026話「漆黒の炎」
「それでは明日、トラヴァルトに戻ります」
そう宣言すると、母ルイトガルテの顔がほんの一瞬ひきつったのを見た。
ウルガン帝国の皇子との顔合わせ(要はお見合いだ)を断り、修道院への帰還を選んだ私に、彼女が納得しているはずがない。
侍女のエリーゼ、修道女のノラ、傭兵のオットーを含めた一行は往路で遭遇した山賊を警戒し、峠を越すまではフォルマ―近衛騎士隊の護衛をつけてもらうことになった。
そして出立の早朝、荷造りを終え馬車に積み込んだところにルイトガルテの侍女がやってきて言う。
「王妃様には急なお障りがございまして……誠に恐れながら、お見送りにはお出まし叶いません」
――よくも、そんなあからさまな嘘を。
寝室の窓からチラチラ覗いてるお母様が丸見えなんですけど。
父に深く一礼し、ようやく門を出ようとしたその時だった。
門番の兵士が息を切らして駆け込んできた。
「ウルガン帝国皇子――マグナス・バートリ殿下のおなりです!」
(どうして!? 予定より早くない!?)
慌ててルイトガルテが屋敷から飛び出し、正面玄関の前で出迎えた。
あら……お母様、具合が悪いんじゃなかったですっけ?
「ヒルダ! 今すぐお部屋に戻って、ドレスに着替えなさい!」
「え、でも私はこれから帰るところで――」
「大事なお見合いに、当人の貴女が居なくてどうするのです!」
ああ、もう隠す気ないんですね。
開かれた門から城内へ、炎竜と火山が描かれた紅いウルガン帝国旗が躍った。
旗を高く掲げた騎士を先頭に、約七~八騎程度の人馬が雪崩れ込んでくる。
どの馬も堂々たる体躯だが、他と比べても一際逞しい黒毛の駿馬が目を引いた。
そこからヒラリと下馬したひとりの青年がヒルダたちの元へ駆け寄ってくる。
「フォルマー陛下。この度はご招待を賜り、誠に光栄に存じます。ウルガン帝国第一皇子、マグナス・バートリでございます。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます」
体格的には中肉中背と言ったところだが、黒髪で全身を黒系の衣服とマントで固め、鋭い眼光を持つこの青年は、ヒルダとは同じ年とは思えないほどの貫禄を漂わせていた。
しかし恭しく挨拶を交わす様は、これまでのヒルダの印象とはかけ離れたものであった。
そしてくるりとヒルダの方へ向き直し――
「お久しゅうございます。ヒルデガルド・フォルマ―公爵令嬢」
「このたびは拝謁の栄を賜り、身に余る光栄にございます。フォルマー公爵家長女、ヒルデガルドにございま――」
「いや~よかった! なんとか間に合いました!」
「へ?」
「もしやお召しになっているのは修道服ですかな? 実にお似合いですね!」
(……えーと、マグナスってキャラ、こんなフランクな感じだったっけ?)
戸惑う私に、母が慌てて取りなそうとしてくる。
「殿下の前で、この様なはしたない恰好で申し訳ございません! ほら、ヒルダ。急いで着替えてきなさい!」
(修道服がはしたない、だなんて……)
母の言い草にヒルダは少しムッとした。
「長旅でさぞお疲れとのことと存じます。ここで立ち話もなんですし、どうか屋敷にお入りになってゆっくりとお休みくだされ」
「はい、ありがたく存じます」
気付くと、王妃付き侍女ふたりがヒルダの左右に立っていた。
「それでは姫様はお召し替えを」
「ちょ、ちょっと待って!? 私はもう帰――」
マグナスは城内の迎賓館に招かれたが、侍女たちに両脇を抱えられ、そのまま本館へ強制連行されていく。
――ああ、もうちょっと早く出発していれば……。
風呂にこそ入れられなかったけれど、お化粧に一時間。
ドレスを着せられながらエリーゼから最低限の礼儀レクチャーを受け、ようやく迎賓館の中に通された。
マグナスは既に応接室の席に着き、フランツ夫妻と向かい合っていた。
背筋を伸ばしながらも優雅に佇むその姿は、記憶の中にある「傍若無人なオラオラ系男子」とはまるで違う。
ヒルダが穂乃花だった頃に愛読していたゲーム雑誌「BeLover」では、発売前の『ローズ・キングダムEX』の特集記事が組まれていた。
そこでは新規攻略キャラであるマグナスは「漆黒の炎」なんて、二つ名も紹介されてたけど。
穂乃花は、漆黒がどうしてシャドウになるだろう?と思ったが、まあ二つ名というのはそういうものだ。
マグナスはヒルダが室内に入ると、すっと立ち上がり一礼をする。
「ああ……やはりヒルデガルド嬢はドレスがよくお似合いだ。いえ、ロズモンド学園の制服を召した姿も素晴らしかったですが」
なーんて、歯の浮くような台詞を堂々と言う。
「あら、それなら在学中に一言おっしゃって下さったら良かったのに」
ヒルダも僅かなからかいを込めて言い返した。
なにぜマグナス皇子はネアンデル王国第一王子と折り合いが悪く、その婚約者であるヒルダについぞ話しかけるようなことは全くなかったからだ。
「はは、これは手厳しい」
サラリとマグナスは受け流す。
まずは父であるフランツがマグナスの来訪を労った。
「マグナス殿、遠い道中よくぞ来られた。しかし予定よりずいぶんと早かったように見受けますな」
「ウルガンの馬は日頃より鍛えられておりますゆえ、道中の行程も思いのほか捗りました。我が国の馬も兵もいずれも精強を以て知られております」
「その評判は我が国にも届いておる。とりわけウルガン兵の勇名は高い。我が国の護りの要であるクロイ将軍も、その武威をしばしば称えておりましたぞ」
「光栄に存じます。あのクロイ将軍にそのように評していただけるとは、誉れでございます」
「して、マグナス殿の武芸と魔法の才もなかなかのものと聞き及んでおりますが」
「陛下には過分なお言葉にございます。しかし私はいまだ戦場を知らぬ若輩者に過ぎません。
ただ——祖国の名に恥じぬよう、日々励んではおります」
ロズキンの世界観としては小競り合いはあるものの、国家間の大きな戦争はない。
またゲームシステム的に、攻略キャラはダンジョンの探索で魔物を倒して成長させていくことになるわけだが。
ロズモンド学園に限らず、各国の公学校はそうした戦争を知らぬ貴族の子弟を鍛えるために設立された国家機関でもあるのだ。
そこでヒルダはふと気になったことを尋ねた。
「ところで、マグナス殿下はロズモンドへの留学を終えられたのでしょうか。学園の講義はまだ終わる時期でもなさそうですが」
「いえ、あの謝恩祭の後、すぐさま留学を切り上げてウルガンに帰省しました。ロズモンドで目的のものは手に入れられたし、なにより――」
なにより?
「祝いのパーティーの場で、ひとりの無垢な令嬢をよってたかって糾弾し貶める悪趣味な連中……。もはやあの学園で学ぶべきものは何もないと判断したからです」
トクン、とヒルダの心臓が一瞬だけ高鳴った。
「ええ、ええ、そうですとも! 我が娘は公爵令嬢に相応しい振る舞いをしただけ。非などあろうはずがございませんわ」
母ルイトガルデが激しくマグナスの言葉に頷いた。
そして、父フランツの言葉は……。
「百余年前、我がフォルマー公国は不毛な戦乱を止めるためネアンデル王国の麾下に入った。以来、長きにわたり友誼を保ってきた。しかし――近年のロズモンド王家の、信義にもとる振る舞いにより、その絆はかつての堅牢さを失っている。
国の舵を預かる身としては今一度、情勢を見極め、新たなる外交の形を模索すべき時が来ているやもしれませぬ」
それを受け、マグナスの言葉は更に踏み込んだものとなった。
「陛下のお言葉、誠に胸に響きました。いずれ私が帝位を継ぐその折には、御国と我がウルガン帝国が、真に手を携えるべきだと考えております」
「両国は地の利も資源も、人材も――それぞれ強みを備えております。もしそれらを結び合わせることが叶うなら、我らに比肩し得る国などございますまい。その日を実現すべく、私もまた一層励む所存にございます」
(うわわわ、この会話の流れはマズい。相当マズい。同盟のために私がウルガン王家に嫁ぐような空気になっちゃっている気がするんだけど……)
ヒルダのドレスの内側では、冷や汗が背中を伝っている。
「まあ……それは実に望ましい未来ですわね。次代を担う若き御方々が、両国の行く末を共に築いてゆく……これほど喜ばしく、心強いことはございませんわ。
――ねえ、ヒルダ。あなたも、そう思うでしょう?」
(こっちに振らないで、お母様!?)
マグナスと両親の目がヒルダに降り注ぐ中、必死で話題を変えようと必死になっていた。
(えーと、えーと……)
「そ、そうですわね~。平和で豊かな国になれば子供たちも明るい未来が訪れることになりますものね……おほほほほ」
さーて、ここからどう話を広げていこうか。
一番無難なのは、天候や家族の話ってところだけど。
でもたしかエリーゼは、マグナスと帝位を巡って争っているという第二皇子について触れることはNGだって言ったっけ。
それならば――
「おほほ……そう、子供といえばマグナス様には幼い妹君がおられると伺いましたわ。お元気になされておられるでしょうか」
その質問を受けたマグナスは、これまでの柔和な表情を崩し、突如鋭い眼光を放った。
「ヒルデガルド様、今――なんと?」
「え?」
「何故、私に妹が居ることをご存じなので?
……それはウルガン内部でも徹底して秘匿された情報です」
ヒルダはマグナスから黒い炎のようなオーラが立ち上るかのように錯覚した。
(やばい、完全に地雷だった……!)
「BeLover」では、マグナスの紹介記事の中に「病弱な幼い妹がいる」という一文があったのだ。
オラオラ系の男子に病弱な妹の組み合わせならば、当然「実は妹思いの優しいお兄ちゃん」というキャラ付けが為されているはず。
しかし、マグナスの様子を見る限り、これは完全に地雷の話題だったようだ。
「それを知ることが出来るのはおそらく、アルベルト王子をおいて他におりますまい。
――違いますか?」
ヒルダは自分が元アルベルトの婚約者だったから疑われているのだ、と思った。
「い、いえ、アルベルト王子とそのようなお話をしたことはこざいません! ただ、そのマグナス殿下のスズランの花を模した腕輪……それは少女の手作りの品ではないかと思っただけなのです」
キャラ立ち絵、少ないイベントスチルからも些細な情報を読み取って、脳内補完するのは一門のゲーマーであれば当然のスキルだ。
「ふむ、なるほど……。この腕輪をひと目見ただけでその結論に至ったとは。驚くべき推察力ですね」
そう言うと、強張ったマグナスの表情から険が取れ、ヒルダとフォルマ―夫妻もほっとした。
「しかしこのことはヒルデガルド様の心に留め、口外をせぬようお願い致します。妹は……今もなお病で床に伏していますが、快復の兆しはある。どうか、それ以上は詮索なさらないでください」
「もちろんですわ。私こそ、ご無礼を働いてしまい申し訳ございません」
「謝ることはありません。むしろ、心配してくれる方がいるのはありがたい」
マグナスは心なしか安心するように、柔らかく微笑んだ。




