008話「はじめてのビール作り①」
こんにちは、ヒルダです。
他の工房メンバーに説明するためと、自分の頭の中を整理する必要があったので、ビール作りの工程をざっくりとまとめてみました。
①精麦:大麦からビールの原料となる麦芽を作り出す作業
a.大麦の貯蔵・精選:大麦の粒をより分ける
b.浸麦:麦を発芽させるため約15℃の水に入れて浸す
c.発芽:胚乳の中のデンプンやタンパク質を分解し柔らかくする
d.焙燥:麦芽独特の色や香りの成分を作るため、熱風で乾燥させる
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②仕込み:麦芽からビールの元になる「麦汁」を作り出す作業
a.麦芽粉砕:麦芽を粉砕する
b.糖化:麦芽と約50~75℃の温水を仕込み窯に入れてかき混ぜて麦のお粥を作り、酵素の力でデンプンを糖に分解する
c.麦汁ろ過:麦のお粥の温度を78℃に上げ、ろ過して麦の穀皮などの固形物を取り除いて麦汁を抽出する
d.麦汁煮沸:麦汁を100℃近い温度で約90分ほど煮沸して殺菌したり不純物を除去する。更にホップを加え、ビール特有の苦味や香り、コクを付与する
f.麦汁冷却:麦汁からホップ粕を取り除く
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③発酵:麦汁を発酵タンクに移し、ビール酵母を加え、約20~25℃の温度で約1週間発酵させ、アルコール化する作業
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④熟成:ビールの味をまとめるため、温度を0℃近くに下げて酵母の活動を停止させ、約1ヶ月間ほど熟成させる作業
とまあ、こういった感じの流れです。
時間や温度の単位が前の世界と一緒でよかった。
長文になってしまったけど、めちゃくちゃ簡潔に言えばビールとは「麦のジュースの糖分を発酵させて作るお酒」ってことです。
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「それではビール作りを開始します!」
と宣言したヒルダだったが、いきなり腕組みをして考え込んでしまった。
――さーて、何から始めようかな。
クラフトビールの製造者なら、最初の工程〈①精麦 a.大麦の貯蔵・精選〉から始めたいだろうと思う。
でもリヒャルディス院長から課せられた期限はたった2ヶ月。
馬鹿正直に作り始めるとその倍以上の時間を浪費することになるので、とりあえず今回は避けておきたい。
「ヒルダさん! 麦芽を持ってきたよ」
ミアたちが工房の貯蔵庫にストックされていた2種類の袋、計50袋も抱えて運んできてくれた。
両方ともに〈①精麦 d.焙燥〉が終わっている状態の麦芽が入っている。
「どちらも芽や根っこがきれいに除去されてますね。これならいけると思います!」
ヒルダは手のひらの上で麦芽を指で転がし、質に問題ないことを確認した。
粒がやや小さめに感じるが、今は贅沢は言ってられない。
ひとつは低温で乾燥させたキツネ色の麦芽。
もうひとつは、高温で乾燥させた茶褐色の麦芽。
前者の麦芽を使ったビールの色は淡くスッキリした味になり、後者の方を使うと色が濃くなって甘みが増したものになる。
「ヒルダ様、ロール粉砕機のご用意ができました」
ゲッツが、鉄の漏斗が上部についている機材のスイッチを入れると、その下に設置されたローラーがゴウンゴウンと回り出した。
「ありがとうございます。
それでは、まず〈②仕込み a.麦芽粉砕から始めることにしましょう」
ロール粉砕機は、錬金モーターによってローラーを回転させ、麦芽を自動的に粉砕してくれる便利な機材。
しかも粉砕の細かさはレバーひとつで調整可能で、排出口から出てくる前に不純物となる麦の殻を風で吹き飛ばしてくれるという優れものだ。
「今まで石臼で挽いてたからね~。これは便利!」
そう言いながらミアが次々と焙燥済み麦芽を漏斗の中に投入し、ヒルダは排出口から粉砕された麦芽をバケツで受け止めていく。
あまり細かく粉砕すると必要以上に苦みや雑味が出すぎるので、粗目に引いている。
香ばしい麦芽の匂いが辺りに充満し、ヒルダはかつてビール工場に初めて配属された時の記憶が蘇ってきた。
「お嬢様。そのようなことは他の者に任せて……」
「お嬢様、じゃなくてヒルダよ。そういうのはいいから早く追加の桶を持ってきてエリーゼ!」
「はいぃぃヒルダ様!」
ヒルダにせっつかれ、エリーゼはバタバタと工房内の物置に駆け込んでいく。
「それにしても厨房の錬金コンロといい、この修道院は資金が潤沢ですのね」
「はぁはぁ……。それはやはりリヒャルディス様の手腕でございましょう。このトラヴァルトは貴族の子女を多く引き受けておりますし、フォルマー家の威光にあやかりたい貴族からの寄付も盛んですから」
息を切らせて桶を運んできたエリーゼが答えた。
「それにこれだけたくさんの錬金器を仕入れることができたのは、王都の職人たちに顔が広いゲッツさんが発注してくださったおかげですわ」
「ゲッツさんが?」
ヒルダはハッとした顔でゲッツを見た。
そうだ、錬金コンロや錬金モーターもごく近年になって王立錬金研究所から発表された最新の技術だ。
それが搭載された機材をどうやって入手しているのか不思議だったけど……。
「いえいえ、たまたま知り合いに開発を手伝った者がおりまして。その縁で運良く譲ってもらえたというだけの話でございます。はい」
ゲッツはそう謙遜するふりをしてるけど、おそらく出処は宮廷錬金術師のベルトルト・ホーエンハイムじゃないかと思う。
ベルトルトはロズキンの攻略キャラのひとりで、学生ながらも王立錬金研究所の所長を任されるほどの実力の持ち主で、便利な発明品を世に送り出している。
ゲッツの正体であるゲオルクは、ロズモンド学園では誰とも群れることなく、聖女ルカを除けば唯一付き合いがあるのがベルトルトだった。
ゲーム中のシナリオには反映されることがなかったようだけど、ロズキンの設定資料集には、ベルトルトがゲオルクの極秘任務のために様々な錬金スパイ道具を開発し提供していた、という裏設定が載っていたはず。
ファンにはこのふたりのカップルも結構な人気があったよね。
孤高のツン猫ゲオルクとわんこ系マッドサイエンティストのベルトルトのカプ……これはいいものだ。
おっと、いけないいけない。
話が激しく脱線してしまった。
だけど、わたしを監視する目的でこの修道院に潜入するのは分かるけど、わざわざ機材の入手に手を貸してくれるのはどういったワケなんだろ?
う~~~ん、謎だ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ひとまず麦芽粉砕は完了し、麻袋28袋分の粉砕済み麦芽が出来上がった。
そしてお次に行う工程は〈②仕込み b.糖化〉。
ここでようやく登場するのが、ロール粉砕機と一緒に導入した銅製の仕込み窯だ。
人の肩の高さほどの大きさで、寸胴鍋に玉ねぎのてっぺんのような形状の蓋がついている。
この中に井戸から汲んできた水をせっせと入れ、錬金コンロと同じ仕組みで約50℃まで熱したところに、まずは低温焙燥した方の粉砕済み麦芽を出来た分を全て投入してみた。
この蓋には熊手を回転させる錬金モーターが取り付けられており、スイッチひとつで蒸気で作った窯内部のお湯と麦を撹拌できるようになっていた。
「いや~こんな楽チンでいいんですかね。いっつも汗だくでかき混ぜてたのに」
とはミアの言葉。
ヒルダが初めてここにやってに来た時に見た光景がまさにそれで、窯の掃除を除けば、ビール作りで一番体力を使う仕事に違いなかっただろう。
約90分かけて〈b.糖化〉を行うと、麦芽のお粥が出来上がり、酵素の力でデンプンは糖に分解された状態となり、見た目は麦のお粥のようにになった。
ヒルダはそうして出来上がった麦のお粥にお湯を注ぎ足し、同じ仕込み窯のろ過機能を使って殻などの不純物の除去〈c.麦汁ろ過〉を行うと、澄んだ麦汁が残った。
「ほら、エリーゼ。これを飲んでみて」
ヒルダは仕込み窯から、中の麦汁をコップに注いで渡した。
「あ……甘いですね。まるで水飴を飲んでいるみたいです」
「麦汁ろ過は強制的に絞ると、濁り成分まで抽出されてビールの香りや泡持ちが悪くなってしまうから、90分くらいかけてじっくり行います」
……とここまでの工程を滔々と話したところで、ビール工房のメンバー全員がポカンとした顔をしている。
「すごいなヒルダさん。酵素の力がどうだとか、初めて聞くことばかりです!」
「ヒルダ様、素晴らしいです……。ですが、そのような知識を一体いつの間に学ばれたのでしょうか?」
ミアとエリーゼが大絶賛してくれたが、まさか前世の職業を言うわけにもいかない。
「ま、まあ、たしか学校の図書室の本に書いていた記憶があったようなないような……」
「ほほぅ、ロズモンド学園にそのような実用書が置いているなどとは寡聞にして存じませんでした。差し支えなければ、後学のためにその著名をお伺いしてもよろしいでしょうか。ヒルダ様」
ギクッ。
ずいぶん踏み込んだツッコミをしてくるじゃないのゲオルク。
「えっ!? え、え~と、なんという本だったでしょうか? 読んだのはかなり昔のことで記憶も曖昧ですので……申し訳ありませんが、お答えできかねますわ」
「ははぁ。それは残念ですな」
と言う割にはあまり残念そうではない表情だ。
「はいっ、次は〈d.麦汁煮沸〉に入ります!
ここからがビール作りの本番とも言える作業ですから、皆様頑張りましょう!」
と、わたしは勢いでごまかすしかなかった。