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003話「もしかしてビールですか」

トラヴァルト修道院における労働について、新人は基本持ち回り制で担当することになっている。

先週は洗濯、今週は調理、来週は家畜のお世話……といった具合に作業内容が変わることが多い。

どの仕事でも着るのは修道服のみで、実にシンプル。

(さすがに農作業はズボンを履くみたいだけど)

ファッションに気を使う必要がないってのは楽でもある。


今朝のわたしの労働は、昼食の食材として使う玉ねぎの下拵えだった。

わたしがシスター・ハンナの元から抜けて今回初めて厨房に顔を出し、皿洗いが完了する否や、シスター・カロリーネがテーブルの上にドン、ドドンと玉ねぎの入った大籠を6つも載せてきた。


カロリーネはトラヴァルト修道院の調理主任という立場にあって、味を追及する料理人というよりは、200人以上もいる修道女たちの胃袋を賄う学食のオバちゃん(まだ20代だとは思うけど)といった印象だ。


「……今日、ひとりしかいないけど。9時までに剥いておいて」


9時ということは、残り約2時間か。

だけど無口で無愛想と言われるシスター・カロリーネの目は(まあ、お姫様には無理だろうけど)と語っている。


カロリーネはまず、皮の剥き方のお手本を見せてくれた。


「はい、間に合うように頑張ります!」


と元気よく返事をし、わたしは包丁を手にする。


①まずは包丁で玉ねぎの頭と根元を横に切り落とす。

②次に玉ねぎの頭から根元にかけて縦に切り込みを入れる。

③その切り込みから、トイレットペーパーの紙を出すように皮を一気に剥がす。


これだけ!

要した時間はたったの10秒。

通常は玉ねぎの頭のみを切り落とし、そこから皮を一枚一枚剥がそうとするけど、このやり方なら何層にも重なって皮を一気に外せる。


兄が持っていた漫画『包丁人陽平』の主人公が編み出したテクニックで、穂乃花の趣味のひとつであるカレー作りの際にも重宝していた。


これぞ現代知識で異世界無双、ってヤツじゃない?

いや、ちょっとショボすぎるか。


そんなわけで皮剥きは30分ほどで完了。


他の調理担当の修道女が大鍋に水を入れ、錬金コンロで沸かし始めた。

次に下処理済みの羊肉や香草のディルを入れ、すぐさまヒルダが剥いた玉ねぎを投入。

6つの大鍋がグラグラと並んで煮立つ様はなかなかに壮観だった。


また別のコンロでは、とろ火で温めた水牛の乳に酢を加えて混ぜたものをザルに濾し、熱湯を注いで木ベラで練り始めた。

フレッシュチーズかな、アレは。


しかしこんな細やかな火力調整が出来る、最新の錬金コンロを何基も揃えているのは、ネアンデル王宮とロズモンド学園の厨房以外ではここぐらいなのものだろう。


シスター・カロリーネはその様子をただ見ているばかりではなく、時には自分自身で食材に包丁を入れながら、同時並行で作られていく料理の味をチェックしているようだ。

彼女の確認が終わった料理は続々と食堂に運ばれていった。


メイン料理は羊肉と玉ねぎの香草スープ。

味付けは塩のみで、旨み用のコンソメを追加して欲しいところだけど、これはこれで十分素材の味が引き出していて美味しいと思う。


作業が全て終わると、カロリーネからはおかげで助かった、とポツリと感謝の一言をいただく。

へぇ、元お姫様にしてはなかなかやるじゃん?って顔をして。

じゃん、なんて言葉遣いは絶対しなさそうだけど。



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



トラヴァルトの食環境はかなり恵まれていると思う。

高価な錬金コンロや冷蔵器も充実しているし、修道院の中でもかなり上位の方なのではなかろうか。

朝食は温めた麦粥か黒パンをスープに浸した簡素なもので済ませることが多いが、昼食には白いパンやチーズ、サラダにソーセージなどの肉料理が常に提供されている。


台所の片付けが終わったヒルダはようやく食堂のテーブルに座った。

そこで隣の席にいたシスター・カロリーネのお膳に載っていたものを見て驚く。


取っ手のついた木製の巨大な樽型ジョッキ。

その口からは褐色の泡が溢れんばかりに盛り上がっている。

カロリーネはそれを豪快にぐいっとあおった。


それ……もしかしてビールですか!?


一瞬、見間違いかと思ったけど、やはり微かに漂うアルコール臭。


「ああ、これ? エールっていう種類のビールだよ。飲みたいならあそこだ」


エールとは、端的に言えば昔ながらの発酵技術で作った濃厚な味のビールのことだ。

カロリーネが指差した先には横向きの酒樽があった。

その栓についているコックを回すと中からビールが出てくるらしい。

ここに来て1ヶ月が経ったが、初めてその存在に気づいた。


「あれ、ヒルダはまだここのビール飲んだことがなかったっけ?」


と、会話に加わったのは、後からやって来たシスター・エリーゼ。


「でもこんな真っ昼間から……しかも我々は女神に仕える(しもべ)で……」


と答えたところで、思い出した。


ネアンデル王国では、飲酒が可能な年齢など定められてないし、蒸留酒のようなアルコール度数が高いものでなければ、パーティーなどの場であれば子供でもエールやワインを口に出来た。

事実、ヒルダも将来社交界に出て不覚を取らないためにも、幼い頃からワインを水で割って飲む訓練をしていたのだ。


「この後に響かなければ別に貴方も飲んでいいわよ?」


マジですか、シスター・エリーゼ。

エルバー教の修道院の規範って、意外と緩いなぁ。

でもまあ、前世の価値観に縛られてばかりもなんだし、先輩がオッケーしてるわけだし。


えーい、いっちゃえ!


「では遠慮なくいただいてきます」


横に置かれていたジョッキを取って樽に取り付けられた栓のレバーをひねり、エールを注いだ。


じゅごごごドボドボドボ


これはスープというか、粘度が高くてまるでポタージュみたいだな……。

満タンに注がれたジョッキはずっしりと重みを感じる。


でもその違和感に構わず、ドキドキしながらゆっくりと喉に流し込んだ。

実に17年ぶりのビール。


じゅる。

もったりとした泡を口に含む。

なんだか弾力すら感じるけど。


ゴクっ。

ああ、口いっぱいに広がる麦の香り……アルコールの匂い……。


うっ?

でも、なんだか接着剤のような刺激臭。

パンのカビをかじってしまったかようなピリリとした酸味と、舌にまとわりつく不快なえぐみ。

こ、これは……。


上機嫌で飲み始めたわたしの顔は、だんだんとしかめ面になっていった。


う〜〜〜。

ロズキン世界のビールってこんなもの?


「あまり美味しくないでしょ? 私もちょっと苦手」


ハンナの言う通りで、褒めるところがないほど不味い。


「私はお手軽に栄養補給が出来るから飲んでるな。ウチのビールに味を期待しない方がいい」


と、カロリーネは食事を全て平らげ、三杯目に突入。

カロリー摂りすぎでは?


たしかに中世ヨーロッパでは、ビールは水代わりの飲料というだけではなくて労働者の重要な栄養源だったと言われてたらしい。

よく「液体のパン」と形容されるけど、まさにそれにそれ。


でもやっぱり美味しいのが一番でしょ。

美味しいが正義!


そう叫びたくなったけど、はしたないので元お姫様としてはそこはグッと堪えたワケで。


……ん、でもちょっと待って。

さっきふたりとも「ここのビール」「ウチのビール」っておっしゃいました?


「あら、言ってなかったかしら。西の庭にハーブ園があるでしょう。その奥の醸造所(ブルワリー)で自家製のビールを作ってるのよ」


ぶ、ぶ、醸造所(ブルワリー)、ですって!?

もっと早く教えてくださいよ、ハンナ先輩!

エール≒ビールですが、ひとまず「ビール」で統一していきます。

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