019話「帰省」
「ほらヒルダ様、ご覧ください。トラヴァルトがもうあんな遠くに!」
「ええ、そうね……」
山道をガタゴトと激しく揺れる幌馬車の中で、エリーゼが話し掛けてくるが、ヒルダはため息混じりの返事で応えた。
ビール作りに専念するため、実家のあるシュレルバイン城にはしばらく戻らないと誓ったヒルダであったが、今回一時的に帰省することになったのだ。
トラヴァルト修道院からシュレルバインまで、馬車で北に向かって間に休息を入れて丸2日の道のり。
幌の骨にはトラヴァルト修道院の印が入った幟を差してはいるものの、荷物を輸送するのが主用途であり、ボロではないものの貴族令嬢を運ぶ優雅な馬車とはほど遠いものであった。
しかしヒルダが落ち込んでいるのは馬車の乗り心地のせいではない。
帰省したらしたで、フォルマー侯爵家の令嬢として様々な公務を求められることは必定だからだ。
下手をしたら、二度とトラヴァルトへ戻れずビール作りの夢も立たれることになりかねない。
父フランツは自分に甘いところがあり、多少なりとヒルダの我儘を聞いてくれるところもあるが、母ルイトガルテはそうではない。
娘がネアンデル王国の第一王子アルベルトに婚約破棄されたことを受け、自分に新たな嫁ぎ先を見つけることに腐心しているようで、時折修道院に届く手紙からもその様子が垣間見える。
「ふぅ…」
ヒルダが何度も息を吐いていると、いつの間には半日が過ぎており馬車は鬱蒼とした「ティフェルの森」の道を進んでいた。
フォルマー公領はネアンデル王国の西に位置し、更に西へ行くと隣国ウルガン帝国がある。
その国境には小国ひとつ分ほどの広さを持つこの森があり、奥地には恐ろしい魔物が巣食い、未踏破のダンジョンがいくつも眠っていると言われていた。
ウルガン帝国は太古より度々かつてのフォルマー公国を侵略するために、ティフェルの森を抜けようと進軍してきたが、現在においてもこの天然の要塞に阻まれて続けている。
なのでトラバルトとシュレルバインの間を行き来する場合は、敵軍よりも魔物に対する備えが必要であった。
しかし今回のヒルダの帰省についてきたのは、侍女のエリーゼと先輩修道女のシスター・ノラ、トラヴァルト修道院の農地で小作人を務め、馬車の馭者でもあるオットーの4名のみ。
幌馬車には強力な魔除けの聖印の術式が刻まれているとはいえ、この少人数ではやや心細い。
「ガッハッハ! ワシが若い頃は攻めてきたウルガンの連中や、襲いくる魔物共をバッタバッタと返り討ちにしてやったもんだ! 嬢ちゃんたち、大船に乗った気でおるといいぞ!」
ずんぐりとした体型で逞しい髭を蓄えたオットーは、昔はフォルマー公領の兵士として国境の警備にあたっていたらしい。
巨大なふたつの角が付いた兜を被って豪快に笑う姿は歴戦の戦士のように見えるが、酒が入っているのか常に赤ら顔なのが気になるところではある。
しかしちょび髭のゲッツことゲオルクがビールを卸しにトラヴァルトを離れている中、頼りになる唯一の男性メンバーだった。
「あたしもシュレルバインに帰るの久しぶりなのね。なにもかにも懐かしいのだわ」
同行してくれた修道女のシスター・ノラは農作物の収穫に使う大鎌を肩に掛けて、幌の外の風景を眺めている。
男爵家の次女だそうで、口減らしのために幼い頃から修道院に入っていたそうだ。
身体は男性並みに大柄で、膂力もあったため、トラヴァルトでは農業を担当、時には武器を手に取って修道院に害を為す外敵と戦うこともあった。
「それでしたら私たちが城にいる間に、ご実家にお顔を見せに行ってはいかがでしょう」
「あらあ、ありがたいお話だけどねぇ。代が変わってるから、あたしの居場所なんてもうとっくに無いのだわ」
寂しくシスター・ノラは笑った。
――迂闊だった。
修道院に入った時点で俗世とは縁が切れているのだ。
自分のように犯罪行為の追及から逃れるために、腰掛けで修道院に身を隠しているのとは理由が違う、とヒルダは自分の発言を恥じた。
「そうなのですか……。それでしたら、是非城でごゆっくりなさってください」
ごめんなさい、と謝るのもノラに対して失礼な気もしたので、ヒルダはこう言った。
「ご両親が元気な内にしっかりお話をすることをオススメするのだわ。後で後悔しないためにもね」
「ええ……そうしてみますわ。ありがとうございます」
(でも、あそこまで強引に迫るお母様に話が通じるのかな?)
という懸念がある。
なにせルイトガルテは、ヒルダのトラヴァルト修道院に居たいという意志自体に疑いを持ち、修道院長である自分の姉リヒャルディスが娘を唆して無理やりビールを作らせていると思い込んでいる節もある。
しかも数日前にリヒャルディスへ届いた手紙に因ると、今後フォルマー家からトラヴァルト修道院への寄付金を大幅に減額するという内容だったらしい。
エルバー教の修道院の運営はそれぞれ自立自存で行うのが基本とされている。しかし実情は毎年冬に法王庁から下賜された交付金や、貴族の子女をなんらかの事情で修道女として迎えた際に発生する寄進や、富裕層から受け取る寄付金などによって賄われてる。
トラヴァルト修道院はフォルマー公爵家の庇護の元で設立され、定期的に寄付金を受け取っていた。
かつての悪役令嬢であったリヒャルディスが、修道院長という地位にいられるのもフォルマーのおかげに他ならない。
「ルイーダのヤツ、とうとう痺れを切らしたね。アンタは一旦実家に帰ってルイーダを宥めておいで!」
とリヒャルディスに命じられたが故の、今回の帰省だった。
彼女も、従順だと思っていた妹からの思わぬ圧力にたじろいでいるようだ。
ヒルダとしては次のビールを作るために一刻も早く麦芽の製造に取り掛かりたかったが、大麦の収穫・脱穀・貯蔵作業が完全に終わってないこと、実の乾燥にある程度の時間が掛かることから、今の内に面倒事を片付けておきたいという思惑もある。
気付くと、馬車は夕暮れの中で木々が疎らとなった峠に辿り着いた。
後は基本的にはシュレルバイン城までの道は下り坂となるためだいぶ楽になるが、まだティフェルの森の中央付近にいるため警戒は必要だった。
「それじゃ今日はここいらで休むとするか!」
馭者のオットーが峠道の広い場所に馬車を止め、夜営の準備を始めた。
何者かの襲撃に備えるなら森の奥に隠れた方が良さそうに思えるが、ある程度の見晴らしの良いところに陣取って、いざという時は馬車で離脱できるようにした方が安全だということらしい。
オットーは馭者台から降りて、馬たちに飼葉と水を与えた。
シスター・ノラは荷台に積んであった鍋と薪を降ろし、火を起こす。
エリーゼと私は乾燥羊肉、野菜を降ろして次々とナイフで刻み始めた。
これから作るのは羊肉のスープだが、悠長に乾燥羊肉を水で戻す時間はないので、いきなり鍋で水につけた状態で煮込み始める。
このロズキン世界には携帯できるブイヨンのような便利な調味料はないので、塩とハーブだけで味付けをすることになってしまう。
肉の旨味がスープに浸透し始める頃、蕪や人参、じゃがいもなどの根菜を鍋に投入する。
普通の冒険者であれば、乾パンと干し肉を齧るだけで済ませてしまうだろうが、この一行は口の奢ったトラヴァルトの女たち。
食に妥協はない。
じっくりと1時間以上も煮込まれたスープはシンプルながらも香り高く、滋味深いものに仕上がった。
その頃には日は暮れて、馬車の周囲はすっかり暗くなっていた。
「かあぁぁぁっコイツは最高だ! スープ自体も旨いが、ビールにも合う!」
とオットーはいつの間にか小樽からビールを注いで勢い良く呑んでいる。
そのビールはお母様を説得する用に運んできたものなので、ひと樽だけで済ませて欲しいのだけど……と思いつつも、ビールを褒めてもらうのは嬉しい、とヒルダは喜ぶのだった。
しかしそのオットーひとりが盛り上がる酒宴の様子を遠くから覗う集団がいる。
「あの連中だな」
「へい、頭。トラヴァルトの幟を掲げているから間違いねえでしょう」
「ヤツらの寝込みを待つぞ。だが、お前らいいか。お姫さんにはくれぐれも手出しすんなよ。依頼主からも最優先で命じられてるからな」
「分かりやした」
そう話し合う男たちの身なりは粗末だが、武器は丁寧に整えられていた。




