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028話「寄り道」


トラヴァルトへ向かう街道を進んでしばらくした頃、馭者台(ぎょしゃだい) からシスター・ノラがひょいと顔を出した。


「ねえ、ヒルダ。ルーヴェルに寄っていきたいのだけれど、いいかしらね?」


「ルーヴェルですか?」


「修道院の食材を買いたいのね。塩も切れてきたし、冬に向けて色々と倉庫に保存しておかないと」


ルーヴェルは、トラヴァルト修道院と首都シュレルヴァインの中間に位置するフォルマ―公国有数の商業都市だ。

交易路が交わる場所でもあり、修道院の買い出し担当――いわゆる“執事”たちがよく利用する街でもある。


「買い出し……ですか」


修道院に入ってからというもの、ヒルダが外に出たのは今回が初めてだ。

まして都市に立ち寄るなど、修道女見習いである女修士には滅多にないことだった。

ビール作りに必要な道具は、これまでゲオルグが全部揃えてくれていたため、買い出しの必要性すら感じていなかったが。

そんなヒルダの様子を見て、エリーゼがぱっと笑顔を向ける。


「どうせ遅れるなら、せっかくですし買い物の後はルーヴェルへ泊まって、ゆっくり戻りましょう」


「それがいいのね!」


シスター・ノラも元気よく同調した。

馭者のオットーが、空になった樽をポンポンと叩いて笑う。


「ちょうど酒も切れたとこだしなぁ!」


ヒルダは思わず叫んだ。


「あっ、また勝手に飲んじゃって!? エリーゼ!」


「はい」


エリーゼは無言でオットーの頭に手を置き、能力(スキル)を発動させた。


「んおおおおおおおぉぉぉっ!?」


オットーがびくんと痙攣し、目を白黒させる。

どうやら酔いは一瞬で吹き飛んだらしい。


「せっかくのいい気分が……」


と泣きそうな顔をするオットーに、エリーゼは容赦なく言い放つ。


「何度言ったら分かるのです! “いい気分”で馬車を運転されては困りますのよ!」


「そ、それでは……参りましょう、ルーヴェルへ!」


ヒルダの掛け声に呼応しオットーが鞭を振るうと、二頭の馬はヒヒンと(いなな)き、勢いよく走り出した。

車輪が激しく揺れ、黄色い砂塵が地面で渦を巻いた。

その揺れの中で、ヒルダはふと気づく。


(もしかして、ふたりとも私の気分転換のために提案してくれたのかな)


走って半刻も過ぎると、やがてルーヴェルの城門が見えてきた。

ルーヴェルの街の外壁は万が一のウルガン帝国の侵攻に備え、堀こそ浅いものの城壁は10mを超えるぐらいの石造りで、見るからに堅牢な作りだ。


修道院の幟を掲げていたおかげか、門番に止められることもなく馬車はすんなりと都市へ入ることができた。

中央を貫く大通りは道幅が広く、馬車が並んで走れそうだ。


「近くの宿泊所(ホスピス )に向かうのね。そこで荷物を降ろしましょ」


ホスピスとは、エルバー教の関係者であれば無料で泊まれる施設のこと。

修道士や巡礼者が旅の途中で利用する、いわば教会の宿屋である。

シスター・ノラが大通りで最初に差し掛かった小路へ曲がるように言うと、車輪は石畳の上を滑らかに回った。

小路にもびっしりと石畳が敷かれた道路は、首都シュレルヴァインのものよりよほど立派に見える。

その脇に無数に並ぶ屋台からは串焼き肉の煙が立ち上り、香辛料(スパイス)香草(ハーブ)の香りが鼻腔をくすぐった。

続いて、ジャガイモを揚げたような甘い匂いが漂ってくる。


「こりゃあたまらんなぁ。ますますビールが飲みたくなってきた!」


串焼き肉には- 香芹の種(キャラウェイ・シード)という、庶民にも手に入れやすいスパイスを使っているのだろう。

もうひとつは、おそらくフライパンに敷き詰めた薄切りの芋を油で焼き 、塩と万寿蘭(マジョラム)というハーブ振りかけたものに違いない。

実はヒルダはクラフトビール製造の他にもハーブの栽培に力を入れており、トラヴァルト修道院で育てたハーブをこのルーヴェルに出荷していたのだった。


(でも私は蒸してシンプルにバターと塩で食べたいなぁ…。元道産子(どさんこ)の差(さが)かな)


大通りの脇の歩道では、休日でもないのに市民たちがテーブルを囲み、ジョッキをぶつけ合っている。

そこには 壮年の男たちだけでなく、子どもや母親らしき姿も混じっていた。


「「「「乾杯(プロージット)!」」」」


真昼間からビールとは……と思ったが、トラヴァルトでもみんな普通に飲んでたから私が言うこっちゃないか。

しかしあの子どもたちも飲んでいるのだろうか。

中世では水で薄めたものを飲むこともあったと聞くが――。


美味しそうにジョッキをあおる男の子を見て、ヒルダは思わず喉を鳴らした。


「ヒルダ様、まずは買い物を済ませないと」


とエリーゼが釘を刺してくる。


「はいはい、分かってるわよ」



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



ほどなくして一行は宿泊所の前に到着した。

白壁に木組みの二階建て――質素だが手入れの行き届いた建物で、入口にはエルバー教の紋章が掲げられている。


オットーが手綱を引くとすぐさま中から年配の修道士が現れ、シスター・ノラを見るなりにこやかに頭を下げる。


「これはこれはトラヴァルトの皆様。ようこそルーヴェル宿泊所へ」


「いつもお世話になってるのね。少し荷物を置かせてもらって仕入れに行かせてもううのだわ」


手続きを手早く済ませると、ヒルダたち一行は 最低限の荷だけを残して再び外へ出て大通りに向かった。

通りは市の中心部に向かうほど、より賑わっている。

店を構える商人たちが入口にみっしりと並んで掛ける呼び声に、様々な具材が焼ける音や調理の金属音が入り混じって響き合い、ちょっとした交響曲(シンフォニー)のようであった。

ヒルダがこの異世界に転生してから、ここまで活気に満ち溢れた街を見たことはなかった。


「ふふっ、ヒルダ様。塩市場の喧騒(けんそう)はこんなものではございませんよ」


あんぐりと口を開けていると、エリーゼがどうだと言わんばかりに笑いかけた。


「……塩市場が? そんなに?」


「なにせ塩は、海まで遠いフォルマ―公国では太古から貴重品ですからね。それに加えて――」


ドスっ!


突如現れた小さな影がエリーゼに激突した。


「ぐふっ!?」


エリーゼが脇腹を押さえて身体をぐらりと揺らす。


「ごめんねっ、お姉さん!」


ぶつかってきたのは、黒い長布を全身にまとった少年だった。


「エリーゼ、大丈夫?」


「ええ、なんともありません。いきなりだったのでちょっとびっくりしただけです」


あれ?


振り返ると相手の少年は既に遠くを走っていた。

その後ろ姿からはチラと浅黒い肌の手足が見えている。


「なんだアイツ――詫びもそこそこに行っちまった!」


オットーが怒気を孕んだ声を挙げると、次の瞬間。


「エリーゼさん、お財布は大丈夫なのね!?」


「あっ――ない! 財布が!」


シスター・ノラの叫びで、エリーゼは自分の抱えているバッグの口が開いているのに気づいた。


「まさか……今の子が!?」


「ありゃあ、異国の子供(ガキ)だな。逃げ足が速え!」


「この間のネアンデル王国と東方の国との戦争で、向こうの孤児がたくさんこの街に流れ着いてきたって話なのね」


ヒルダが驚いていると、オットーとシスター・ノラが教えてくれた。


「……あの年で……そんな苦難を」


「感心している場合じゃありません! 盗られたのは私の一ヶ月分の給金ですぅ~!」


エリーゼの悲鳴に顔を見合わせた後

に、ヒルダたち一行は同時に駆け出していく。

人混みを抜け、小路へ飛び込む。

途端に視界が狭まり、地肌がむき出しになっている裏路地へと変わっていった。

そこに立ち並ぶ、古びた木造の建物にはびっしりと(つた)(こけ)などが生い茂っている。


少年の姿は――もう見えない。


「ちっ、撒かれたか……!」


オットーが荒い息で舌打ちする。


「あっ」


居た。

ヒルダは異国の少年が建物の壁をよじ登り、屋根へと飛び移ろうとしているのを見た。

そして少年はヒルダ達の方を振り返り――

ニヤリと笑ってエリーゼの財布を指で持って ぶらぶらと振って見せた。

ざまあみろ、と言わんばかりに。


「くそっ、挑発しおって……!」


オットーが歯噛みする様子をあざ笑うがごとく、少年は軽やかに屋根伝いに走り出した。


「逃がさないわよ!」


ヒルダは急いで手袋を外し、地面に手を付くと能力(スキル)を発動させる。


発光と共に、地面から壁に生える蔦が、ゾゾゾゾゾ……と音を立てて膨らんでいく。


密集した蔦はグン、と成長し、壁を伝い、屋根へ――


「なっ!?」


それはビシっと音を立てて少年の足元に絡みついた。


「なんだこれっ!?」


少年は 素早くナイフを取り出し蔦を切り落とそうとするが、バランスを崩し足がもつれる。


「ク~~~ッ……は、離せよ!」


「離すわけないでしょ!」


ヒルダが更に力を込めると、少年の体は引き倒され、屋根の縁からずるりと滑り――落下した。


「うわあぁぁぁ~~っ!?」


ドサッ!と鈍い音がする。


「痛っ……てぇぇぇっ!」


そこへオットーがすかさず駆け寄り、苦悶の表情の少年の襟首を掴み上げる。


「観念しろい、小僧!」


少年はしばらく抵抗したが――やがて力を抜いた。


「……なんだよ、アンタ。魔女かよ」


「ただの修道女見習いよ」


肩で息をしながら、ヒルダは手を突き出して言う。


「それで? エリーゼのお財布を返してくれる?」


異国の少年は唇を結んでしばらくヒルダを睨んでいたが、やがて観念したように胸元のポケットから財布を差し出した。


「……ほら」


「最初からそうしやがれ!」


オットーがひったくるように財布を受け取り、エリーゼに渡した。

エリーゼは中身を確認し、ほっと胸をなで下ろす。


「大丈夫です。全部ありました」


一同がホッと一安心しているとシスター・ノラが尋ねた。


「それでこの子はどうするの?」


「まずは衛兵に引き渡すのが筋だろう」


「渡すと……どうなるの?」


「最近こういうガキが増えて治安が悪くなっているからな。癖の悪い手をチョン切って城門の外に放り出されるのがオチだろうな」


「!? ずいぶんと荒っぽいのね」


「だがなぁ……異国のガキに同情してたらキリがない」


オットーの言葉に被害者であるエリーゼも苦い顔をしている。


ヒルダは少年の黒く、虚無な瞳をじっと覗き込んで尋ねた。


「貴方のお名前は?」


「言わねぇ。絶対言うもんか」


少年はプイ、とヒルダのまっすぐな視線から目を逸らした。


「ねぇ……これ食べない? お腹、空いてるでしょ」


ヒルダは自分の肩掛け鞄から、紙に包んだサンドイッチを取り出した。

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