(都へ)1
とある日の午後。
昼食を終え、教官棟へ向かおうとしていたリオの背に幼い声がかかった。
「リオ先輩!」
聞き知ったそれに、リオは足を止めて振り向く。
「カルロ」
名を呼べば、こちらへ走ってくる少年──カルロは無邪気な笑みを広げた。一直線に切りそろえた金色の前髪を揺らして、リオの前で立ち止まる。そうして、抱きかかえるように持っていた籠をずいっとリオの眼前に掲げた。
「見てください、こんなに大きなのが採れました」
籠の中には、零れ落ちそうなほどたくさんの芋が詰まっていた。収穫したばかりなのだろう。どれもまだ、真新しい土にまみれている。
「本当だ、凄いね」
芋を見下ろして、リオは感嘆した。近年稀にみる豊作だった。
「どの辺りで採れたの?」
「一番東の畑です。たぶん、栄養がいいんですよ、ミミズも太いのがいたし、あすこは日光もよく当たりますから」
「よく調べたね、偉いよ」
リオが言うと、カルロはぱっと顔を明るくした。
「これ、今晩の料理に使います。絶対食べてくださいね、リオ先輩」
「うん。勿論」
そうリオが頷いた瞬間
「オレも食うぜ」
突然、背後から低い声が降ってきた。
「ウィル」
リオが振り向くと頭ひとつ分高い位置に、ウィルの端整な顔があった。その額からは、幾筋もの汗が滴っている。ウィルは昨夜から、教官の使いで街へ繰り出していた。
「お帰り。戻ってたんだ」
「ああ。今、馬を戻してきたところ」
言って、カルロの芋をひとつ手に取る。カルロの表情がこわばったのは、リオの気のせいではないのだろう。カルロは一度、ウィルにひどい目にあわされている。
ウィルは言った。
「で、何作るんだ?」
「……い、芋のスープ、です」
「ああ、あれ美味いよな。楽しみにしてるぜ」
「は、はいっ。あの、僕これから訓練があるので、失礼しますっ」
「頑張れよ」
「はいっ」
カルロは固く緊張したまま、大慌てで背を向けて走り去った。
「おい、芋……」
ウィルが返しそびれたそれを、手の中で転がす。
「まあいいか」
「よくないよ。後で返してきなよ」
リオは言って、教官棟へ歩を進めた。ウィルも後ろからゆっくりとついてくる。
「だってあいつ、オレのことビビりすぎだろ」
「それは、ウィルが乱暴だからだろ。言葉遣いとか」
「あ?お上品にも出来るぜ。なんなら今やってみせようか」
「いいよ。気持ち悪い」
「んだと」
こづき合いながら、ふたりは教官棟へ足を踏み入れる。飾り気のない宿舎も七年も過ごせば不思議と愛着が湧くものだった。
──リオとウィルは今年で十六になる。それは、長いようであっという間の歳月だった。
ウィルは最上級生にして唯一、一等兵の称号を得ていた。模擬試合ではリオ以外に一度も負けたことはなく、教官達からの評判も上々だ。しかし、その力強さと横柄な態度は下級生から見ると恐ろしくてたまらないらしく、ウィルは『一番恐い先輩』と怯えられていた。実際にカルロは、一度生意気な口を効いてしまい、ウィルから制裁を受けている。(聞いたところによると、ウィルを“貴族家だから優遇されている”と馬鹿にしたらしかった)
リオは生来の生真面目さと勤勉さを評価され、特別模範生となっていた。
カルロのような下級生の面倒を見るのが主な役割で、剣の稽古を見て欲しいとせがまれることもあれば、先ほどのように呼び止められ、天気や作物のことなど、他愛無い話をされることも珍しくはなかった。リオは、他の上級生に比べて(特にウィルと比べて)格段に話しかけやすいらしかった。『リオ先輩は強いのに優しい』。そんな話をしている下級生たちの話を耳にしたこともあった。頼られることが、単純にリオは嬉しかった。
ウィル曰くそれは「舐められている」のだそうだが、リオはそうは思わなかった。下級生たちが小さな手足で懸命に頑張る姿はかつての自分を見ているようで微笑ましかったし、手助けをしてやりたいと思わずにはいられなかったからだ。
軍の暮らしは、厳しくて辛い。
誰も助けてはくれず、挫ければ体罰が待っている。だが、厳しいばかりでは続けられない。リオは、下級生たちにも希望をもって欲しかった。かつて自分が見出したように。
だから怒鳴ったり体罰で叱咤するのではなく、具体的にどんな鍛え方をすれば強くなれるのか、怪我をしないのかを、噛み砕いた言葉で伝えた。そうした努力が実り、リオは下級生からの信頼を得たのだった。
北軍基地も随分と立派になった。
敷地は今や倍にも広がり、年々入軍者も増えている。さらに軍近くには小さな集落も栄えつつあった。軍本部からの助成金もほんのわずかずつではあるが増額され、リオ達兵士にも、下級生にも、藍色の軍服が支給された。
しかしウィルは、詰襟は首が苦しいから嫌いだと言っていつもボタンを空けている。リオもその気持ちは分からなくはなかった。だが模範生として軍服はきちんときこなしている。
「しかし、話ってなんだろうな」
リオとウィルは勝手知ったる足取りで、教官棟の三階へあがった。目指すは北軍最高司令官グリフの司令室だ。
「さあ」
リオは肩をすくめる。ウィルが横目でリオを見やった。
「またカルロみたいなの押し付けられるかもだぜ」
「本当にそうだったら、今度はウィルに頼むよ」
「オレ、教育者には向いてない。無理」
「そんなのずるいよ」
司令室が近づき、ウィルはようやく襟のボタンを留め始めた。リオは、そんなウィルを見上げて、ぽつりとつぶやく。
「ウィル、また背が伸びたんじゃないか」
「ふん、羨ましいだろ」
ウィルが自慢気に見下ろしてくる。
悔しくてリオは眉を寄せた。この頃ウィルは、日ごとに背が高くなっている気がした。最初に背を越されたのは、もう一年も前になるだろうか。
「ミルクが良いんだぜ。飲めよ」
「飲んでるよ、毎日」
と、開け放してある窓から迷い込んだ秋の風が、ウィルの黒髪をふわりと撫でた。
自信満々の顔が惜しげもなく晒される。灰がかった青い瞳がリオを見つめながら細まり、血色の良い口元はからかうように端だけがあげられていた。
「ちーび」
「……人望ないくせに」
「んだとこら」
ふたりはくすくすと笑いあって、司令室の扉の前に立った。
ウィルもリオもなんとか真顔にもどって、無機質な扉をノックする。中から嗄れた声が響き、ふたりは背筋を正した。
「ウィリアム・ウィンズです」
「リオです」
続けて名のると、「入りなさい」と入室許可が下りる。ウィルが取っ手を引いた。
「失礼いたします」
中にいたのは、老齢の総司令官グリフと、他教官一同だった。そう広くはない部屋に、十数名もの成人男性が左右の壁を覆うように一列になっている姿は、いつ見ても居心地が悪かった。
リオは早く用件を聞いて出ていこうと思いながら、ウィルの背を追った。
一番奥のグリフ総司令の前に並ぶ。
と、二、三度咳き込んだ後、グリフが言った。
「ウィリアム、リオ。栄転だ」
栄転?
リオも、ウィルも話が見えずに表情を変えることができなかった。構わず、老爺グリフは言葉をつづける。その手元には、羊皮紙があった。ちらと見えたそこには、流麗な文字が綴られている。
「都へ配属になった」
リオは息をのんだ。
一瞬だけ、ウィルに目をやる。
「……本当ですか」
かすれた声をあげるウィルは、その綺麗な瞳をひときわ美しく輝かせていた。




