025話「クロイ城塞」
「なにやってるのよ! この無能!」
フォルマー公国の貴族であるクロイ辺境伯が城主を務めるクロイ城塞。
その無骨な外観には似つかわしくない少女の金切り声が響いた。
クロイ城塞はウルガン帝国からフォルマ―公国への軍事侵攻を長年に渡り食い止めてきた、難攻不落の軍事拠点である。
「申し訳ございません。マルガレーテ様」
城内の離れにある館の一室にて、簡素な革鎧を身にまとった男が少女の前で頭を下げていた。
彼の名はバレル。
ヒルダたちを峠道で襲撃した山賊の頭目である。
「どうして失敗したの!?」
ウェーブのかかった長い黒髪を揺らしながら、少女は興奮した様子でバレルを見下ろし、怒声を浴びせる。
彼女こそ、クロイ辺境伯家の長女――マルガレーテ・クロイ。
「相手はたった4人よ? しかも3人は修道女。失敗する要素なんて、どこにあるっていうの?」
「……役目を果たせず、申し訳ございません」
この小娘に説明したところで理解できるはずもない。
そう判断し、バレルはただ頭を下げるだけに努めた。
しかし次の瞬間、マルガレーテが衝動的に机の上に置いていたインク壺を投げつけた。
それはバレルの頭に当たって跳ね返り、カツーンと小気味良い音を立てて石床に転がる。
小瓶とはいえ、鈍い痛みが頭に残る。
「私はっ、“なぜ”失敗したのかを聞いているの!」
「――相手が予想以上に手練れでした」
「護衛の兵士がアンタより腕が立ったと?」
「いえ、その男はさほどでもありません。ただ……女どもが全員、厄介な能力持ちでして」
「修道女たちが? 下手な言い訳は止めて。それにお姉さまの能力が戦闘向きじゃないことくらい、私が一番よく知ってるわ」
元々クロイ家は建国以来、フォルマ―王への忠誠を貫き、深い親交を築いてきた。
マルガレーテもまた、幼い頃から同い年のヒルダを「お姉様」と呼び、心酔するように慕っていた。
恵まれない天職に苦しんだ過去を持つ彼女にとって、同じ境遇を乗り越えたヒルダの存在は、特別な共感を呼び起こすものだったのかもしれない。
やがてヒルダがネアンデル王国のロズモンド学園へ留学すると、マルガレーテもそれを追うように入学し、彼女の取り巻きの筆頭として振る舞うようになる。
しかし、そこで留まることはなかった。
マルガレーテは【聖女】ルカに対して執拗な嫌がらせや陰湿な虐めを繰り返し、次第にその行為はエスカレート。
ついにはフォルマ―公国派の生徒たちがルカの暗殺を企てるまでに至った。
その顛末が、ロズモンド学園の謝恩祭パーティーでの断罪イベントへと繋がっている。
だが、マルガレーテは反省の色を見せることなく、ただひたすら【聖女】ルカと、彼女を守った生徒会に対する憎しみを募らせていった。
ヒルダの仇を討つべく、フォルマ―出身の貴族子弟たちを率いて反旗を翻そうと試みるも、いずれの策もことごとく失敗に終わる。
そして――ついにマルガレーテ自身も長期停学処分を受け、クロイ領へと戻ることを余儀なくされた。
バレルはマルガレーテの前で頭を垂れ、面罵にじっと耐えていた。
「ですが……」
「ですが、なに? たしかにお姉さまに傷一つでも付けたら許さないとは言ったわ。でも、邪魔になるなら他の従者は皆殺しにしても構わなかったのよ」
ふざけるな、とバレルは心の中で毒づく。
一時的に修道女に身をやつしているとはいえ、公女殿下を誘拐し監禁しようなどという計画は、国家反逆罪にも等しい。
ただの盗賊上がりの自分を気まぐれとはいえ士分に引き上げてくれたのは感謝するが、露見すれば重罪は免れまい。
いや、いざとなればクロイ家に累が及ばぬように自分はスケープゴートとして始末されるであろう。
自分がクロイ辺境伯の立場であれば間違いなくそうする。
「お嬢様、こちらをお受け取りください」
苦し紛れに、襲撃の際にヒルダから奪っておいたペンダントを差し出した。
「!? これってもしかして……」
「はい、ヒルダ様が肌身離さず身に付けているペンダントです」
肌身離さず、というのはバレルが適当に付け足した嘘だ。
しかしマルガレーテにとってはその一言がよほど効果的だったらしい。
「お姉さまが……肌身離さず――」
途端に彼女の表情が変わった。
「お姉さまがこれを私に…託したですって……?」
バレルがコクリと頷いた。
そんなことは一言も言っていない。
だが、そういうことにしておいた。
ヒルダを攫う際にはマルガレーテの存在を一切明かしていないのだから、ペンダントを託せるはずもない。
だが勝手に妄想を膨らませて勘違いしてくれるのだから都合がよい。
「は……はわわ……お姉様が私に贈り物を……! ああ……承りましたわ。ええ、大事にしますとも……! お気持ちが伝わってきますわぁ」
マルガレーテの顔は上気し、よだれを垂らさんばかりに緩み切っている。
ふたりの実際の関係性はバレルには知るよしもないが、マルガレーテのヒルダに対する熱情はかなり歪んではいるが本物だ。
マルガレーテはペンダントを握りしめ、打ち震えていた。
「せっかくあの忌まわしいロズモンドから逃れることができたと思ったのに、今度はウルガンの闇皇子――。必ずわたくしがお助けしますわ……!」
すると、ノックもなく執務室のドアが開いた。
そこにはエドモン・クロイ辺境伯が居た。
供も連れず、ただひとりで。
重厚な鎧に身を包み、顎には立派な髭を蓄えている。
ひと際目を引くのは頬に刻み込まれた大きな爪痕だ。
若い頃、ワイバーンに乗ったウルガンの竜騎兵と一騎打ちに挑んだ際にできたものだという。
「お父様!?」
バレルは、部屋の端へ移動し平伏せんばかりに片膝をついた。
士分扱いといえど所詮山賊上がりの平民に過ぎないのだ。
まともに顔を見ることすら許されない。
しかしそれ以前に、バレルはエドモンの放つオーラに圧倒されてそのまま指一本動かすことも叶わなかった。
「なぜ……このような場所に? このような場所ではおもてなしも出来ませんわ」
「――マルガレーテ、率直に言おう。下らん火遊びでクロイ家に迷惑をかけるな」
「!? お父様それは……」
「失敗に終わったからまだ良かったものの、草から報告が上がってきた時には肝を冷やしたぞ」
「私にはなんのことだか――」
「ここまできて、まだ白を切るつもりか。ヒルデガルド様の護衛に向かう隊の者らが、すべて嘔吐して倒れた時点で気づくべきであったわ」
クロイ伯爵は鋭い眼光で娘を睨みつけた。
「あれはお前が得意とする毒能力であったと」
「……!」
本来であればクロイ領を通過するヒルダを護衛するため、クロイ城塞から騎士隊が向かうはずだった。
しかし朝食を済ませた騎士たちが次々と倒れ、食中毒を疑われた。
気付いたのはマルガレーテの命を受けヒルダの拉致に向かったバレルが、密偵を通じてエドモンに報告したからだった。
主君の暴走を止めるのも臣下の責務だろう。
エドモンはチラリとバレルを見やるが、それ以上は黙っていた。
バレルにとっては……それだけで十分な報酬だった。
「でも……でも、父上はそれでよろしいのですか? ヒルダ様の新たな相手はあの宿敵ウルガンの皇子なのですよ!?」
「だからどうした? その良し悪しを決めるのは、お前はもちろんのことワシですらない。フォルマ―陛下がお決めなさることよ」
エドモンは父や曾祖父をウルガンとの国境戦争で喪っていた。
更に、本来クロイ家の家督を継ぐはずだったエドモンの兄も同様だ。
恨み骨髄であってもおかしくないが、あくまでフォルマ―家の一家臣だということを弁えている。
「それにそのウルガンの皇子とやら、昨晩の内にクロイ領を抜けて首都に向かったわい。そろそろヒルデガルド様と顔合わせをする頃であろうよ」
「な……!? 皇子の入国はまだ先の話だったのではっ?」
「彼の皇子もお家騒動があって、身辺には気を使っているらしくな。用心に用心を重ねるのが当然であろう。現にお前のような人間がいる現状ではな」
「くぅっ……」
マルガレーテはギリリと拳を握りしめ、口元を引き結ぶのであった。》から報告が上がってきた時には肝を冷やしたぞ」
「私にはなんのことだか――」
「ここまできて、まだ白を切るつもりか。ヒルデガルド様の護衛に向かう隊の者らが、すべて嘔吐して倒れた時点で気づくべきであったわ」
クロイ伯爵は鋭い眼光で娘を睨みつけた。
「あれはお前が得意とする毒能力であったと」
「……!」
本来であればクロイ領を通過するヒルダを護衛するため、クロイ城塞から騎士隊が向かうはずだった。
しかし朝食を済ませた騎士たちが次々と倒れ、食中毒を疑われた。
気付いたのはマルガレーテの命を受けヒルダの拉致に向かったバレルが、密偵を通じてエドモンに報告したからだった。
主君の暴走を止めるのも臣下の責務だろう。
エドモンはチラリとバレルを見やるが、それ以上は黙っていた。
バレルにとっては……それだけで十分な報酬だった。
「でも……でも、父上はそれでよろしいのですか? ヒルダ様の新たな相手はあの宿敵ウルガンの皇子なのですよ!?」
「だからどうした? その良し悪しを決めるのは、お前はもちろんのことワシですらない。フォルマ―陛下がお決めなさることよ」
エドモンは父や曾祖父をウルガンとの国境戦争で喪っていた。
更に、本来クロイ家の家督を継ぐはずだったエドモンの兄も同様だ。
恨み骨髄であってもおかしくないが、あくまでフォルマ―家の一家臣だということを弁えている。
「それにそのウルガンの皇子とやら、昨晩の内にクロイ領を抜けて首都に向かったわい。そろそろヒルデガルド様と顔合わせをする頃であろうよ」
「な……!? 皇子の入国はまだ先の話だったのではっ?」
「彼の皇子もお家騒動があって、身辺には気を使っているらしくな。用心に用心を重ねるのが当然であろう。現にお前のような人間がいる現状ではな」
「くぅっ……」
マルガレーテはギリリと拳を握りしめ、口元を引き結ぶのであった。密偵を通じてエドモンに報告したからだった。
主君の暴走を止めるのも臣下の責務だろう。
エドモンはチラリとバレルを見やるが、それ以上は黙っていた。
バレルにとっては……それだけで十分な報酬だった。
「でも……でも、父上はそれでよろしいのですか? ヒルダ様の新たな相手はあの宿敵ウルガンの皇子なのですよ!?」
「だからどうした? その良し悪しを決めるのは、お前はもちろんのことワシですらない。フォルマ―陛下がお決めなさることよ」
エドモンは父や曾祖父をウルガンとの国境戦争で喪っていた。
更に、本来クロイ家の家督を継ぐはずだったエドモンの兄も同様だ。
恨み骨髄であってもおかしくないが、あくまでフォルマ―家の一家臣だということを弁えている。
「それにそのウルガンの皇子とやら、昨晩の内にクロイ領を抜けて首都に向かったわい。そろそろヒルデガルド様と顔合わせをする頃であろうよ」
「な……!? 皇子の入国はまだ先の話だったのではっ?」
「彼の皇子もお家騒動があって、身辺には気を使っているらしくな。用心に用心を重ねるのが当然であろう。現にお前のような人間がいる現状ではな」
「くぅっ……」
マルガレーテはギリリと拳を握りしめ、口元を引き結ぶのであった。




