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015話「はじめての収穫」

ヒルダがトラヴァルト修道院に来てから約四ヶ月が経った。

修道院を取り巻くように茂っていた青々とした広大な麦畑は、初夏になると穂が色づき始め、間もなく収穫を迎えようとしていた。

修道院を遠くから眺めると、黄金に輝く絨毯の上にポツンと置いてけぼりにされているようである。


だがそこで暮らす修道女たちに取っては、景色の美しさに浸る余裕などなく、一年でもっとも忙しい時期かもしれない。

日が昇る前の深夜に起床し、礼拝を行った後に朝食を撮ると、早朝から労働の始まりとなる。

この季節は大麦や小麦の収穫のため、他の仕事を後回しにしてでも優先的に行わなければならない。

修道院では自給自足が原則。

パンを食べるのなら……畑を耕し、小麦の種を撒き、水を与え、肥料を作り、虫を払い、麦穂を刈り、サイロに運び、脱穀させ、粉を挽き、窯でパンを焼くまで。

その工程全てを、エルバー教の修練の一環として行っている。

時に近隣の小作人(農地は修道院が保有)の手を借りることはあっても、基本的には修道女の仕事だ。


それは元貴族であっても、現在は一介の女修士(じょしゅうし)のヒルデガルト・フォルマーも例外ではなかった。

ビール作りの実力を叔母であり修道院院長のリヒャルディスに認められ、ビール工房のトップに任命されたにも関わらず、特別扱いはなかった。

熟成が終わった2種類のビールを樽に詰め込んで出荷の準備が整うと、今日は農業班に回されることになった。


指示を出すのは先輩の修道女で農業担当のシスター・ノラ。

ノラは長年の間、農業を専任としているせいか、どっしりとした体型で安定感がある。

共に作業するのは私とエリーゼ、残りの他のメンバーはビール工房のミアと3人の女修士たちの計6人の小班。

その全員に麦穂の刈り取り用の大鎌が手渡された。

なんだか私たち全員より、ノラひとりの方が早く終わりそうな気がするけど。


「お嬢様! お嬢様がこんな危険な刃物をお持ちになるなんて! ここは私が代わりに――」


というエリーゼであったが、早朝のせいで低血圧なのかフラフラして危なっかしい。

ヒルダの侍女であったエリーゼは、このトラヴァルト修道院ではあくまで巡礼者という形で滞在しているだけなので、労働に参加する義務はないのだが。

エリーゼの手から大鎌を取り返し、大麦畑でザクザクッと手際よく麦穂を刈り取っていく。

彼女には危険度の少ない、麦穂をまとめて野積みにする作業をお願いした。

大麦は脱穀の前に乾燥させて、ある程度水分を飛ばしておかない、後々の保管に悪影響を及ぼす。


「それじゃ~そろそろ休憩しようなのね。シスター・カロリーナがサンドイッチを作ってくれたのだわ」


シスター・ノラが収穫作業の進み方を見るため、大きな銅製の水筒を肩に抱え、手にはバスケットを持ってやって来た。


夏が本格的に来る前とはいえ、眩しい日差しの下で大鎌を振り回したので、10分も経たない内にヒルダたちは汗まみれになっていた。

水筒の中身は紅茶の葉とクランベリー、生姜を煮出して最後に蜂蜜を加えたもので、その爽やかな清涼感で汗がすっと引いていく。


(ビールを水分補給って手もあるけど、酔っ払って手元が狂うのが怖いしやめとこっと)


畑の脇に生えている芝生に座ったエリーゼが腰をさすりながら、コップに注いだクランベリー茶を飲み干していく。

麦穂積みは何度も腰を屈めて運ぶので、刈り取りよりも重労働だ。


「はぁ~~~っ、生き返りますね!」


(ちょっとオバちゃん臭いな)


ヒルダはエリーゼの隣で、バスケットからサンドイッチを取り出しかぶりついた。

サンドイッチはバゲットを横に半分に切り、縦に切れ込みを入れて、その間に輪切りのトマトと水牛のフレッシュチーズを挟み、味付けは酢と塩のみ。

非常にあっさりとした味だが、既に摂った朝食と次の昼飯までの間食に過ぎないので、これで十分。

固めに焼かれたパンはトマトとチーズの水分を受け止めてくれ、非常に相性がいい。


「今年の大麦はだいたい豊作のようでなによりだけども~……去年植えた新しい品種はイマイチなのだわ」


ここから離れた麦畑の方を見やって、ノラが()()ちる。


「今刈っているのとは違う品種があるのですか?」


「そうなのよ~。ヒルダがここに来る前に亡くなったシスター・ユッタが取り寄せてた種なんだけど……。穂についてる実の数が少ないのだわ」


「なるほど。水か日光のどちらかが足りないのでしょうか?」


「それが分からないのね~。でもこれ以上植えてても変わらないようだから、明日中までに刈っちゃおうと思うのだわ」


シスター・ノラは既に見切りをつけているっぽい。


「でもお水はどの畑も同じようにあげてましたし、そこだけお日様が当たってないなんてこともないんですよねー」


とユッタの下でビールを作っていたミアが言う。


「それなら単に土壌が合っていない可能性があるかもしれませんね」


その時のヒルダには、自分がこれから新たな発見をするとは想像もしていなかった。


「それじゃ午後からは新しい方の麦畑で作業をお願いなのね。収穫量はあまり期待できないかもだけど~」




⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎




ヒルダたちは一度礼拝所に戻り、昼食を終えてから新しい品種を植えたという大麦畑に向かった。

先ほどまで作業していた場所から、なだらかな丘をひとつ越えたところにそれは開墾されていた。


「ほれ、これ見てちょうだい。普通の大麦に比べて2列しか実が生ってないのだわ」


シスター・ノラが麦穂を手に取ってヒルダの前に差し出した。


「いつもの大麦なら、6列に実が出来るはずですよね。シスター・ユッタは何故あえてこの大麦を選んで取り寄せたんでしょうか?」


(たしかにこれじゃちょっとスカスカよね。でも2列と6列の大麦ってどこかで聞いたような覚えが……)


ヒルダはう~ん、と唸って前世の知識を思い出そうとする。

しかしいつまでも手を止めるわけにもいかず、収穫を進めないといけない。

2時間ほど作業を進めて、15時になったので本日二度目の休憩を挟むことにした。


「おーい」


丘の向こうからシスター・カロリーナが手を挙げてやって来た。

修道院の調理主任であるカロリーナは、初対面では無口でややぶっきらぼうな印象を受けたが、今ではすっかりヒルダと仲良くなり、時々、試作のスイーツを食べさせてくれるくらいの間柄になっていた。


「ヒルダ。新しいスイーツ作ってみた」


「うわーシスター・カロリーナ、ありがとうございま…」


「ん、それじゃ」


お礼を言う前に、もう用事は済んだとばかりに修道院へ踵を返した。

でもこうして差し入れしてくれるのは、おそらく彼女の料理やスイーツを食べた後は必ず味の感想を伝えるようにしているので、それを気に入ってくれているからなのだろう。


受け取った追加のバスケットを開けると、中に入っていたのはシュークリームを雪だるまのように二段重ねにして、その上にバタークリームやチョコレート、フォンダンをふんだんに掛けたスイーツ。


これは見るからに甘ったるそうだ!

でも重労働をこなすには、これぐらいカロリーたっぷりのお菓子が必要だ。

そうでしょ?

と罪悪感を薄めるために一生懸命、自分に言い訳をしている。


パク。

う~ん、美味しっ、甘~い!


ヒルダが甘味に目を細めていると、その隣にいるミアは自前の水筒を持ってきて、そこからお茶を飲んでいた。

ほのかに懐かしい匂いが鼻孔をくすぐった。


「あら、ミアさんクランベリー茶は飲まないの?」


「あっ、すみません。わたしは甘いお茶がどうにも苦手でして。あの時の麦芽を使ったお茶を飲ませてもらってます」


あの、というのは黒ビール作りにも使用した、つい最近までビール工房の倉庫に奥に仕舞っていた、炒りすぎて焦げ茶色になった麦芽のことだ。


!?

あぁっ、ようやく思い出した! この香りは、麦茶と同じだ!


途端にヒルダの耳にミーン、ミーンという蝉の幻聴が鳴り響き、穂乃花だった頃に体験したあの暑い日本の夏の風景が脳裏に浮かんだ。


(いや、そうじゃなくて! この二列しか実っていない大麦の正体は……)


――二条大麦だ。


大麦には大まかに分けて二種類ある。

ひとつは穀物として食べたり、味噌醤油に加工したり、麦茶などに使う六条大麦。

ふたつめは目の前の二条大麦。

二条大麦は六条とは違って、生る実の数は少ないがそのひと粒ひと粒は大きく育ち、デンプン量を多く含むため、ビールの原料として管理しやすい品種だ。

ヒルダがトラヴァルトにあった麦芽を使った時、前世のものに比べて小ぶりだなと思ったが、その違和感をそのままにしていた。


「これよ、これ!」


「わっ、急にどうされたのですがお嬢様!?」


突然、大声を挙げたヒルダにエリーゼは驚く。


「シスター・ノラ! 一旦お待ちください!」


慌てて残りの大麦を刈ろうとするノラの元に走り出した。


「この大麦は育成に失敗したわけじゃありません。元々これだけしか実らない品種なんです」


「そうなの?」


「ええ、これこそがビールを作るために生まれたような大麦、二条大麦なのです!」


「二条……初めて聞く名前なのね」


「とにかく、後少しだけ待ってもらえれば――」


その時の勢いで、ヒルダはまだ根元が残った大麦に足を引っ掛けて顔面から畑に突っ込んでしまう。


「痛っ!?」


「お嬢様!?」


エリーゼが手を貸そうと駆け寄るが、ヒルダは手を地面について自分で立ち上げろうとする。


その瞬間――両手からカッと眩しい光が生まれた。


(いけない! 能力(スキル)が発動しちゃった!?)


気が緩んでいたせいか、ヒルダの両手から放たれた光は瞬く間に畑を覆いつくし、その表面はボコボコッと音を立てて振動した。

その振動が収まると、今度はまだ刈り終わっていない二条大麦の麦穂がギラギラと輝き、穂についた実がピシピシと音を立てたのだ。


「ステータスオープン!」


ヒルダは腕を上げ、すぐさまステータスボードを確認した。

そこにはそれまで持っていた能力(スキル)「〈腐敗〉 Lv.2」が点滅している。


ヒルダはおずおずとまだ刈り取る前の大麦を確かめる。

実は能力(スキル)発動前に比べて大きく膨らんでおり、この一瞬の間に成長しているのが分かった。


まだ状況を把握出来ていないが、これまで自分を苦しめてきた能力(スキル)が大きく変容したのをヒルダは感じるのであった。

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