐってわけじゃねえし。当分は修行だろうしな」


 ウィルは言って、あくびをする。


「疲れた。そろそろ寝ようぜ」

「うん、そうだね」


 リオもシーツをめくって、硬いベッドに潜った。


「おやすみ」


 ウィルが言って、背を向ける。

 リオも「おやすみ」と返して、蝋燭の火を吹き消した。静寂と暗闇の中、暫くして、ウィルの寝息が聞こえてきた。リオも目を瞑る。孤独だった。


 


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