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遠摩溶

作者: 基次郎
掲載日:2026/01/18

これはある男の、薄汚れた置き手紙だ。

私は他人の笑顔が信じられなかった。

人の顔を見るのも、気持ち悪かった。

歪な塊が終始私に纏わりついていた。


どれほど整った顔つきの女性でも、どんなに空間を歪ませる名画でも、私の心は満たされなかった。


ある時、八百屋でトマト(彼女)を見かけた。

足が勝手に向かっていた。

赤く、みずみずしいトマト達が並んでいた。

そこだけが景色がにじんで見えた。

目を離せずにはいられなかった。

これほどまでも、何かを見つめたことはなかった。


その中でも特に大きく、つやのあるトマトを一つ買った。

心が弾んだ。

足早に家に帰った。

丁寧に透明な箱をかぶせた。

彼女のエサは、私のまなざしだけで十分だった。


月明りの夜、彼女は青白く暗闇に滲み出していた。

どこからでも見える。一等星だった。

この日の夜は久しぶりに眠れた。


部屋に朝日が差し込んできた。

彼女は朝から曇っていた。

どんなに見つめても、あの輝きは戻らなかった。

私はあきれるように家から出た。

何時間たっただろうか。

頭が彼女でいっぱいだった。

どんなに上司に怒られても、彼女を思えば楽になった。


夕日が私の机を照らすと、わけもわからず走り出した。

やはり彼女は美しかった。

夕日に照らされ、一段とつやが増していた。

手に持つと、体の奥が震えた。

私は彼女にあてられた。


何分たっただろうか。

手を開くと、彼女は静かになっていた。

愛おしかった。

匂いをかぐと、私の内側が騒ぎ出した。

匂いに満たされることで、塊が柔らかくなった。

世界が静まり返った。

無心で、私の意識が周囲に重なった。


男の行方は誰もわからない。

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