第二話 ナウジ会戦勃発 1955.11
入科してからほぼ一か月がたった頃、戦闘訓練科でルークは本格的に士官としての能力の取得を学び始めてから四週間ほどが経つ。士官の道に進むことはみんなに伝えておいたほうがいいのか、とルークは迷うこともあったのだが、まだ自分の能力も何もわからない状態で伝えたところで意味がないと考え、みんなには報告できなかった。
その迷っていた時にミラから問われても、ルークはただ軍事秘密という言葉を使うことしかできなかった。別に隠すようなことでもないのに。
いつも朝はパレット少佐が部屋まで来て連絡事項を伝え、そこから午前中は各教科の講習、午後には集団訓練、自主訓練というプログラムとなっている。
ちなみに、ルークは朝五時に起き、そこからみんなが起床する二時間のあいだ自主勉強をする。内容は士官としての能力や知識である。夜になるとその日習ったことを復習、次の講習に向けての予習をし、できるだけ早く就寝している。どちらかといえば真面目なタイプであった。
しかし、その日の朝はちがった。昨日から降り続く雨は、いっこうに降り止む気配をみせようとはしない。そして、いつもの時間になってもパレット少佐は現れなかった。気になってミラが他の小隊の部屋に行っても、同様に部隊長の姿はなく部隊員は困惑していた。ここでいう部隊長と部隊員とは簡単に言えば先生と生徒みたいな関係をしている。
「戦いが始まるんだ……」
そうつぶやいたのは右足が義足のコゼットである。
「どういうことですか?」
「十年前、あの戦いが起こった日、あの日も今日のような雨が降ったんだ。そしてその時の部隊長からは敵が攻めてきたって言いやがったんだ。あの時も今日みたいに部隊長は遅れてきたよ」
「…………」
まるで当時の部隊長に恨みでもあるような口調でコゼットは告げる。
ルークや他の人たちも当時の事を思い出す。町で燃え広がる炎からは黒煙がのび、薄黒い雲から降りつける雨とカミナリの様子を。
「ま、どちらにせよいい情報ではないね」
コゼットがそういうといつもと変わらない表情で少佐が部屋に入ってくる。
「よし、全員いるな……。今日遅れたわけだが、少しやばい状況になってしまってな。とりあえずすべてを説明する。耳の穴かっぽじってよーく聞くように。まず、知っての通り我が国は十年前の戦いでナウジ平原を中心とする町にレプトピアの軍が攻めてきてそのまま戦争になった。当時、我が国とレプトピアとにはいくつかの条約が締結されていたのだが、レプトピアはそれらの条約を一方的にすべて破棄、宣戦布告をしてきたのだ。我が軍の上層部は一時的にここ、中部作戦司令支部に本部を置き、首都および国土の分裂を防いだ」
「国土の分裂ってつまり?」
ミラが手を挙げて質問する。
「国土の分裂というのは、ナウジ平原はネールランドの中心にあるよな。そのナウジ平原全土を敵の領下になってしまうと、南部と北部に分裂してしまう。そうなると危険なのが南部だ。北部は首都があり、軍の総司令部もあるため敵も簡単に攻めてこない。だが、南部には司令支部が一つしかなくとても簡単に攻められてしまうわけだ。敵のねらいはガルン以外にはなかったからな」
「でも確かその戦いは我が軍の勝利でしたよね。聞いている感じ、圧倒的にレプトピア軍の有利に聞こえますけど……」
そう訊くのはそばかすのあるクルガだ。
「おっ、さすがクルガ、鋭いねー。その通り、我が軍は圧倒的に不利な状況であったのだが、ある部隊と我が国独自の航空技術によって敵の大将さんをぶったおしてやったんよ。それでなんとかナウジ平原の半分は取り戻したんだ。我が軍もなかなかやるだろ」
相変わらずその場の空気に合わないテンションである。
「ある部隊って……?」
ミラがそう訊き返した。
「えっと、そのとき私は士官候補生だったから詳しくは教えてもらってなかったけど…。コゼット、お前なんか知ってるか?」
「関わってない」
義足をピクリとさせたコゼットはとっさにそう答えるが、それを察したパレットが話を進める。
「そっか……。だとさ、ほんでいよいよ本題に入るんだが」
少佐の声がコロリと変わる。
「今日の未明、国境偵察部隊から報告が入ったんだ。報告によると、国境付近敵側にて敵軍の部隊の配置が確認され、いつ攻め込まれてもおかしくない状況になっている。我が軍には即座に部隊の配置、戦いにそなえてオペレーションγが発令された。今も緊張状態が続いている。……そしてこの部隊にだが、まだ出撃命令は出ていない。もしもの時に備えてここで準備、待機するよう命令が来ている。なお今回、本部はそのまま総司令部に設置、最大の防衛は前回と同じくガルンだ。以上、何か質問は……?」
パレットがそうたずねたが、部屋の中は静まりかえっている。
「まあ安心しな、私よりさきにお前らヒヨっ子が死ぬことはないから」
ルークたちの顔色を伺ったパレットはまたいつもの口調に戻す。
「とりあえず……」
パレットが何かを言おうとした瞬間、施設の中央等にある鐘が鳴り響いた。中央棟はCOCBの真上にある大きな塔である。
この鐘を聴くのはこの隊に入ってからは二度目だ。一度目は想定訓練、そして二度目は今だ。しかし状況があまりにも違っていた。ルークはいつかこうなることがわかっていたのに、こうなった今は信じられずにいる。
「ついに始まったか」
パレットはそうつぶやくと部屋の外に向かう。
「いいか、私は司令部に戻るがお前らはここで待機だ。絶対に動くんじゃないぞ」
そう言い残すとパレットは慌てるようにして部屋から出ていき、部屋の中は妙に静まりかえる。
「フレア大将、たった今我が軍とネールランド軍とが交戦状態になったと情報が入りました」
そういうのは背中に何やら重たそうな機材を身につけている兵士、どうやら通信兵のようだ。
「ご苦労、では国境付近を指揮しているレオン中佐をよべ」
それを聞くとその通信兵は電波をあわせ、繋がったことを確認するとフレアへとマイクを渡した。
「聞こえるかレオン中佐?」
「プップツッ……おお、ばっちり聞こえるぜ。こっちは敵と交戦中、被害は微少だ。それで、次の作戦はいかがなさいます?」
いかにも通信している時のあの独特なノイズが聞こえてくる。そしてレオンはわざとらしい敬語でフレアに訊いた。
「うむ。敵の様子を見るといったが、どうも敵軍は十年前から何も変化していないらしい。これなら当初の作戦を速やかに行えると思ってね。そういうわけで、国境を大きく超えて中部作戦司令部に攻めたててくれ、あそこさえ落ちれば南北は二つに分裂する」
「奇襲って事ですね。しかし、これだけの部隊で敵の司令部っていうのは少しきついなぁ」
「ふん、甘ったれやがって。そこは了解、このレオンがやってみましょう。とでもいうべきだろが。まあよい、作戦を確実に成功させなければいけないからな。援護射撃はまかしておけ」
そういってフレアは通信兵にアルフォンス中佐に繋ぐよういった。会話はとても気楽な感じでしていて、戦時中という緊迫感はまったくなく、ただ遊びのような感覚で通信する。
「アルか、聞こえるか?」
「ああ、エンジン音が酷いのでできるだけ大きな声で話してくれたらありがたいです」
音声発信機からはゴーっという低く大きな爆音の中から、少し高いアルフォンスの声が聞こえる。彼は戦闘機に搭乗しているようだ。
「わかった。できるだけ心がけよう。……それではまず、国境付近にいるレオン中佐の援護射撃を命令する。詳しい内容はレオン中佐に訊け、なお、レオン中佐のコールナンバーは10278だ。誤っても味方は打つなよ」
「了解しました。あ、これ終わったらこの機体の整備士の数も増やしてくださいね。メンテナンスが忙しいので」
そういってアルフォンスは通信を切った。
「まったく、俺の隊には甘えるやつが多すぎる」
「しかし、フレア大将もフローラ中佐にいつも甘えているのでは?」
通信兵がボソッと訊いてみる。
「バ、バカ野郎。それとこれとはまた意味が全然違うだろ。作戦に集中しろ!」
フレアは顔をイチゴのように少し赤くする。
「ハ……ハックシュン」
と大きなくしゃみをしたのはフローラ中佐だ。
「大丈夫ですか? 中佐」
「ああ、心配いらない。誰かが私の事を語ったのかもしれん」
そう言って戦車のキャタピラの上に座っていたフローラは笑いながら応える。
「ところでフレアからはまだ何も通信は来ないのか?」
「はい、今のところ。……ですが、また私用で軍の回線を使わないでくださいよ」
どうやらフレアとフローラの関係は部下には筒抜けのようだ。
「な、何のことだ。私は命令をきくだけだ」
そうフローラは頬を赤めながら怒る。その姿が妙にかわいらしい。
一方そのころ、ブルー小隊は待機命令が続き、徐々に緊張も緩みだしていた。
「少佐、戻ってこないね。何かあったのかな」
「大丈夫だよミラ。むしろ俺たちの出番が来たときは味方が押されてるっていうことだと思うよ」
「そうだけど……」
ミラが不安がっているといきなり少佐が部屋に入ってくる。
「よし、出撃命令が下りた」
「ということは、危ないってことですか?」
ミラが訊いてみる。
「ああ。まず状況についてだが、我が軍は陸上部隊で国境防衛してきたのだが、敵軍は強引に国境を突破してきた。そして我が軍は航空部隊に出撃命令を出したのだが、敵の空軍に木端微塵にされたわけだ」
「そんな、最強と言われた航空部隊が……」
「そうだ。それで敵陸軍はそのままあるところに向かってきている。そして、今回の任務内容はその場所の防衛だ」
「その場所とは?」
ルークが訊く。そしてパレットがまっすぐ向いた。
「……ここだ!」
全員驚いた顔をする。
「今ここにはほとんど軍隊がいない、さらに上層部は航空部隊の壊滅により混乱している。そして、ここが堕ちればこの国は終わりだ。そのことを意識して任務にあたってくれ。このままいくと、敵は数時間後に到着するだろう。それまでに武器や装備の最終チェックをしておくように、以上だ。何か質問はないか?」
「……」
「では、詳しい内容は作戦の直前にはなす」
そういうとパレットは早歩きでまた部屋から出て行った。
ナウジの地でまた戦が始まった。