(ウィルの騎士道)1
面会、と聞いた瞬間、臭いものでも通ったみたいに、ウィルの鼻がひくりと動いた。
「こんな朝から、誰だよ……」
ジャスティンは首を振る。
「『誰ですか』だろ? 前にも言ったと思うけど、言葉は正しく使わなければならないよ。言い回しのひとつで印象は大きく変わるものだからね。ああ、そうだな。例えばこの朝の忙しい時間に、わざわざ君を迎えに来た教官を労うくらいの心配りがあっても悪くはないんじゃないかな」
「……ジャスティン教官。朝の御多忙のところご足労おかけして申し訳ございませんでした。どうか僕の面会相手をお教え願えませんでしょうか」
今度はあっさりと教えて貰えた。
「お母様だよ」
けれども、答えを知ったウィルは一層不可解そうに眉を寄せる。
「……なにしに」
「愛息子が恋しくなったんじゃないかな」
「まさか。生存確認だろ」
「はは」
ここは笑うところなのだろうか。
ジャスティンは背を向けて歩きだす。
ウィルも渋々とそれに続きながら、ちらりとリオを振り返った。そうして声を出す事なく「あとで」と口を動かす。
リオは、こくりと頷いた。
面会ってどんなものなんだろう。
ウィルは朝食にありつけるのだろうか。
そんな事を考えながら、ひとり食堂に入る。
とたん、ざわめいていたいくつもの会話が途切れて、少なくない視線がリオに集まった。
ウィルといたヤツだ。
ひそひそとそんな声まで聞こえてくる。
「……」
リオは浅く息を吸うと周囲を出来る限り無視して、配膳の列に並んだ。
早く食べてしまおう。
配膳係の少年は、一瞬嫌そうにリオを見たけれど、すぐに素知らぬ顔に戻り、野菜のスープを渡してきた。他の子のスープに比べて、量が幾分少ない気もしたが、リオは黙って受け取る。
それから別の係からミルクも受け取って、空いている席を探した。
だだ広い食堂には、まばらに寮生たちが座っている。
食堂には、大きな木製の長テーブルが三卓。その両脇に、同じ材質の椅子が十脚ずつ並べられている。最高で一度に六十人が食事を取れるというわけだった。
決まった席はなく、各自好きな席で食べていいとのことだったが、リオはなるべく、人の少ない場所を探した。
昨日の夕食時はテイル達が一緒にいてくれたけれど、今はひとりで、それが少し心細かった。
それに、突き刺さるような視線はまだ続いている。
『せっかく忠告したのに』と、テイルは思っているかもしれない。でもリオは、こんな扱いを受けるなんて思いもしなかったのだ。ただ、ウィルと一緒にいただけで。
誤解が解けたらいいのにな。
そう、思った瞬間だった。
「……っ!」
どん、と強く背中を押され、リオは前のめりに倒れる。膝を強かに打ち、せっかく注いでもらったスープとミルクを床にこぼしてしまった。
「ああ、悪い」
背中にかけられた低い声に振り返ると、顔をニヤつかせた三人の少年たちが立ち去ろうとするところだった。そのうちの一人としっかり目が合う。
「なんだよ、わざとじゃないんだ。許せよな」
「つか、そんな所につったってる方が悪いんだぜ」
皆、リオより背が高く、身体つきもしっかりとしていた。
三人ともに同じ型のシャツに燻んだグリーンのズボンを履いている。上級生だった。それも、優秀生のバッヂが胸についている。
「ちゃんと掃除しとけよ」
「あ、お前の服ちょうどいいじゃないか。雑巾みたいで」
周囲の寮生たちが、おかしそうにクスクスと肩を震わせる。
ふつりと沸いた怒りを、リオはズボンの端を握り締めることで堪えた。
三対一で、相手は年上の兵士見習い。どう考えても敵うわけがなかった。ここはやり過ごすしかない。
リオが目をそらすと、上級生の一人が立ち止まった。
「ぼーっとしててすみません、くらい言えよ」
「そうだよ、謝罪くらい出来るだろ?」
我慢。我慢。
大丈夫。
「すみませんでした。気をつけます」
リオが頭を下げると、すぐそばに唾を吐かれた。
「つまんねぇ奴。あいつと全然違うじゃないか」
「なぁお前、ウィリアムの仲間なんだろ? 腹立つなぁ……おい、こっちみろよ」
強く言われて、リオは顔を上げた。
三人とも、顔の一部に青い痣が出来ている。
それで分かった。こいつらが、ウィルに喧嘩をふっかけた奴らだなのだと。
「ひょろひょろしやがって。そうか。ひとりじゃなんにも出来ないのか」
「女顔ってとこだけ、あのクソガキに似てるな」
「……そうだ。あいつの代わりにはなるかな。──なぁ、この傷さぁ、まだ痛くてたまんねぇんだ。顔洗う時とか最悪なんだぜ」
謝ったのに。
リオは震えそうになる身体を叱咤して、立ち上がる。
と、その時だった。
「おいこら、悪童ども」
ドカドカと靴音を立てて、リヒルクが近づいてきた。
「なにしてんだ! 朝っぱらから!」
「っ! リヒルク教官」
上級生のひとりが、気まずそうに眉尻を下げた。
「なにも。この子にぶつかってしまって、謝っていたところなんです」
「違います!」
とっさにリオが否定すると、上級生には凄まれ、リヒルクには厳しい視線を向けられた。
「詳しく話を聞く。リオはオレと来い。お前たちはジャスティンが来るまでここで待機だ。いいな」
数十分後。話を終え、リヒルクから解放されリオは裏の農場に向かった。
すると、野菜の苗を持ったテイルが近づいてくる。
「リオ! 大丈夫だった?」
「うん、僕は話を聞いて貰っただけだから、大丈夫だったよ。上級生には注意しておくって。ありがと、心配かけてごめんね」
「ううん。僕の方こそすぐに助けてあげられなくてごめん。……あの時、見てたんだけど」
「別にいいよ。こわいでしょ」
「でも」
「あんなの僕だって助けられないよ。それにさテイルなんでしょ? 教官を呼んでくれたの。助かったよ」
テイルは力なく息をこぼした。
「あいつらさ、ウィリアムが来る前までは、ここの裏ボスだったんだ。成績も家柄も良くて、力も強くて、誰も逆らえなかった。でも、ウィリアムが来て、喧嘩でも家柄でも負けちゃったからあいつらはウィリアムが気に入らない。ウィリアムと仲良くする奴もね」
「ウィル、強いらしいしね」
「……ウィリアムもあいつらもそう変わらないよ。少し気に食わない事があると、すぐに暴れるんだから。あんなの、幼児と同じだ」
むすりと言って、テイルは野菜の苗をそっと地面に下ろした。
「僕、リオが心配だよ。ウィリアムの奴に騙されてるんじゃないかって」
「大丈夫だって。ウィルはそんな奴じゃないよ」
「でも……あ」
遠くから、見張りの教官がリオとテイルを睨んでいた。
二人はすぐに植え付けの相談をするフリをして、それじゃあと、それぞれの持ち場へ戻る。
そうして一人になったリオは、苗を植えつけながら考えていた。
寮生の態度、上級生からの攻撃。
北軍へ来てまだ一日も経っていないのに、どうしてこんなに問題を抱えてしまったのか。
原因はわかってる。
ウィルだ。
テイルの助言通り、ウィルと離れさえすれば、問題は解決するのだろう。一兵士見習いとして、ひっそり過ごせるはず。
だけど。
どうしてもそうする気が起きないのは、どうしてだろう。
「おい、ウィルだぜ」
隣で作業をしていた少年が警戒するみたいに言った。
面会が終わったらしいウィルが、宿舎の方から走って来るのが見える。
と、リオを見つけて軽く手を上げてきた。だからリオも手をあげ返してみた。
ウィルが笑う。
その笑顔が人懐っこいせいなのかもしれなかった。




