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04 遅効性の毒

深夜の執務室。

既に窓から見える月は天高くまで登っている。


本日分の書類に全て目を通し終え、アレシオはふぅ、と小さく息を吐いた。

大半はまだ国王である父が担っているとはいえ、それでも膨大な量だ。国王ともなれば、その両肩に掛かる重責も現在の自分の比ではないだろう。


(父上と母上が、銀髪の御子の誕生を喜ぶのも、分からなくはないんだがな…)


女神の生まれ変わりとされる銀色の髪の子。

彼女らの存在は、国にとっての国の繁栄と安寧の象徴だ。

それは皇女であるセレスティアも例外ではなかった。

彼女が生まれてから災害はほとんど発生しなくなり、国内の乱れも目に見えて落ち着いている。

だが、だからこそ。


(セレスティアの親である自覚が、彼らには無さすぎる…)


女神の生まれ変わりとして、彼女におもねるばかりで与えることをしようとしない。

自分も、溺愛されて育った記憶はないが、それでも第一子としてはそれなりに両親からの愛情を受けて育ったように思う。

王位後継者としての厳しさもあったが、それも皇太子として納得している。


しかし、妹はどうだろう。

彼女の機嫌を損ねることは、国益を損ねることとされる。

彼女が微笑みかけた相手は、それだけで家門が栄えるとされる。

彼女が訪れ祈っただけで、そこは豊かになり災を知らぬ地となるとされる。

そんな《奇跡》を前にして、思惑や忖度を一切抱かずに関係を持てる人間が、一体どれほどいるというのか。


再び小さく息を吐いたところで、執務室の扉をノックする音がした。

名乗った補佐官に短く「入れ」と返事をすると、その手には新たな書類と、小さな包み。



「ルキウス様から預かりました、魔法無効化に関する報告書です。それからこちらは、皇女殿下の侍女から」



机の隅に置かれた、シルクのハンカチに銀色のリボンで結ばれた小包。ほんのりと甘い香りが漂ってくる。



「セレスティアが?」

「いえ、……マリエ殿からだそうです」

「……真理恵が…?」



不審なものではないだろうと、そっとリボンの端をつまんで左右に引く。

しゅるる…と音を立ててリボンが解けて中身が分かった瞬間、無意識に目尻が下がった。



「クッキー、ですか」

「真理恵が自ら焼いたものらしい」

「へぇ……そうか、彼女は魔法が使えないから…」

「ああ、美味いんだ」

「珍しいですね、殿下のそんなお言葉」

「……。下がっていい」



アレシオの言葉に、補佐官は一礼をして部屋を後にする。

クッキーを1枚摘み上げて口の中に放り込むと、バターの香ばしさと、砂糖の程よい甘さが広がっていく。

思い浮かぶのは、真理恵の顔だった。


女神の加護を受けておらず、必要としない唯一の存在。

魔法を持たず、利害関係もなく、ただセレスティアの側に仕えるーーそんな存在が、あの子を本当に救うかもしれない。

彼女なら、セレスティアにとってのかけがえのない友人になれるのではないか。



「……魔法無効化、か」



ペン先で机を軽く叩きながら、彼は小さく呟く。

“星渡りの乙女”――異世界からやってきた者のことを、この国ではそう呼ぶ。

女神の加護を受けない彼女らは、ときに常識を覆す力を持つ。真理恵も、その一人なのだ。

ルキウスからの報告書にチラリと視線を落とし、小さく息をついた。



***



数日後。

私は王城の中の、魔導研究室といわれる一室へとやってきていた。

促されるまま用意された木材の椅子に座り、目の前に並ぶ水晶や銀板を見渡す。

本当にこういう魔道具ってあるんだなぁ、映画みたい。

部屋の後方では、アレシオ殿下も私の実権を見守っていた。



「大丈夫ですよ、危険なことは一切しません」



白衣のルキウスさんが、柔らかく笑いながら説明する。

前回会ったときは聖職者の格好だったけれど、どうやら彼は魔法の研究者としても有名な人らしい。



「魔法をいくつか発動して、それがどれくらいあなたの側で影響、持続するかを測るだけです。

真理恵さんの魔法無力化、という力は、この国でも大変珍しい現象です。だからぜひ、その原理を解き明かすのに力を貸してほしい」

「はい」



小さく頷くと、彼はにっこりと笑った。



試験は淡々と進んだ。

ルキウスさんの指示で、魔導師数人が代わる代わる私に向かって魔法を発動させる。

小さな幻影は、私に近づくとぼやけて消える。

温熱魔法は、私の両腕が届く範囲まで来ると、バチっと静電気のような音を立てて、体温程度まで下がる。

どうやら、魔法師と私の距離が近いほど、魔法は発動しないらしかった。

魔力が込められているという魔法石(私の世界で言うところの充電池みたいなものらしい)は、私が手に取った瞬間に溜め込んでいた魔力を失い、ただの鉱石になってしまった。

続けて渡された掌ほどの大きさの魔法石も、5分ほど触っていると同じように魔法特有の輝きを失ってしまった。



「……へぇ、不思議ですね」



ルキウスさんは記録をとりながら、愉しげに言う。



「どうやら、あなたの周りでは魔法の効果が弱まるようです」

「それってつまり、皆さんの魔法にとって悪影響ってことになりますよね…?」

「いいえ、これは特性です。害があるとは限らない。例えば……」



パチンッと指を鳴らした瞬間、100円玉くらいの大きさの、青い火のようなものが彼の指先に現れる。



「これは、魔力を圧縮したエネルギー弾です。一般的には“攻撃魔法”と呼ばれるものですね。多くの場合は、ここに個人の持つ属性魔力を融合させて炎や雷、氷などに変質させて使いますが…」



唐突に、ルキウスさんは私に向かってその青い炎を弾いた。ビクッと身体を震わせる私とは裏腹に、それは手が届くかどうかの距離でバチッと音を立てて霧散する。



「きっ…危険なことはしないって言ったじゃないですか!」

「はははっ、でも、怪我はなかったでしょう?」

「そうですけど!!」

「それが、あなたの力です。普通なら攻撃と見なす魔法すら、あなたの前では無力化される。これは、ある意味最強の盾だ」



決して悪いことではないのだ、と念押しされる。

彼はあくまでやわらかく微笑み、私は試験を終えた。



***



真理恵が部屋を出ると、扉は静かに閉められた。

その直後、ルキウスの表情が一変し、机上の記録板を無言でアレシオに差し出す。



「見てくれ。……予想以上だ」



アレシオは受け取り、視線を走らせるうちに眉をひそめた。



「……最後の、かなり強い魔力を込めていたようだが?」

「ああ。……あれすら弾くと、予想はしていたよ。予想はしていたが……」



ルキウスは指先で記録板を軽く叩きながら、低く言葉を続けた。



「真理恵の能力は、他国からの魔法攻撃も――もしかしたら、女神の加護すら無効化させるかも知れない」



わずかな動揺に、アレシオの肩が小さく揺れる。

ルキウスはこめかみに指をあて、慎重な声音で言った。



「このことは、極力、口外するべきではないと僕は思う」

「根拠は?」



アレシオの声は低く、しかしわずかに硬さが混じる。



「今の時点で考えられる最悪のシナリオは三つ。

ひとつ、真理恵が“魔法攻撃への盾”として軍に利用される。この場合、彼女は有事の最前線に立たされることになる。…セレスティア殿下が反対するだろうから、今の時点ではあまり現実味はないけどね。

ふたつ、真理恵の力が近隣諸国に知られた場合、彼らは躍起になって“星渡りの乙女”を奪いにくるだろう。建国以降、一度も破られなかった女神の結界を打ち崩す一手になり得るんだ。血眼になって探すだろうね。

みっつ、……真理恵の力が女神の加護の力すら上回り、やがてこの国を内側から崩壊させる」

「なっ……」



アレシオは拳を握り、机上の影が揺れる。



「加護の力は、皇女殿下自身が持つ魔力によって維持されている。今は圧倒的に女神の力が強いから、それほど影響はないけど……」

「……側にいる時間が長くなれば、セレスティアの魔力と共に加護の力も少しずつ削られる可能性がある…?」

「ああ。遅効性の毒のように、ね」



室内に、しばし重い沈黙が流れる。

アレシオは視線を机に落としたまま、長く息を吐き、握った手を緩めない。



「対応策は?」

「物理的に、皇女殿下と真理恵の距離を取るのが一番手っ取り早い。離れていれば影響はないようだから」

「しかし……」



短く発した言葉の裏に、否定しきれない感情が滲む。



「皇女殿下は、受け入れないだろうね」

「……他に、対応策がないか探ってくれ」

「御意」



ルキウスは恭しく頭を下げ、記録板を抱えて静かに退室した。

残されたアレシオは椅子にもたれて天井を仰ぐ。

――彼女を守りたいという想いと、この国を守る責務が、胸の奥で静かに軋んでいた。


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