(頼れる兄)
どこにいっちゃったんだろう。
慣れない基地の中、リオは唯一見知った宿舎の棟へと向かった。
と、その途中の宿舎と宿舎の間に探していた影を見つけて足を止める。
「ウィル……」
「何?」
ぶっきらぼうに言葉を返される。宿舎の壁に背をつけたまま、ウィルは地面を睨みつけていた。
近づきながら、リオはそっとその苦しげな横顔をうかがった。追いついたはいいものの、なんと声をかければいいかわからなかった。
励ますべきか、慰めるべきか、それともそっとしておくべきなのか……。
どれも違う気がして、立ち竦む。
と、ウィルの灰がかった青い瞳がリオを向いた。
「あのチビから聞いたんだろ? オレの事」
「少しね」
「なんて言ってた? あいつ」
黙ってしまったリオを見て、ウィルはまた視線を落とした。
「まあ予想はつくけど」
力の抜けた、小さな声だった。
そうして軽く息を吐き出す。
寮生たちのウィルを見る目を思い出して、リオはいたたまれない気持ちになった。
やはりどうしてもリオには、目の前の少年がテイルが言うような、ただ乱暴なだけの男の子には思えなかった。だってそうなら、テイルは今ごろ殴られている筈だからだ。けれどウィルは、そんなことはせず、雰囲気の悪くなった食堂から独りで抜け出した。自分がいなくなることで、場に平和が戻る。そんな悲しい事実をわかっていたからだ。
賢くて、不憫。
だから、気にかかってしまった。
「リオも行っていいぜ。オレとつるんでるなんて思われたら、ここじゃ生活しづらいよ。絶対」
その上、リオまで遠ざけようとする。優しいのだ。リオは首を横に振った。
「テイル達、噂だけ聞いて勘違いしてるんだ。話しに行こう? 分かってくれるよ、きっと」
ウィルは壁から背を起こした。
「無駄だよ」
「どうして? ちゃんと話してみようよ」
ウィルは自分自身を小馬鹿にしたように笑った。
「だってオレ、あいつらと生まれが違うもん」
そう聞いて、リオはテイルの話を思い出した。
「ええと……貴族、なんだっけ?」
「ああ。だから他の奴らも教官も、オレのこと鬱陶しいんだろうし、扱いにも困ってんだ。一応ここじゃ、身分関係なく平等にって規則があるけど。そんなの建前だから」
「でも、ウィルだって平等に罰は受けてるじゃないか」
「平等? どこが」
ウィルは呆れたように息を吐く。
「皆オレに媚売ったり、その逆で言いがかりをつけてきたり。面倒ったらない」
「言いがかり?」
「塀の外じゃ言えないことも、この中だと言えるからな。オレに体罰をしても教育の一環で済まされるし」
「それでウィルは仲間はずれにされてるの?」
それには強く、ウィルは抗議した。
「仲間はずれじゃない。オレを恐がって誰も近寄らないんだ」
「どう違うの」
「全然違うだろ」
「よくわかんないけど、少なくとも僕はウィルのこと、怖いなんて思ってないよ」
「……そうか」
「うん。助かってるくらい」
「頼れる兄貴って感じ?」
「いや、そこまでは」
「なんだと」
よかった。
少し元気になったみたいだ。
そんな問答の間にも、太陽はすっかり上ってしまっていた。
リオは焦る。
「まずいよ」
「は? 何?」
「食事、食べないと」
確か、朝食のあとはすぐに朝の畑仕事が待っているはずだった。水やりに種まきに除草作業。それが終わったら、体力作りの地獄の訓練。
思い出す、ここは軍だった。
朝食を抜いて耐えられるような場所ではない。
「とにかく戻ろう。仲直りは後でいいから。食事はしなくちゃ」
「や、オレは」
「いいから」
動こうとしないウィルを置いていけずに、リオはその手をとった。
今度は、さっきみたいに振り解かれることはなかった。
「リオって」
「何」
呼びかけられ、小走りのまま顔だけで振り返る。
「結構能天気だな」
「……そうかな」
それも、初めて言われた。
素直だと言ったり、能天気と言ったり、一体ウィルにはリオがどう見えているのだろう。
ウィルはしみじみと言う。
「今のタイミングでメシって……」
「え、だって。お腹減るの、嫌だから」
再び食堂が見えてくる。
列はまだ続いてた。
間に合いそうだと、リオはウィルから手を離して、走りを緩める。と、その時だった。
「おはよう、ウィリアム君」
食堂の前に立っていた教官に呼び止められる。
ジャスティンだった。
彼の立派な詰襟の軍服は、私服の訓練兵ばかりの中では特に目立つ。ウィルは「先に行ってろ」とリオの背を押して、自分はジャスティンの方へ向かった。
「なんですか」
「はは。まぁ朝からそうツンツンしないで」
列に並びながらも気になって、リオはふたりの会話に耳を傾ける。
「聞いたよ。さっきも他の子をいじめたんだって? 意地悪しちゃダメじゃないか」
「してませんよ。ちょっと話しただけです。で、用件は?」
「……少しは雑談しようよ」
まあいいや、とジャスティンは仕方なさそうに笑って言った。
「面会だよ。ご家族が来てる、急いでついてきて」
けれどそれは、とても急いでいるようには思えないのんびりとした口調だった。




