第三十章 元老院
アルバは元老院の会議所に足を踏み入れた。
会議所は半円形――扇状に広がる議席が段々に並び、正面の壁一面には羊皮紙が貼り付けられている。
それらはすべて、市民から持ち込まれた陳情や案件だった。
元老院議長が、咳払いひとつして口を開く。
「……どのようなご用ですかな?」
「この度、国王を引き継ぐことになりました。
アルバ・クラウディアです」
一瞬、空気が止まる。
議長はわずかに眉をひそめ、教え諭すような口調に変えた。
「まず、この場所についてご存じかな?
ここは王宮内にありますが、我々は市民の声を受け、国民の代表として――」
「無給で、対策にあたっている対策本部、ですね」
アルバが先を続ける。
「王族の信頼を受け、あなた方が国を動かしてきた。
……そして、王族がここに足を運んだことはない」
議長の目が細くなる。
そのままアルバは答えを待たず、掲示板の前へ進み出た。
ちょうど数人の議員が、ひとつの案件を囲んで激しく議論している。
「クラウディア領の通行税が高すぎる!」 「北回りの道を整備して、領地を迂回すべきだ」 「それなら通行料を払った方が安いのでは?」 「だが湿地帯だぞ、石畳にするのか、土道にするのか」 「土のままだと馬車が埋まる!」 「石切り場まで遠すぎる。運搬費だけで予算の八割が消える!」
アルバは、黙って通行税の案件が書かれた羊皮紙を剥がし――
床へ投げ捨てた。
「なっ、何をする!」
議員の一人が声を荒げる。
「この問題は、もう解決しています」
アルバは静かに言い、懐から一通の文書を取り出した。
委任状――そして、国印。
「この国の統治は、私に委任されました」
ざわめきが走る。
議長は慌てて立ち上がった。
「……上へ行って、確認してきます」
議長が去った後、別の議員が問いただす。
「なぜ、その羊皮紙を剥がした?」
アルバは掲示板を見上げたまま答える。
「私を知らないようですね。
私はクラウディア領の領主です」
一拍。
「国が統合されれば――通行税は取りません」
言葉が、静かに落ちる。
「つまり、北への迂回路も不要。
石工の手配も、運搬人材の確保も、現場作業員も――全部いらない」
バリ、バリ、と音を立てて羊皮紙を剥がし、床へ捨てていく。
アルバは腕を組み、少し考えるように掲示板を眺めた。
「……残り三分の一は、老朽化による改修工事か」
今度は、その案件だけを剥がし、議員Aの手の上に乗せる。
「案内してくれ」
振り返り、議員たちを見渡す。
「今日から、君たちは無償で働く必要はない」
懐から硬貨を取り出す。
「これは、クラウディア領成立を記念して鋳造した硬貨だ」
一息置いて。
「これを、王国の標準通貨にする。
今はまだ使えないが――毎月、君たちの給料として配布する」
議員Bが疑念を隠さず言う。
「……我々の首に、縄をかけるおつもりですか」
アルバは一人一人の手に、硬貨を握らせた。
「とりあえず、僕は君たちと同じ“議員”になったつもりで、この問題に向き合う」
柔らかく、しかし真っ直ぐに。
「協力してもらえないだろうか?」
議員Cが口を開く。
「議員になるには、三分の二の賛同が必要です」
「僕に、議員になる必要があると思うか?」
「……ありませんな。
では、なぜ議員の真似事を?」
アルバは埃をかぶった羊皮紙を指差す。
「これは、何年ここに貼られている?」
「私が議員になった時には、すでに……」
「そうか」
アルバは議員Aを見る。
「君を借りる。議論は続けてくれ。
明日、またこの議場で会おう」
――翌日。
「昨日、あいつとどこへ行っていた?」
「工事現場の下見だな。
修繕箇所を五十ほど回って、不思議なおまじないをしていた」
「無事故祈願か?」
「……なあ」
議員Bが顔色を変える。
「昨日、俺の街の排水口を直したのは、お前か?」
「知らん。五十箇所回るので手一杯だった」
「……全部、綺麗に直ってた」
議員Aは走り出した。
昼過ぎ、戻ってきた彼は息を切らしながら言う。
「昨日回った場所の八割が、すでに直っていた。
残り二割は資材が積まれていて――弟子に作業を始めさせてきた」
沈黙。
議長が、低く告げる。
「……議員団で、視察する」
アルバは踵を返し、軽く肩をすくめた。
「あれ?
今日は、議論していないな」
気づけば、正面――掲示板の横に席が用意されている。
「こちらへ、どうぞ」
議長が頭を下げる。
その席には、はっきりと刻まれていた。
――国王陛下。




