第三話 冷たい北風が吹くとき 1995.11
西暦一九四三年三月十日。ようやく冬の寒さも過ぎ去り、いよいよ春本番の季節に向かおうとしていたころ。ルークはいつも変わらずにヘスと水を汲みに向かって、道のりにある牧場に腰を下ろしていた。
グレム村では大人たちは一日中働き続け、子供たちは家の事を任されて、決して裕福な生活を送っているわけでもない。しかしそれでも子供たちは村の友達と遊んだりしている。大人たちはイベントのあるごとに酒を飲み、祭り気分となったりする。つまり陽気な村人たちなのだ。
「ところでルー。お前もうすぐで誕生日だろ。なんかパーティみたいなの開くのか?」
芝生の上に仰向けに寝転がっているヘスは青く壮大な空を見上げながらルークに訊いた。
「さーな。パーティなんて今までやったこともないし、でも一度でいいから体験してみたいな」
ルークも同じように大きな空を見上げながら応えた。ちょうど、白く大きな雲がルークたちの頭を通過し、影の中に入る。
「なんだか体が冷えてきたな、そろそろ行くか」
そう言ってルークは服についた葉っぱをはらい、両手にバケツを持って再び歩き出す。遅れてヘスも追いかけるようについてくる。
「ならさ、俺の家でやらない? 実はさ、姉ちゃんがもうすぐ首都に行ってとうぶん会えなくなるんだ。それで今姉ちゃんのいる町からこの村を通って首都までいく、その時にパーティ開く予定なんだ」
ヘスはまるで誰かから聞いた言葉をそのまま言ってるような、ぎこちないテンポでルークに話す。
「でも、そんな時に俺なんかが行ってもいいのか? 困るだろ」
「ぜーんぜんっ。むしろ大歓迎だよ。な、ちょうどお前の誕生日なんだ。来てくれるよな」
ヘスはルークの前に回り込み、両手をあわせて頼んだ。
「この通りだ。一生のお願いだ。頼む……」
「わかったよ。そこまで言うのなら行ってやるよ」
ルークはそう言ったが、気になる点が一つある。それは、ヘスの必死さだった。でも、何に必死になっているのかは理解できずに当日を迎える。
「わかった? いくら親友の家だからって、迷惑かけるような事をしてはいけないよ」
そう玄関でルークに話しかけるのは、ルークの母親だった。
「わかってるよ。それじゃあ遅れるといけないから行ってくる」
そういってルークは家から飛び出す。
「お、来た来た。おーい。ルーク、こっちこっち」
ヘスがいつもの場所で座っている。
「ごめん。待った?」
「いや、待ってないけど……。って!お前その格好どうしたんだ?」
ヘスはルークの服装を見て驚きあきれた顔になる。まるで何かの宴会に出席するかのような豪華で古臭い服で、それとは逆にヘスの服装は、水を汲みに行く時と同じ汚れて破れた服を着ていた。
「か、母ちゃんがこれを着て行けって。なんでも父ちゃんが小さかったころに着ていた服なんだって」
ルークは顔を赤くして恥ずかしながら話す。それを聞いてヘスはついつい顔を服まで近づけ、嗅いでしまった。すると、思ったとおり何とも言えない、あのクローゼット独特のにおいがする。
「おお、そうか、それは、よかったな」
ヘスのしゃべり方はおかしくなった。鼻で呼吸ができず、詰まったように話す。
「それで、もう姉ちゃんは来ているのか?」
ルークがヘスの姉について訊いた。するとヘスは急に固まり、もう一度ルークの服装を見る。
「や、やっぱり今日はやめとこ。ほ、ほら。姉ちゃんなら今機嫌悪いし」
ヘスは何かを思い出したように突然そう言う。
「えー、いやだよ。せっかく昨日から今日のこの時を楽しみに待っていたのに」
ルークは駄々をこねる。
「しょ、しょうがないなぁ。じゃあ一瞬だけだぞ。あんまり姉ちゃん怒らせたくねーからよ」
ヘスの心配はただ一つ、それは姉が針のような性格をしているからだ。とにかくきつくあたり、さすが士官候補生になる女。という印象を真っ先に与えるからだ。そんな姉が一番の親友だと言ってこんな無様な格好をしたルークを紹介したら……。と考えてるうちに、ヘスの家に到着する。ヘスのあごは小刻みにそして高速に震えている。
「何してんだよ。お前の家だろ?」
そういってルークはヘスの袖をつかみまわす。すると、ガチャっと玄関の扉が開き、姉が現れる。ヘスの目は白目をむいて体は停止してしまう。
「なに家の前で格闘してんの? さっさと中に入れば?」
時間帯が夜で周りが暗く、家から出る光がルークから見たら逆光で姉の顔ははっきりしなかったが、部屋のオレンジの照明と長くストレートの髪のシルエットがくっきりと見えた。そしてルークはまぶしくて右手で目を覆った。
「え、なになに? 彼がいつも話していたルークっていう子? かわいいー。いつもヘスが世話になってるね。ほらあがってあがって、今日は誕生日なんでしょ。いっぱいご飯食っていきな」
なんと姉はルークの独特の香りがする服をつかんで、家へと案内する。それにはルーク本人も戸惑いを隠せない。
玄関の扉が閉まり、ヘスは外で白目をむいたまま固まる。北からの冷たい風が吹いていた。
……ルークは何かから目が覚ます。そして気づけばパレット少佐が同じ腕をつかんで歩いているのが目に入る。
「あれ? 少佐、髪切りましたか?」
ルークはベリーショートの髪の長さをした少佐を見て寝ぼけながら話す。
「あぁ? お前いったいいつの話してるんだ? てか作戦前だぞ、緊張感あるのか~?」
そういって少佐はルークの頬を引っ張りねじり、無理やりにも目を覚まさせる。
「あれ? ここ連絡橋じゃないですか? どうしてここに?」
少佐は何か言いたげそうだったが必死にこらえようとしている。
ルークは何の夢を見ていたのだろう? と思ったが、なかなか思い出せない。
「ホラ着いたぞ」
連れて来られたのは司令部であった。
「少佐、どうしてこんな所へ?」
「お前にこれを渡そうと思ってな。ほら受け取れ、少佐のバッジだ」
そういって、二cmほどの小さなバッジを渡された。
「これでお前も一応は立派な指揮官なれるぞ。よく頑張ったな。ま、私がいる限り無理なのだがな」
少佐はそういって大きな声でえらそうに笑う。
司令部には敵が攻めてきているという事で、上層部は避難し、今いるのはルークと少佐の二人だけだった。
「ところでお前、さっきは何の夢見てたんだ? 私に髪切った? とか聞いてたけど……」
「い、いやー。それがなかなか思い出せなくて……」
「そうか……。では思い出すまでその体を痛めつけてやろう」
そういって少佐はルークの首を動物の親子のようにつかみとった。
すると大きな爆発音が遠くで確認できた。その後すぐに銃声が鳴り響く。
「! くそっ、もうきやがったか。よしルーク、とりあえずみんなのいる戦闘訓練棟に戻って合流するぞっ」
少佐は小銃を手にし、そう伝える。
「わ、わかりました。では、僕が先に行きますので少佐は援護射撃を」
少佐は軽くうなずいた。
日は沈み、暗くなり始めている。
ルークは司令部から出ると、少佐と目を合わしながら連絡橋までくる。しかし、この連絡橋は100mにも及ぶ直線で、敵に気づかれやすい。ルークは耳に集中して、近くに敵がいないか確認しながら一歩ずつ前に進んだ。しかし、戦闘訓練棟に近づくにしたがい、銃や爆発音などで徐々に集中が乱れ始める。
「くそ、何も聞こえない。どうやって敵の位置を探ればいいんだ」
ルークは足を止め考えた。そしてある答えが出る。
「そうか、敵の行動を逆算すればいいんだ。……敵の目的はガルンだ。そのためにCOCBを落とし、南北両断させなければならない。つまり……COCBを占拠した、と呼べる場所に行くはずだ。ということは戦闘訓練棟の攻撃は陽動? …………っまずい! 少佐、司令部にいた軍の上層部はどこへ避難しましたか? はやくっ」
「避難場所なら司令部を出て北よ。こことは真逆だわ」
「くそっ。狙いはそっちか」
「どういう事?」
「つまり敵は上層部の避難した場所に行くために二部隊に別れたんです。一方は、避難場所と一番距離のある戦闘訓練棟で動揺をかけ、できるだけそこに人を集める。もう一方はそのまま避難場所へ向かいこのCOCBを落とす」
ルークは走りながら、できるだけ小声で話した。そして来た道を戻り、司令部の前を通過する。
「ストップ。そこを右に曲がったところに入口の扉があるわ」
そういってルークは曲がり角から顔をだし、右に曲がった先をゆっくりとのぞいく。どうやら敵はすでに到着していた。それを確認するとまた顔を引っ込める。
「よし、敵の数は二人だ。二人とも扉の破壊に専念している。だから、攻撃するなら今がチャンスだ」
「でもどうやって?」
「少佐はここにいて。この距離なら近接戦に持ち込める。近接戦は僕の十八番だ」
「わかった。ルークに任せるわ。……気を付けてね」
「心配ないさ」
そういってルークは忍び足で二人へと向かっていく。少佐はその様子をルークがさっきしていたのと同じように覗き見る。
敵まであと二メートル……一メートル……よしっ今だ。そう心の中でルークはつぶやき、早速武器を持っていた敵の腹部に蹴りを一発入れ一撃で気絶させる。それに気づいたもう一人の敵はとっさに置いてあった武器を手に取り構えようとしたが、ルークの動きの方が圧倒的に素早かった。相手のあごに右足でおもいっきり上に蹴り上げる。そしてまたもや敵を一撃で気絶させた。
それを確認したルークは後ろを振り向き少佐に合図を送ろうとした。しかしそこには少佐の姿はなかった。
ルークは焦りを感じ、倒した敵の持っているAK-47をつかみ、少佐の後を追いかける。と言っても、辺りはすっかりと暗くなっていたため、耳を使って少佐の位置を探し出さなければならない。
そして、行き着いたのは司令部だった。ルークはゆっくりと扉を開け、スッと中に入り机の裏に隠れる。司令部の中は机や機材、資料などがたくさんあり、さっきとは違い派手に散乱している。
すると高い金属音が鳴り響く。ルークが机の影から顔をだそうとした際に、誤って机の上にあった物を落としてしまったのだ。
「誰だ? この女ともう一人いたのはわかっているんだぜ。今すぐ出てこいっ!!」
その声の主はレオン・ペンバーであった。左腕の中にはパレットがぐったりとしている。
さすがに状況を考え、あきらめたルークは右手にAK-47を持ってレオンの前に現れた。
「ほー。ミカエルぐらいの若さじゃねえか。さぁ武器を下ろせ! ……聞こえないのかぁ? 武器を下ろせと言っているんだ!!」
一発の乾いた銃声が司令部の部屋に鳴り響く。レオンは威嚇射撃でルークの右足首を撃ったのだ。ルークはよろめき、右ひざが床につき、ついにはAK-47を落とす。
「よーしいい子だ。そのまま動くなよ」
そのあいだルークは痛みに耐えながらも、あまりの敵の人数の少なさに疑問をもつ。いくら動揺部隊にできるだけ多くの人数を振り分けたからといっても、もう一方の部隊の人数は3人しか確認できていない。きっと他にもどこかにいるはずだった。
その瞬間、レオンの身につけていた通信機から声が聞こえる。
「プツッ……。こちらBチーム。こちらBチーム。ミッションコンプリート、これより撤退する」
「了解、こちらもこれからそちらへ向かう」
レオンは通信機をつかむとそう言って通信を切る。
「だってさ。んじゃ、俺もう行かなきゃいけないからまた今度どこかで会おうや」
彼はそういうと、ぐったりしたパレットを床に投げつける。
「少佐っ!」
ルークがそう言って少佐の所に、はいつくばりながら駆け寄る。
「少佐っ、しっかりしてください」
パレットの左胸からは生暖かい大量の血が流れていた。その傷をルークは必死に押さえようとしていたが、意識レベルは低下している。
ルークがふと顔をあげるとレオンの姿は消えていた。だが、ルークはそれどころではない。
「……ルーク。私はもう長くは……。だからよく聞け、……敵がここに来た目的は占拠なんかじゃない。ここの最高司令官、オズ・ワトソンだ。彼は……すでに誘拐されている……。このことを他の上層部に伝えて。それから、これからはあんたがブルー小隊の部隊長だ。……あいつらを任せた」
パレットは最後の力を振り絞る。
「……最後に……これはもう忘れてるかもしれないけど、一ヶ月前お前と会ったとき、お前がまだあの時のプレゼントを身につけていて懐かしく思ったよ……」
その瞬間、ルークは今も身につけている腕時計をみてすべてを思い出した。今日見た夢の事も、そして家に入ってからの事も。
「思い出したよ。少佐と初めて会ったときのことを。……あの時少佐はプレゼントで腕時計をくれたんだったな。わざわざご両親が少佐のために贈ったプレゼントを、こっそりと。……それから、今日見た夢っていうのも初めて会ったときの夢だったんだ。」
ルークは涙を流しながら、今でも身につけている腕時計をパレットに見せる。
ルークが最後に泣いたのは、実に十年以上前のあの戦い以来だ。
「……それからもうひとつ、あんたは私の……最初で最後の好きな人だよ……」
そう言い終えるとパレット・アーヴァンは静かに息を引きとった。
気づけば銃声はおさまり、とても静かな部屋になっている。
もうすぐ冬本番を迎える。
割れた司令部の窓からは、冷たい北風が吹いてきた。