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騎士団と嘘つき  作者: koma
<北軍編>
2/77

(宿屋)2

 ***


 四年前、リオはモーリス夫妻に引き取られた。

 五つの時だった。



 その夜のことは、今でも鮮明に覚えている。

 たった一間の狭い家の中。リオは板床に膝をつき、ベッドに横たわる優しい母に寄り添っていた。流行り病だった。


「どうするんだよ! こんなガキ一匹残して」


 リオの背後で、村の大人たちはリオの身の振り方と、それから母が残した借金について怒鳴りあっていた。


 村人の顔は皆一様に険しく、じとりとリオを睨んでくる。借金を踏み倒されやしないかと怯えているのだ。


 大人たちの焦燥と怒気を一身に浴び、リオは野兎のように身をすくめる。助けて、と母の眠るベッドのシーツをきつく掴んだ。


 ヒリヒリした空気の中、ひとりの女の、気だるげな声があがる。宿屋の女主人ベルだった。


「どうもこうも、この子が大きくなるまで待つしかないさ」


 男のひとりが、テーブルを強く叩く。リオはびくりと肩を震わせた。


「そんなに何年も待てってのか?」

「そうだよ。普通に考えりゃそれしかないだろ」


 小馬鹿にしたように言ったベルは、それよりも、と村人たちを見回す。


「この子どうするわけ?」


 もうひとつの問題を提唱され、皆が目を逸らしたじろぐ。誰かがリオの面倒を見ねばならないが、誰も名乗りたがらない。小さな漁村では自分の家族が今日生きるのにいっぱいで、他人を養う余裕などありはしないからだ。


「まぁ、うちだって余裕があるわけじゃないけどさ」


 ベルはリオを見下ろして、ゆっくりと笑った。


「あんた達が援助してくれるってんなら、引き取ってあげてもいいよ」

「本当か? ベル」

「もちろんだよ」


 幼いリオの意思など問われるはずもなく、大人たちは助かったとばかりにリオをベルへと差し出した。


「さあリオ。今夜からあんたはうちの子だよ」


 そうして地獄のような日々がはじまった。




「住み込みで働かせてもらってるだけありがたいと思いな」


 これがベルの口癖だった。


 朝から晩まで働き詰めでロクな食事ももらえない。それどころか、日々の生活費も大人になったら返してもらうと言われ続けて来た。食費は勿論のこと、衣服も、部屋代もだ。

 母の残した借金もあるというのに、これではいつ終わるのだろう。

 歳を重ね、算術を学び始めたリオは、しだいに現実を理解し始めていた。

 自分はきっとこのまま、大人になってもただ同然で働かされる。初めからベルは、そのつもりでリオを引き取ったのだ。


 最初は、リオだって泣いていた。


 助けて欲しいと、お願いだと。


 しかし、慈悲のかけらも持ち合わせていないモーリス夫妻には幼子の啜り泣きなど耳障りの種でしかなかった。

 子供らしい口答えも我儘も反抗も、すべて暴力でねじ伏せられた。お仕置きだと言って、灯りもない地下室に閉じ込められた時は、本当に恐ろしかった。

 もうあんな思いは嫌だ。

 いつしかリオは、どうやって痛みから逃げるか、どうやったら怒られないかばかりを考えるようになった。

 言われた事はすぐにやる。

 話しかけられない限り、話さない。

 まず第一に、ベルの機嫌を損ねないこと。

 それだけを念頭に、毎日を生きてきた。

 しかしそうすればそうすることで、望みも希望も抱かなくなったリオは「可愛げがない」「目が死んでいる」と大人たちから罵られた。


 だって痛いのは嫌だ。暴力は恐ろしい。弱虫だと言われても滑稽でも、それが幼いリオが見つけ出した唯一平和に生きる方法だった。



 *

 

 全然、美人なんかじゃない


 男性客は皆、ベルを綺麗な女だと言う。どこが、とリオは思う。

 細すぎる腰も、きつく鏝を当てた髪も、濃すぎる化粧も、綺麗だと思ったことは一度もない。むしろ化け物染みていて気持ちが悪いとさえ感じていた。

 特に嫌いなのは、ぼってりした赤い唇と、ことあるごとにリオを殴るその手だ。



 その、リオの大嫌いなぼってりした唇が弧を描き、細い指は組み合わされていた──そうやって純真な女を演じているつもりらしい。

 ベルは、上客の前に出る時、普段より高い声でもてなす。


「こんな村にまでわざわざ、ご苦労様でございます」

「いえいえ、仕事ですからね」


 軍人の男は、名をジャスティンと言った。今は宿屋の食堂で遅い晩飯にありついている。

 ベルは普段は絶対にしない給仕を買って出て、旦那であるモーリス氏も愛想よく調理場へ入っていた。もちろんリオも駆り出され、熱い鍋の前に立たされている。


「今トマスに部屋の準備をさせてますから、お待ちくださいね」

「すみません、こんな夜分にお邪魔してしまって」

「とんでもない。お役人様が国を守ってくださってるから私たちも安心して暮らせるってものですのよ」

「そんな風に言ってもらえると命を張る甲斐があります」

「大したおもてなしも出来ませんが、どうぞゆっくり休んでらしてくださいね」

「ありがとうございます」


 ジャスティンは酒を片手に微笑んだ。


「それにしても。さっきの子、トマス君ですか。働きもので、とてもいい子ですね」

「え? トマス? ああ……まあ、口ばっかり達者で」

「あのお嬢さんも、小さいのにしっかりしていて。ご立派ですね。これもあの子が作ったんでしょう。とても美味しいですよ」


 厨房から出来立ての魚料理を運んできたリオに、ジャスティンが笑いかけた。


「ありがとう、小さなコックさん」

「……いえ」


 驚いたリオは小さく首を振った。こんな風に誰かに微笑まれたのはいつぶりだろう。


 軍人って、もっと厳めしくて怖いものだと思ってたけど……


 ジャスティンはずっと笑顔を崩さないし、雰囲気も柔らかで、優しそうで、のんびりとしている。軍隊なんかで本当にやっていけてるのだろうか。


 ベルがわずかに引きつりながら、ジャスティンの空いたグラスに酒を注いだ。


「隊長さんったら、褒めすぎですわ。子供ってすぐに調子に乗るんですのよ。まあ親代わりの身としては嬉しいことですけれども」

「へえ、親代わりなんですか」


 ジャスティンは興味深そうに身を乗り出した。


「ええ。このは五つの時に引き取りましたの。可愛そうに。父親は生まれる前に海難事故。母親も病で亡くしましてね。それからは住み込みで宿の手伝いをしてもらってるんです」

「なるほど。トマス君も?」

「ええ。引き取ったのは、トマスの方が後ですわね。あの子も親がなくて、うちで働きたいと。でもご覧の通り小さな店でしょう? 子供ふたり養うのも楽じゃなくて」

「でしょうね。特にこれからは大変でしょう。食べ盛りの男の子といったら、それは恐ろしいものですよ」

「ふふ、本当に。でもきっと乗り越えられますわ。家族ですもの」


 そんなこと、微塵も思ってやしないくせに。リオは膨れ上がる感情を懸命に押し殺した。少ししかめっ面をしただけで「なんだその顔は」と平手打ちを食うことがある。それを避けているうちに、感情を表に出さない癖が身についていた。


 早く大人になって、この宿を出たい。


 けれど、リオはまだ九つだ。外で一人では生きていけない。

 くすぶる想いを内に秘めたまま、リオはモーリス夫妻の飼い犬に成り下がっていた。

 首輪を外せる日を夢に見て。

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