(リオ、喧嘩する)1
その夜、リオは遅くまでテイル達の部屋にいた。
初めて入る他者の部屋は、間取りは同じだったけれど不思議と独特の匂いがした。リオは、テイルとジエンと輪になるように木の床に座り込んで、色んな話をした。とは言っても、リオはほとんど聞き役だったけれど。
話題はふたりの故郷の話から、英雄ディートハルト、この場の誰も知らない見たこともない都の話にまで及んだ。
気が付くと消灯の合図が鳴らされて、リオは慌てて部屋を出たのだった。
「遅かったな」
部屋に戻ると、随分と不機嫌そうな顔のウィルが、二段ベッドの下──リオのベッドに腰かけていた。腕には包帯が厚く巻かれている。
「ウィル、戻ってたんだ」
良かった、とリオが歩み寄ろうとすると、ウィルは突き放すように言った。
「何処行ってたんだ?」
「え?」
リオはきょとりと立ち止まる。
「あ、ああ、テイル達のところ。色々話を聞いてたんだ」
「ふうん。またあのチビ達といたんだ」
「テイルはチビだけど、ジエンは高いよ」
「何話してたんだ?」
「え……別に。テイル達の家族のこととか、ディートハルトさんのこととか」
「こんな時間まで?」
「うん、話が盛り上がって、ギリギリになっちゃった。それより、腕大丈夫?面会に行ったんだけど、追い返されちゃって。今日は部屋に戻らないのかと思ったよ」
「……ちょっと、骨を痛めただけだ」
「折れてはないの?」
ウィルが頷く。
リオは胸をなでおろした。
「良かった、心配してたんだ。僕のせいで、ごめん」
「……ん」
リオは部屋に入って、扉を閉めた。
言いたいことは沢山あった。
もう今日みたいに強制はして欲しくないことや
ウィルはもっと友好的に動いた方がいいと思ったこと。
けれど、今夜はもう遅い。そろそろ見回りの教官もやってくる。だからリオは、また明日言えばいいと思った。
「ウィル、腕痛むだろ?今日は下で寝なよ。僕が上で寝るから──灯り消すね」
リオは窓辺に寄って、短い蝋燭の火に息をかけた。
狭い部屋は一瞬で青白い月明りに満たされる。と、ウィルの低い声が背にかかった。
「お前さ」
「え?」
振り返る。
暗がりの中、ウィルはまだ不服そうだった。
「あんな低能な奴らといて、楽しいのか?」
リオは眉をぴくりと動かした。
「……低能?」
「低能だろ。せっかくディートハルトさんが来たってのに、勝てないからってただぼうっと突っ立ってさ。なにしにここに来たんだっての」
「……低能って、テイル達のこと?」
「そうだよ」
リオはむっと眉を寄せた。
「ウィル、その言い方はひどいよ」
「何処が?ああ、臆病っていいかえた方が分かりやすいか」
「ウィル」
リオが声を荒げても、ウィルは呆れたように首を振っただけだった。
「勝てないなんて、オレだって分かってた。挑むことに意味があったんだ。どれだけ自分が弱いか、通用するか、しないのか。やってみなきゃ分からないだろ?実力が分かったら、次に進めるだろ?でも、あいつらはそれさえしなかった。とっくに諦めてるからだよ、騎士になることを──
なあリオ、あんな奴らといたら駄目だ。弱くなる。もう関わるの止めとけって」
「……嫌だ」
「リオ」
「ウィルは勘違いしてるよ、テイル達は臆病者なんかじゃない。勇気を使う場所がウィルと違うだけなんだ。実際僕は、もう何度も助けられてる」
「助けられてる?あいつらに?」
「そうだよ」
リオはぐっと拳を握りしめた。
「僕が上級生に絡まれた時、テイルは教官を呼んでくれたし、今日だって僕の気持ちを分かって、ウィルを止めに入ってくれた」
怖かったに違いない。テイルの表情も声も硬く、語尾はわずかに震えていた。あれを勇気と呼ばずしてなんと言うのか。
ウィルの言葉と目つきが鋭くなる。
「つまり……オレが、無理やり参加させたって言いたいのかよ」
「違った?」
「っ!」
ウィルがしびれを切らしたように立ち上がる。
「そりゃ、余計なことしたな!けど、オレは……っオレはお前のためになると思った!」
「そんなの頼んでない」
「ああ、そうかよ!」
ウィルが力任せにベッドの柱を蹴った。振動でぐらぐらと揺れる。
だが、リオも負けてはいられなかった。
「勇敢なウィルにはわからないよ。僕が今日、どれだけ怖かったかなんて。足は竦んだし、手は震えた。勝てっこないって逃げ出したくなってた。でも、ウィルに嫌だってはっきり言えなかった……臆病者がいるとしたら、僕のことだよ」
「違う!」
ウィルの叫びが狭い部屋にこだまする。
窓は開け放したままだったし、そうでなくとも宿舎の壁は薄い。喧嘩は、ダダ漏れだったろう。
ウィルの表情は険しいままだった。
「お前は臆病なんかじゃない……初めて会った時、お前は、他の奴みたいに、オレを怖がらなかった!」
「そんなの当たり前だろ。ディートハルトさんに比べたら、ウィルなんか全然怖くないよ」
「なんだと……っ」
ウィルが怪我をしていない方の手でリオの襟をつかんだ。リオも負けじとその手を握り返す。
「やめてよ、服が伸びるだろ」
「うるっせえな!弟分の分際で」
「ずっと思ってたけど、僕の方が背は高いよ!」
「ああ!?」
「だから、弟なんて言うのやめてよ!」
「っの、……クソガキ!」
「同い年だろ!」
ウィルに強く身体を押され、リオは激しく壁にたたきつけられた。リオはキっとウィルを睨み返す。痛みより怒りが勝った。
「そうやって暴力ばっかりだから、テイル達に怖がられるんだ!」
「怖がるのは臆病だからだろ!」
「っ!だから違うって!」
「──煩いぞ!」
怒号と共に、勢いよく部屋の扉が開かれた。
顔を出したのは、しかめつらのリヒルク教官だった。
「なに騒いでるんだ!」
リヒルクは、ウィルとリオを引きはがすと、ふたりの頭上にゲンコツを食らわせた。程ほどに痛くて、リオは頭を押さえる。理不尽過ぎる。
「こんな時間に騒ぎやがって。喧嘩なら表でやれ」
リオは涙目でウィルを見つめた。ウィルの目尻にも、涙が浮かんでいる。
「お前らふたりとも反省室だ!来い!」
リヒルクに促され、ふたりは渋々部屋を出る。
リオは前を行くウィルの背を、いつまでも睨んでいた。




