(都へ)2
都。
それは、騎士を目指す者ならば誰もが夢に見る聖地だった。都に出ずしては話にもならない。ウィルが興奮を隠せないのも無理はないこと。
けれど、リオの脳裏には歓喜よりも警戒が先に立った。
──どうして突然
年に一度の昇格の時期でもなく、こんな半端な時分になんて、異例がすぎる。
そんなリオの懸念は、果たして正しかった。
グリフ司令は勇み喜ぶウィルに、冷静に言葉を返す。
「とはいってもまだ正式決定ではないのだ、──おい」
「は」
グリフ司令が言って片手をあげると、背後に控えていた補佐官の男が前に進み出た。男は、グリフと共に都から異動してきた士官のひとり──つまりは、中央軍部から左遷された一味だった。
補佐官は抑揚のない声をあげる。
「一月後、都で大規模な闘技会が行われる。ランズベルク公爵家が催す一大行事だ。お前達ふたりには、その闘技会に出場してもらう。北軍の代表として」
「……試合?」
窺うように言ったウィルに、補佐官は短く答える。
「そうだ」
そうして、手にしていた数枚の書類をめくった。
「お前達の成績は聞き及んでいる。先日の模擬試合も見事なものだった。特に、リオ」
補佐官の怜悧な視線が書類から離れ、リオの身体に向けられた。あからさまに値踏みされている。リオはせめてと姿勢を正した。
「剣技で、一等が続いているな」
「は」
「その細腕でよくやるものだ」
「恐れ入ります」
謙虚な姿勢を示すリオに、しかし補佐官の態度は冷たいままだった。
「試合は、各軍の手練れが集まる。北軍の実力を示すまたとない機会だ。くれぐれも無様な姿だけは晒してくれるなよ」
暗に、敗北は許さない。と脅されている。
なるほど。
話のカラクリが見えてきて、リオは心の中で深い深いため息を吐いた。入室時から感じていた教官達の物物しい雰囲気の理由がそれなのだろう。
「は」
その大それた“闘技会”とやらで、北軍出身の自分かウィルが活躍をすれば、それは、彼ら司令官達の功績に繋がる。ひいては、出世道へ戻れるかもしれないと言うわけだ。
結局、面倒ごとの呼び出しには違いなかったが、これならまだ手のかかる下級生を押し付けられる方が何万倍もマシだと思った。
と、辟易するリオの隣で、ウィルが片手をあげる。
「補佐官、質問を宜しいでしょうか」
「なんだ」
「その試合に勝てば、私たちは、正式に王軍に配属になると、そう理解して宜しいでしょうか」
「そうだ。お前たちは明日から三ヶ月間、王軍配下となる。試用期間だ。その間に実績が残れば、そのまま正式採用される」
「三カ月ですね」
ウィルが「わかりました」と挙げていた手を下げる。親友の生き生きとした姿に、リオは思わず笑いだしそうになってしまった。
ウィルはちっとも変わらない。
司令官達の思惑に気づいたそのうえで、逆に利用し返してやろうと企んでいた。都で王直属の騎士にでもなれば、この場にいる誰よりも偉い位置につけるのだろうから。
ウィルなら、そのまま優勝してしまうのじゃないだろうか。リオは、そう思った。
と、補佐官が両手を背後に回す。
「出立は三日後。それまでに諸々の用意をしておけ。いいな」
リオとウィルは、入室した時同様とりあえずは生真面目な表情で司令室をあとにした。その際、並んだ教官のひとり、ジャスティンと一瞬だけ目があい、リオは顔をそらしてしまう。
ジャスティンとの約束を、忘れていたわけではなかったからだ。
あと、少しだろうな。
教官棟を出た後、隣を歩くウィルが堪えきれないと言ったように声を漏らした。
「やったな、リオ」
「うん」
「都だぞ、王軍だ。うまくいったら騎士になれるかも」
「そうだね」
なれるといいね。
教官棟をあとに、ふたりは夕暮れに染まる道を宿舎へと並んで歩いた。リオは、無邪気に喜ぶウィルに笑顔を返す。たぶん、この三か月が分かれ目だと思った。
七年も居座られるとは、ジャスティンも思っていなかっただろう。リオはこの七年、ことあるごとにジャスティンに呼び出され、除隊をほのめかされた。そのたびにリオは「まだ」「もう少しだけ」と懇願した。ジャスティンは「訓練についていけなくなったら止めるんだよ」と、有り得ない寛容さでリオの滞在を許してくれた。だからリオは懸命に訓練をこなした。誰にも疑われないように。誰にも劣らないように。
最初の宣言通り、性別故の贔屓は微塵もされず、ジャスティンの稽古でリオは何度も大けがを負った。骨を折られたこともあれば、重荷を背負って延々と走らされたこともある。けれど、そのおかげでリオは同年の少年達にも負けない程の強さを手に入れた。
成績では、ウィルと首位を争っているほどだ。
そして今日は、軍の代表にまで選ばれた。
本当に男だったら
本当に騎士になれたかもしれない。
リオはぼんやりとそんな空想を夢見た。そして、夢を振り払った。
リオが現実を思い知らされたのは数か月前。身体に、異変が起こってからのことだ。
*
「え、都?」
「……お前ら、出世街道まっしぐらだな」
その夜、食堂の隅を陣取って、リオとウィルは、テイルとジエンに事の委細を話した。叫んだテイルに、向かいに座っていたウィルがテーブルの下で足蹴りをする。
「うるさいっての」
「あ、ごめん……でも、都って、本当なの?」
テイルはおろおろとリオとウィルを交互に見やった。
「こんな嘘ついてどうするの」
リオは芋のスープを啜って言った。テイルが大声をあげたせいで、周囲の目がちらほらとこちらに向けられている。まあ放っておいてもどうせ明日には知れ渡ることだと、リオは静観を決め込むことにした。
「そ、そうだよね。でも、都かあ。凄いね、本当。僕なんか成績は中の下なのに」
テイルは学科では上位者だが、実技演習では下位にあった。リオ同様、身長を伸び悩み、その小柄な身では体力的に他の訓練兵に劣る面があったのだ。
「ああ、卒業試験怖いな」
「テイルなら大丈夫だよ。上手くいけば軍の事務方に回らせて貰えるかも」
「だと良いけど」
テイルは不安を散らそうと微笑んだ。
来年には、皆、軍を卒業になる。一定の試験をクリアした者だけが正式な軍人として雇用され、他は地元へ帰るか、別の道を歩むかになるのだった。
「オレは故郷の近くに配属されたら嬉しいんだけどな。妹達に会いたいし」
ジエンは言って、かたいパンにかぶりつく。ウィルがせせら笑った。
「故郷なんかオレは死んでもごめんだけどな」
ウィルは継母との仲が険悪なままらしく、あまりその話を口にしたがらない。「それより」、と話題を変える。
「お前らも卒業したら都に来いよ。オレも子供の頃に何度か行ったことがあるだけだけどさ、ほんっと凄いんだぜ。こんなくそ田舎とは全然違って、街もでかくて、人も多くて、美味い飯屋もたくさんある」
「ご飯屋さん?」
リオが反応したのを見逃さず、ウィルは誘うように言った。
「そうだリオ、数えきれないくらいあるんだぜ。全部制覇しよう」
それは、多分に魅力的な話だった。
なにせこの地域には飯屋など一軒もない。遠征で街に出かける時以外は、飽き飽きするほど見慣れた軍の食堂の、見慣れたメニューを口にするしかないのだ。
テイルが羨まし気な声をあげる。
「良いなあ、二人とも」
「でも、その試合ってのに負けたらすぐ帰ってくるんだろ?待ってるよ」
「誰が負けるかよ」
からかうジエンに、ウィルが挑むように微笑んだ。
「しっかし三日後か、長いな。今夜からじゃ駄目なのかよ。なあ、リオ」
「駄目なんでしょ。教官たちにも都合があるし」
「都合?そんなの知るか」
短気も、出会った頃から変わっていない。
「だいたい準備に三日もかかるか?女じゃあるまいし」
何気ないウィルの一言に、リオは内心ひやりとした。なんとか真顔を装って、焦りをごまかす。
「ああ。女の人って化粧もあるし、服一枚選ぶのも長いもんね」
「だよな。なに着ても一緒だっての」
ウィルは待ちきれないと言ったように立ち上がる。夕食は誰よりも先に完食していた。
「リオ、それ食い終わったら闘技場に来いよ。手合わせしようぜ」
「いいよ」
リオはパンを一口飲み込んで頷いた。向かいで「こんな時間から?」とテイルとジエンが眉を顰める。
「テイル達も来なよ。一緒にやろう」
リオが誘っても、ふたりは昼の訓練で疲れているから、と苦笑した。
時間は有限なのに。
リオは肩をすくめて見せた。
そうだ。時間は限られている。
リオは宿舎の間から見える満天の星空を眺めた。最後の年だと思うと、リオの胸が切なく痛んだ。見飽きたはずの光景のひとつひとつが、特別なものに見えてならない。
古びた宿舎、整頓された農場、訓練施設、葉を擦る風の音、山の匂い……
それから、遠くから聞こえてくる訓練兵たちの騒ぐ声──すべてが、リオをしんみりとした気持ちにさせた。
(なんだか、隠居生活のお婆ちゃんみたい)
リオはひとりで笑う。
いつの間にか、北地はリオの故郷になっていた。
「リオ君」
背後から声をかけてきたのは、案の定、ジャスティンだった。肩まで伸ばしている金色の髪を今夜は後ろでひとつにくくっている。
リオはジャスティンを振り返って、思い出していた。
初めて会った時も、外で、こんな風に暗い夜だったと。雲から抜け出すことに成功した月が、ふたりの姿を優しく照らす。
「ジャスティン教官」
思いのほか低くなった声に、ジャスティンが眉をよせて笑う。
「そう怯えないでよ」
そうして「闘技会のことだけど」と切り出した。
「僕、司令には何度も言ったんだよ。君は外した方がいいって。でも君成績がいいだろ?模擬試合も勝っちゃうし、学科も上位だから。他に適任者がなくて」
「反対してますか?」
「もちろん」
夜風がジャスティンのくくった髪を揺らす。
「でも僕も所詮は彼らの飼い犬だ。司令達の決定には逆らえなかった」
「……この試合が終わったら、結果がどうであれ、約束は守ります」
「うん。僕もそれが良いと思う。遅すぎるくらいだ」
リオは手にしていた愛用の木剣を強く握りしめた。
「今まで我儘を聞いてくださって、本当にありがとうございました」
リオは体力と知力を得、この七年、何度かついた任務で、幾らかの恩給も賜った。どこか大きな街に行けば、何かしらの仕事にはありつけるだろうと思う。今はまだ、なにも考えられないけれど。
ジャスティンは「うん」と頷く。
「都は人が多いし、権力社会だから何かと大変だろうけど、こことはまた違った世界が広がるよ、きっと」
「はい」
ジャスティンは微笑む。
「頑張っておいで」
「はい」
リオが返事をした、その時だった。
「リオ!遅いぞ!」
待ちきれなかったのか、闘技場の方からウィルが声を張り上げてきた。
「何してんだよ……っ」
と、リオの向こうにジャスティンの姿を見つけて、ウィルはくしゃりと顔をゆがませた。ジャスティンは「傷つくなあ」と笑った。
「なんだよー、誰もかれも。そんなに嫌がることないだろ」
「……別に、嫌がってなんかいませんよ」
「いやしかし感心だなー。今からふたりで特訓か」
「いや、別に」
「よし、僕も付き合おう」
言ってジャスティンが上着を脱ぐ。
リオは「手加減しませんよ」と腕まくりをする。ウィルが、小さく舌打ちをしていた。
その夜、闘技室で、リオ達は消灯間際まで手合わせを楽しんだ。
勝敗は引き分けだったけれど、とてもとても楽しかった。途中でテイルとジエンも来て(ジャスティンを見て後悔したようだった)それからは五人で交代に模擬試合をした。
リオは、ずっと皆といたかった。
けれど。
このまま軍に留まることが出来ない。それはジャスティンとの約束でもあったし、それに、リオの身体が間違いなく女であるからでもあった。
数か月前の深夜、リオは酷い腹痛で目を覚ました。
幼い頃に母を亡くし、女性の身体のことを何も知らなかったリオは、最初それを病だと思った。下腹部からの出血に、細菌にでも感染してしまったのか、このまま死ぬのかと恐ろしくてならなかった。初めて、ジャスティンに身体のことを相談した。ジャスティンは渋い顔で「僕もよくは知らないけれど」と前置きをして、女性の身体特有の症状だと教えてくれた。幸い腹痛は一日で収まり、出血も徐々に薄まっていった。それは月に一度訪れる、子を産むための準備らしかった。
月日を重ねるごとにリオの身体は女性へと成長していった。胸は無駄に膨らみはじめ、なのに身長は思うように伸びない。
それと同じくして、ウィルの身体も男性へと成長していった。せっかくの可愛らしかった顔は良く日に焼け、薄く髭さえ伸びているようだった。身体も、ところどころが骨ばってきているし、腕相撲では勝てないことが多くなった。
時間は止まらない。
リオがここにいられるのもあと、少しだった。
だからリオは、限りある時間を精一杯堪能することにした。
* * *
「じゃあ、行ってくるな!」
その三日後。
盛大で(恥ずかしい)出立式を終えて、リオとウィルは長年過ごした北軍基地をあとにした。カルロを含む下級生が泣いてくれて、リオまで泣きそうになったけれど、それは堪える。
「行ってらっしゃい」
「気を付けて!」
大勢の仲間たちに見送られて、リオとウィルは北軍の門をくぐる。
都までは軍馬で十日。長い長い道のりだった。




