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002話「修道院暮らし」

「ヒルダ、朝の祈祷の時間よ」


元悪役令嬢ヒルデガルド・フォルマーことヒルダは、隣のベッドで寝ていたシスター・ハンナに呼びかけられた。

ハンナはそばかすが目立つが愛嬌のある顔立ちで、7歳年上の24歳。

トラヴァルト修道院に来て9年目になるベテランの修道女だ。


「ふぁいっ」


ヒルダは寝ぼけ眼ながらもベッドから飛び出し、素早く机に置いてあった修道服を頭からスポッと被った。

自衛隊員もびっくりの早着替え術だ。

貴族令嬢だった頃はドレスを着るのにメイドの手を借りて小一時間ほど掛かっていたが、もはや遠い昔の記憶となりつつある。


寮の部屋を出て、洗面所に設置された瓶から水を汲み顔を洗い、礼拝所の中へと駆け込んだ時には既に100名を超える修道女が準備を終えていた。


トラヴァルト修道院に限らず、エルバー教の修道院の朝はおしなべて早い。


一日のスケジュールは、


2:50 起床

3:00 礼拝

5:00 朝食

6:00 労働・自習

11:00  礼拝

12:00 昼食

13:00 労働・自習

17:00 礼拝

18:00 夕食

19:00 入浴・自習

21:00 就寝


だいたい以上のような流れとなる。

 ※異世界なのに地球と同じ一日は24時間なのか?って疑問は当然出るかもしれないけど、ロズキンのシステムが現実世界に即したものになっているので。つまりはそういうものだと割り切って欲しい


修道女が礼拝(女神エルバーへの祈祷と讃美歌合唱)に参加するのは当然としても、その三倍にも及ぶ労働と自習時間の長さには驚かされる。

修道女たちは割り当てに従い、院内の掃除や炊事洗濯、機織りだけでなく、時には院外に出ての畑仕事や牧畜作業まで行うことがあった。


エルバー教には「労働とは、女神エルバーと持たざるものへの奉仕である」という教義があるため、むしろ無心で行う労働が敬虔な信徒の証しにもなっている。

自習はその労働の合間を縫って、聖書に記されたエルバーの御言葉や教義を書き写したり、教団の歴史や国語・数学を先輩シスターから学ぶものだ。

直接的な肉体労働とは異なるが、これも多くの体力を気力を消耗する。


どちらもなかなかにしんどい。

穏やかな生活も悪くない……なーんてカッコつけて言った気もするけど、前言撤回させてもらうことにします。


ただ、転生前は開発中のビールを浴びるほど試飲したり、新商品を売り込むため都内のビアホールを全て営業に周ったり、帰宅が午前様になって睡眠を4時間ほどしか取れなかったりという生活を送っていたせいかな。

今がさほどブラックな環境だと感じないのは、魂に社畜根性が染み付いているのかもしれない。


ヒルダは夜の礼拝と夕食の後、入浴を10分で済ませてヘトヘトになっていた。

19:00になると入浴するか部屋に戻って自習を選べるものの、皆湯船にゆっくり浸かる暇もなく、一通り体を体を湯で洗い終わると浴室から出てくる。

このあたりも、やはり軍隊の生活習慣に似ているかもしれない。

自室に戻ると、先に戻っていたシスター・ハンナが労いの言葉をかけてくれた。


「お疲れ様。でも、まさか……貴方のようなお姫様がこれほど頑張り屋さんで、修道女の生活に馴染むなんて思っていなかったわ」


「いえ、そんな私なんて……」


ハンナの言うお姫様、というのは別段比喩というわけじゃなくて。

ネアンデル王国フォルマー公領はかつてフォルマー公国として栄華を誇り、属領となった今でも父のフランツ・フォルマー公爵は一国の王に近い扱いを受けている。

わたしはそのフォルマー家の長女なのだ。


「これも丁寧にご指導くださったシスター・ハンナのおかげです」


これは間違いなく本心から出た言葉。

ハンナはフォルマー公領のフローゼ男爵家出身の三女だとのことで、貴族の世界なら気安く声を掛けるのも(はばか)られるだろうけれど、修道院の中では“先輩”という序列の方が優先される。


初めて会った時からハンナはわたしを元公爵令嬢だからといって媚びることも、かと言って落ちぶれた悪役令嬢を嘲ることもせず、偏見を持たずに接してくれたのが嬉しい。


「あの噂も耳にしたけど、何かの間違いだって分かったわ。貴方が信仰に取り組む姿を見ていればね」


ただ、その言葉には心臓がずきりと鳴って、思わず胸に手を当てた。



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



わたしの我儘っぷりや、アルベルト王子から婚約を破棄され、ロズモンド学園から追放されたという話は以前から王国中に知れ渡っていた。


だから“あの噂も”というのはつまり、わたしが計画したとされる「聖女ルカ暗殺未遂事件」に他ならない。


——でも、そんな計画なんてわたしは知らない。

まったく知らない!

冤罪もいいところだ。


たしかに聖女ルカに対して、幼稚で陰険で悪質な嫌がらせを取り巻きの貴族令嬢たちにやらせたのは事実だ。


それは認める。


だがヒルダの頃の記憶をどれだけ辿ってみても、彼の命を狙った暗殺者ギルドとの接点なんてものはなかった。


嫌がらせの報いを受けるのは仕方ない。

でも身の覚えのない汚名を着せられ、衆人の前で断罪されたことによる心の傷は癒えることはなく、ジクジクと膿んでいた。


……あ〜ダメだダメだ。

気持ちを切り替えて、新しい人生を歩むんじゃなかったのか、わたし。


就寝時間となり床についてからもしばらく悶々としていたものの、今日は院内全てのシーツや枕カバーを洗濯し終えた疲れが自然に眠りへといざなってくれたのだった。


ありがとう、労働よ。



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



ネアンデル王国フォルマー公領で最古の歴史を持つというエルバー教教会の大聖堂。

そこにフォルマー公爵の一族が集まり、ごく限られた貴族だけで神勅の儀(ガテラス)が執り行われていた。

神勅の儀(ガテラス)とは、10歳を迎えた少年少女が女神エルバーによって様々な特殊能力を持った天職(クラス)を与えられる儀式のことである。


[エルバー教神官]

「天地にあまねくおわす、我らが(また)き能ある女神よ。あなたの赤子(せきし)に祝福を授け給え!」


[ヒルデガルド]

(ああ、エルバー様……お願いします!)


子供のヒルダが胸で手を組み、祈りを捧げている。


[エルバー教神官]

「はあっ!」


神官が気合と共に、掌をヒルダの前にかざした。


しかし彼女に与えられた天職(クラス)は……


【腐り姫】。


[ヒルデガルド]

「……え?」


/------------------------------------------------------/

ヒルデガルド・フォルマー(10歳)女


天職(クラス):【腐り姫】

レベル:1

経験値(エクスペリエンス):0

次のレベル:あと99


体力(ヒットポイント):16/16

魔力(マジックポイント):12/12

攻撃力(アタック):6

防御力(デイフェンス):12

素早さ(アジリティ):8

賢さ(インテリジェンス):10

幸運(ラック):24


能力(スキル):〈腐敗〉Lv.1

/------------------------------------------------------/


ヒルダの眼の前にステータスボードが現れた。

このボードの内容を見ることができるのは、儀式を執り行ったエルバー教神官と、ヒルダ本人のみだ。


[フォルマー公爵]

「腐り姫、とな? 初めて聞くが、そのような天職(クラス)が実在するのか?」


[エルバー教神官]

「は、はい、そのようです。教会にとっても未知の、超レアな天職(クラス)でありましょう」


[フォルマー公爵]

「して、それは一体どのような天職(クラス)なのだ?」


[エルバー教神官]

「恐れながら存じませぬ。しかし能力(スキル)には[腐敗]とありますから、その言葉通りの力かと……」


[ヒルデガルド]

「どうして……? なぜ私は【聖女】じゃないの?」


[フォルマー公爵夫人]

「ヒルダ……」


[ヒルデガルド]

「わたしはっ、えあるフォルマー家の長女として聖女であらねば……!」


[フォルマー公爵]

「残念だが、諦めなさいヒルダ。一度下された女神の神勅が覆ることはないのだから」


[ヒルデガルド]

「いや……」


[フォルマー公爵夫人]

「その通りですよ。たとえどんな天職(クラス)をいただこうが、貴女は私たちのかけがえのない大事な娘。エルバー様への感謝を忘れてはなりません」


[ヒルデガルド]

「いやよ、嫌あっ!」

「聖女じゃなきゃ、こんな変な天職(クラス)なんて絶対嫌よっ!」


——わたしは7年前の夢を見ていた。

深夜の1時に汗だくでベッドから起きたわたしは、机の上に置いてあった手鏡を手に取り、見つめてみた。

そこに映っていたのはやはりヒルダの顔。

息を強く吐いた。


自分で言うのもなんだが、まあ、美人の部類だろう。

目つきに若干の険は感じられるものの、角度を変えるとプラチナブロンドの髪が月光にさらりと輝き、整った顔を引き立てている。


ロズモンド学園に在籍していた頃は、これを毎日2時間掛けて縦ロールに仕立てていたのだ。

(大変だから二度とその髪型にはしないけど)

ヒルダは貴族令嬢として最高位にあり、勉学にも励んで成績も常にトップクラスにあったから、まさに才色兼備だった。


ただ唯一、天職(クラス)にだけ恵まれなかった。


フォルマー家は歴代の聖女を輩出してきた家柄であり、フォルマー公国を建国した聖女ウルスラの伝承が残されている。

だからヒルダは自分が次の聖女になるのだ、と信じて己を磨き上げてきた。

7歳の誕生日にはネアンデル王国の第一王子アルベルト・ロズモンドと婚約を交わし、いざという時は王妃として王国を背負う覚悟すら持っていた。


しかし天職(クラス)至上主義の価値感に囚われていた彼女にとって、神託の儀(ガテラス)で与えられた【腐り姫】は、自分の輝かしい未来を破壊する呪われた超ハズレ天職(クラス)としか思えなかった。

その能力(スキル)[腐敗] とは「触れたものを腐らせる」というおぞましいものだったからだ。


能力(スキル)の発現当初は、手で触れたものが腐ってしまうために、食事を自分ひとりで満足に摂ることすら出来なかった。

今では日常生活に支障はないレベルまで制御できるようになっているが、常に「封じの腕輪」を身につけ、能力が暴走しないように細心の注意を払って生きるしかなかった。


フォルマー公爵夫妻は、大事な娘が忌まわしい天職を得ようとも、これまでと変わらず惜しみない愛を注いだ。

しかしそれはヒルダに届くことなく、拭いがたい劣等感が彼女を追い詰めていった。


そして16歳になり、アルベルトと共に王都ミッダーリンゲンの王立ロズモンド学園に入学。

学園を卒業した後にふたりは結婚するという予定だった……が、同級生には特例で入学したあの【聖女】ルカがいたのだ。


ここから、ヒルダの転落人生が始まった。

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