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023話「ハルモニー」

夕闇が深まる中でフォルマー公爵家の食事会は重苦しい雰囲気に包まれることになった。

天井にはシャンデリア、テーブルには燭台(しょくだい)の灯りがきらめくが、家族は運ばれた料理を黙々と食べている。


まずは食前酒としてシャンパンで口を湿らした後、前菜にはトリュフとフォアグラのパテが供される。

フォアグラの濃厚な味わいをトリュフの芳醇な芳香が引き立ててくれた。

別皿に添えられたバゲットにつけて食べると、口の中でまるやかな調和(ハルモニー)を奏でてくれる。


「どうだね。久々の実家の味は?」


まずフランツが沈黙を破って話し掛けた。


「とっても美味しいですわ。ガチョウは修道院でも育てていますが、フォアグラなんて口に出来ないですから。この濃厚なコク、たまりませんわ」


「まさかヒルダがガチョウを育てているのかね?」


「ええ、当番の時は鶏舎に餌のトウモロコシを与えたり、お掃除もしてますわ」


「……掃除だって!?」


「そうなんです。ちょっとでも掃除をサボると、フンで匂いがすごいことになっちゃうから……」


「ンンッ」


ルイトガルテがわざとらしい咳払いで、中断する。

たしかに食事の時に話す話題ではなかった。


次はレンズ豆のスープ。

様々な野菜とスパイスを加えて香りが立つまで炒め、水に浸しておいたレンズ豆とハーブ類を加えて、鶏肉のブイヨンを大鍋で煮込んである。

最後に塩胡椒で味を整え、生クリームを加えて滑らかな味わいに仕上がっていた。


「ん~~~。やっぱりウチのシェフの技術はすごいわね。修道院じゃこんなブイヨンなんてゆったり作ってる暇なんてないもの。特に最後の…」


と、ヒルダはエリーゼに話し掛ける。


「お静かに」


ルイトガルデがじろりと見ると、ヒルダは慌てて目を伏せた。


(お母様はわたしをなし崩し的にこの実家に縛り付ける気マンマンだ。なんとしても、アレをアピールしないと!)


ヒルダは焦りながらバゲットをレンズ豆のスープに浸し、次々と口の中に放り込んでいく。


そのふたりの様子をマクシミリアンは信じられない目で見ていた。


――あれは本当に姉上なのだろうか?


ルイトガルテは夫フランツに三歩下がってついていくような淑女で、これまで子どもたちを甘々に育ててきた母の変貌ぶりにまず驚いた。

しかしそれ以上に衝撃だったのは、かつて悪役令嬢と呼ばれるまで性格に難があった姉がまるで別人になっていたからだ。

これまで弟である自分に対して殿下と呼んで敬う姿勢を一度も見せたことなどなかった。

また背筋が整った完璧な|屈膝礼(カテーシー)を披露したかと思えば、市井しせいの民のように砕け素振(そぶ)りを見せている。


(ロズモンド学園を追放されて、しばらく修道院に身を潜めているとは聞いていたが……そのせいか?)


その次にテーブルの横に運ばれてきたのは、陶器製の鍋。

中からグツグツという音が聞こえる。

牛の肩ロース肉と野菜を炒め、お酒を加えてじっくりと煮込まれている、今宵のメインディッシュだ。

ヒルダが子供の頃から好きだった一品だが、今回は料理長に特別なお願いをしていた。


「父上、母上」


給仕が手袋をつけて鍋の蓋をシャリンと開け、マッシュポテトが添えられている白磁の深皿に肉の塊を取り出して乗せた。

そして鍋の中からソースをおたま(ルーシュ)ですくって肉にかけた。


「これが私がトラヴァルト修道院での生活で得た学びです」


煮込まれた牛の脂、玉ねぎと酒が混じり合ったソースの甘い香りが漂ってきた。


「ヒルダ……これは、牛肉のブレゼかね?」


「はい、父上。通常はワインで煮込むのが一般的です。でも今回は私が作った黒ビールを代わりに使ってもらっています」


「黒いビールだって?」


フランツはナイフとフォークを持ち、眼の前に置かれた料理をじっくり見つめた。


「ほう。エリーゼの手紙でビール作りに夢中になっているとは聞いていたが……」


牛肉はナイフを往復させる必要ないぐらいに、すくっと切れた。

ビールで長時間煮込まれたことによって筋繊維がほぐされ、口の中でホロリと崩れていく。

そして黒ビールの持つ、ほのかな苦味とカラメルのような甘みを持つソースが牛肉と絶妙に調和し、引き立てている――


「いかがです。ワインとはまた違った、深みのある味わいでしょう」


「あ、ああ」


「それではこの料理に合わせて、私が一番最初に仕込んだビールを合わせてみましょう!」


キュラキュラと音を立てて、ワゴンに乗ったビールの樽とグラスが運ばれてきた。

樽にはトラヴァルト修道院の刻印が描かれている。


「それでは!」


ヒルダは給仕を制してグラスを左手に持ち、手慣れた様子で樽のコックを捻った。


〈ひゃっほ~~~い!〉


樽のコックから酵母の妖精(セルビィ)が次々と出てきて、フォルマー家の食堂中を旋回していく。


ヒルダは泡を控えめにグラスに注いだビールを、ゆっくりと父親の前に差し出した。


「さあ、この料理の風味を引き出す極上の組み合わせ(ハルモニー)をお楽しみください!」


「ふむ。ビールはあまり嗜まないが……」


この世界においてもワインは女神に捧げられる高貴な飲み物とされている。

温暖な気候の地では良質な葡萄が採れ、それに伴いワイン文化が発展してきた。

また良質なワインを手にできるのは、豊かな領地を持ち手間を掛けることができる貴族のみ。

ワインを嗜むことは、貴族にとって己の権勢と財力を示す手段でもあるのだ。


フランツはグラスを手に取り、しげしげと眺めた。

しかしルイトガルテはそっぽを向き、給仕にワインを持ってくるよう告げる。


「喉を潤すには十分かもしれませんが、あまりにも素朴すぎますわ」


その声色からは軽蔑の念が感じられる。


(お母様、それって所詮(しょせん)ビールは貴族には相応しくないってこと?)


「はは、まあまあ。せっかくヒルダが持ってきてくれたものだ。一度飲んでみようじゃないか」


ヒルダは内心、母親の頭の固さに憤慨していたが、顔には出すまいとした。

ここは父親の娘に対する甘さに乗っかっておくべき場面と思って堪えたのだ。


フランツはそっとグラスに口を近づけた。

上面を覆う泡からは芳醇な香りが漂ってくる。

そして小さく一口、流し込んだ。

途端に舌の上で広がる爽やかなフルーティーな麦の香りと、それに混じるかすかな苦味。


(ほう……これがビールとは!)


これまで飲んだことのある粗野な味とはまるで違っていた。

軽やかでありながらしっかりとした味わい。

飲み込んだ後の喉には鮮やかな余韻が残る。

先ほどの黒ビールのコクをまとった牛肉と、爽やかなビールの相反する味が見事に響き合い、一種の調和を生み出していた。


「これは素晴らしい。皆、試してみるといい」


フランツは妻のルイトガルテ、息子のマクシミリアン、その婚約者のソフィアにビールを勧めた。


(やった……! フォルマー王が認める味ですよ、お母様!)


ヒルダは父の顔に笑みを認めて、勝利を確信した。

マクシミリアンとその婚約者のソフィアは共に成人したばかりで、ソフィア自身も初めて飲む酒のようだが、気に入ってくれたようだ。

しかしルイトガルテはビールのグラスをそのままに、赤ワインだけを口にしている。


ヒルダは母に語りかけるようにビールの魅力を必死に訴えようとする。


「たしかにビールはワインのように華やかではありませんが、作り方次第で爽やかで優しい味になったり、重厚で深い味わいを生み出すことができます」


「ビールは今、庶民の飲み物と見做(みな)されています。でも私はその魅力を貴族にも広めたい――」


「格式ばった宴席だけでなく、日常に寄り添い気軽に楽しめる美味しさを……身分の差に関わらず全ての方々にお届けしたいのです」


しかしルイトガルテは一顧だにしようともしない。


「素晴らしいお考えですお姉様! わたくし、感銘を受けました! 是非、我がリンデン家の領地でも広めたいですわ!」


ソフィアが笑顔ではしゃぎながら手を叩いている。

あまり貴族令嬢らしからぬ振る舞いだが、ヒルダは彼女を好ましく思った。


しかしその様子に気を留めることなく、ルイトガルテは無表情でゆっくりと椅子から立ち上がった。


(ぐうっ! やっぱりダメかぁ)


「ヒルダ。明後日の昼、貴女に来客があります。それ以上の飲酒はお控えなさい」


「私に……ですか? 急な話ですが……一体どなたが来られるのでしょう?」


予想もしなかった展開に戸惑った。


「ウルガン帝国のマグナス・バートリ第一皇子です」


(はて、マグナス? どこかで聞いた名前のような……)

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