02 異端者の価値
「……暇だなぁ」
心の声が、いつの間にか外に漏れていた。
異世界――ルミエステ帝国にやってきて早いもので2週間が経過した。
最初こそ物珍しさや非日常感で1日があっという間に過ぎていった。が、それも10日もすれば人間慣れてしまうもので。
魔法を無効化してしまう私は、気軽に城下には出られない。
セレスティアがいればお茶やお喋りに誘ってくれるのだが、何せ皇女様。
8歳の少女とはいえ、魔法の授業やら帝王学やらマナーレッスンやらで忙しそうだ。
「……日本の私は、どうなってるんだろ…」
暇になると考えてしまうのは、どうしようもない過去のこと。
いっそのこと向こうでの「瀬戸 真理恵」が死んでるなら諦めもつくけど、行方不明とかになってたらどうしよう。お父さんもお母さんも心配してるかな……。
魔法が効かない私は、当然ながら転生魔法も作用しない。
この世界にとっては異端であり異物だ。
よって、今の段階では元の世界に戻るのは不可能……というのがこの国の皆様の見解らしい。
「こちらでももう少し調べてみますので…」と教会の人にも言われたし、今は待つしかないのだ。
「――よし、動こう」
魔法は使えずとも、人手の足しくらいにはなれるかもしれないし。
***
「……撃沈。」
はぁぁ〜〜〜と特大のため息が漏れる。
魔法が使えないというのは、この世界においてこんなにも役立たずなのか…。
洗濯は水魔法、乾燥・畳みは風魔法。
掃除は風魔法と操作魔法で全自動。
ならば料理!と厨房を覗くも、切断魔法と操作魔法と炎魔法の掛け合わせ。
当然配膳も魔法で勝手にテーブルにセッティングされる。
つまり、人の手を煩わせずとも呪文と杖で全てが完結してしまう。
むしろ私がご馳走してもらった紅茶のような、人間が手間をかけたもの、はそれだけで贅沢品らしい。
そりゃ、この国の人たちも私の扱いに困るよね…。
「真理恵?何落ち込んでるの?」
「セティ…」
何も出来ずに部屋に戻ろうとしたところで、廊下の向こうからセティが駆け寄ってきた。
ちょうど今日の授業が終わって会いにきてくれたところらしい。
思わず抱きしめると、くすぐったそうに身を捩りながらも嬉しそうに笑ってくれた。
「何かあったの?」
「ただのお客さまなのが申し訳なくて、何かお手伝いをしたかったんだけど…」
「あー…」
私の言わんとしていることを察したらしい。
「じゃあ、今日のアフタヌーンティーは、真理恵が私にお茶を淹れてくれるのはどう?」
ニコニコと笑うセレスティアは、本当にいい子だなと思う。
不束者ですが…、と頭を下げると彼女は「なぁにそれ」と可笑しそうにケラケラと笑った。
***
「そうそう、筋が良いですよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
セレスティアの専属メイド、マリアさんに、王宮でも通用する紅茶の淹れ方をご指導頂く。
マリアさん、20代前半の小柄で栗色の髪を上品にひとつ結びに纏めた、瞳の大きな可愛らしい人だ。
「マリエさんの祖国では、魔法は一般的ではないんですか?」
「そうですね。代わりに、科学……人間の知恵とか技術とか、そういうものを発展させて成り立っている国です」
「へぇ…!……じゃあ、魔力が弱くてもいいんですね」
「え?」
ぽつりと呟かれた言葉に、思わず反応してしまう。
マリアさんは苦笑した。
「魔力値がゼロではないってだけで、やっぱり個人差は大きいんですよ。
生活魔法…例えば掃除のために箒を操作するとか、風魔法で洗濯物を干すとか、そういうのはほぼ全員が使えますけど。
お給金のいい、高官とか、騎士とかは、魔力値の高さが就職にも直結するんです。
基本的には生まれたときから不変ですから、洗礼を受けた時点で大まかな人生の道筋が決まる……この国は、そんな場所です」
困ったように言って、マリアさんは表情をいつもの軽やかな微笑に切り替える。
「さて、まずは飲んでみてください」
練習用に、とカップに注がれた琥珀色の液体は、湯気と共にふんわりと花の甘い香りを漂わせていた。
私の知っている紅茶とは少し違う、なんとも言えない、けれど良い香りに思わず頬が緩む。
口に含めば、僅かな渋みと程よい甘みのある、とても美味しいお茶だった。
一緒に出すお茶菓子は、定番のスコーン。
こちらの世界でも食事や嗜好品に大きな差はないらしい。
「クロテッドクリームはないんですね」
「クロ……なんですか?」
「ああ、えーっと…脂肪分の多い牛乳を煮詰めて作るクリーム…って感じですかね。ジャムとかと合わせてスコーンに乗せると美味しいんです」
「へぇ、美味しそうですね!マリエさんは、お菓子作りお好きなんですか?」
「はいっ、紅茶だと、クッキーとかパウンドケーキも定番ですよね〜。ナッツとかフルーツとか入れても美味しいし、レモンとクリーム乗せても……」
そういえば、こちらに来てから豪華な食事は頂いているけれど、甘味はあまりない。
お茶のお供も、シンプルなクッキーやスコーンがほとんどだ。
「へぇ…食べたことないものばかりです。とっても美味しそうですねぇ」
「……、マリアさん。」
「はい?」
「厨房と、食材。使わせていただけませんか?」
私にも出来ること、あるかも。
***
アフタヌーンのティータイム。
お茶会の会場は、いつもの皇女宮の庭園だ。
薔薇の香りと、さきほど焼き上げたばかりの甘い香りが、風に乗って広がっている。
マリアさんと一緒にお茶の用意を運び入れると、既にセレスティアが乳母と共に待っていた。
期待に胸を躍らせているらしいセレスティアの青い瞳は、光を映してキラキラと輝き、思わず私も笑みをこぼしてしまう。
「お待たせいたしました、セティ皇女様」
「はい、お待ちしました」
クスクスと笑いながら、セレスティアは椅子に座ったままパタパタと足を動かす。
靴の先が揺れるたび、小さな鈴の音が鳴るような気がした。
普段はあまり見ることのない、年相応の愛らしい仕草だ。
ガーデンテーブルの上に、はちみつを練り込んだスコーンと、焼きたてのクッキーを三種類並べる。
素朴なプレーンクッキー、それと、紅茶の茶葉を刻み入れたもの、もうひとつは生姜とシナモンのほのかな刺激を忍ばせた少し大人向けのものだ。
「見たことないクッキーね」
「私の国のお菓子だよ。美味しいから食べてみて」
「いただきますっ」
紅茶を淹れるよりも先に、セレスティアは私の焼いたクッキーに手を伸ばす。
乳母が「お行儀が……」と眉をひそめたが、本人はどこ吹く風だ。
サクッと音を立てたクッキーは、口の中でほろりとほどける。
大きく見開かれた青い目が、さらに輝きを増した。
「おいしい!これ、真理恵が焼いたの!? すごい!」
「お褒めにあずかり光栄です」
「また焼いて!兄様にも食べさせたいわ」
セレスティアの無邪気な言葉に、私は曖昧に笑う。
――皇子宮でのお茶に招かれて以来、彼とは顔を合わせていない。
皇太子である彼の中で、私がどんな存在で、どんな立ち位置なのか。
まだ掴めないその距離感が、ほんの少し、苦手意識を持たせていた。
セレスティアが次のクッキーを選ぼうとしたその時、庭園の小道の向こうから、低く落ち着いた声と聞き覚えのない笑い声が風に乗って届いた。
「あ……兄様の声!」
ぱっと顔を上げたセレスティアの瞳が一段と輝く。
私は、思わず手を止めた。
バラの垣根の間から、二人の男性が姿を現す。
ひとりは淡い金髪を陽光にきらめかせる皇太子アレシオ。
その隣に並ぶのは、白い法衣の背の高い男性だった。礼拝堂で見かけた人々と同じような服装をしていることから、おそらく聖職者なのだろう。
「セティ、こんなところにいたのか」
「お邪魔してもいいかな?」と、その男性が穏やかに微笑む。
整った面差しと落ち着いた所作。20代前半くらいだろうか。
青灰色の瞳は微笑の奥で人を観察するように細められていて、アレシオ殿下の時とは似ていながらも異なるその視線に、胸の奥がかすかにざわつく。
「こちらはルキウス・ヴァルニエ卿。教会の高位聖職者だ」
殿下の紹介に、私は椅子から立ち上がり、スカートの裾をつまんで礼をとる。
「初めまして。マリエ・セトと申します」
「初めまして、マリエ殿。セレスティア皇女のお世話になっていると聞いています」
柔らかな声色には、何の棘も感じられない。
それなのに、どこか底の見えない水面のような眼差しが、私の内側まで探ろうとしている気がした。
「これは……あなたが焼いたお菓子ですか?」
「はい。今日は蜂蜜を使ったスコーンと、三種類のクッキーをご用意しました」
「蜂蜜ですか。手間を惜しまず作られたのですね」
「ええ、私は……魔法を扱えないので」
軽く笑って返したつもりだったのに、ルキウスさんの瞳が一瞬だけ細くなった。
見間違いだったのかと思うほどの刹那、すぐに穏やかな笑みが戻る。
「なるほど。ではその腕前こそ、あなたの能力というわけですね」
ただの会話にしか聞こえないやりとりなのに、背筋を指先でなぞるような感覚を覚える。
「兄様もルキウス様も食べていって!」
セレスティアは嬉しそうに手を叩き、空いていた椅子を二つ引く。
殿下は小さくため息をついたが、妹の期待に逆らうことなく腰を下ろした。
ルキウスさんも静かに従う。
私は急いでポットの蓋を開け、二人のティーカップに注ぐ。湯気に混じって柔らかなアールグレイの香りが庭園に広がった。
「いただくよ」
殿下がスコーンを手に取る。
ひと口かじった瞬間、その眉がわずかに上がった。
「……悪くない」
淡々とした声だったが、その表情が一瞬だけ柔らいだのを私は見逃さなかった。
甘いもの、嫌いじゃないんだな。
「おいしいでしょ、真理恵の焼くお菓子」
セレスティアがクッキーを頬張りながらはしゃぐ。
殿下は紅茶を一口飲み、湯気の向こうから私を見た。その眼差しに、前回のような冷たい鋭さはない。
これをきっかけに、少しでも彼にも受け入れてもらえるといいんだけどな。
そんなことを思いながら、私も一口、クッキーを頬張った。




